Machina arithmetica―精神を節約し、幼児でもできる計算機―
森田真生さんからのとある質問がきっかけで、Machina arithmetica(1685)すなわち「算術計算機」の英訳を読んでみた*1。原題はもう少し(というかだいぶ)長い:Machina arithmetica in qua non additio tantum et subtractio sed et multiplicatio nullo, divisio vero paene nullo animi labore peragantur.
ライプニッツ(1646-1716)が、1685年に書いたMachina arithmeticaは、自身が数年前に作った計算機についてその作成方法と意義を説明したものである。それは、パスカルの作った計算機「パスカリーヌ」(Pascaline)など、これまでの計算機ができなかった、掛け算・割り算も実行できる計算機をいかにして作成するか、について説明するものであった。
ライプニッツの計算機は、加減乗除の四則演算を実現した点にその新規性がある。彼は、計算機を作成した数年後にこの論稿を書いた。新しい計算機を作る試みについては、すでに1670年代前半頃からしている。外交官としてパリ滞在期間中(1672-76)に、ライプニッツは自分が作った計算機を、パリの諸学アカデミーやロンドンの王立協会などに公開・提出している。そこには、新しい計算機の発明によって名声を得て会員となり、研究者として学際的なパリあるいはロンドンに残るという目的もあったとされる。残念ながらその目的は実らず、ハノーファーの王宮に復官するよう主君から要請され、ドイツに戻ることを余儀なくされる。
論文の前半は計算機の作成方法について、後半はその応用面について述べてある。作成方法といっても、主に理論面であり、歯の数や歯車を回す数などと、計算される数との対応から、いかにして計算の手続きが機械的に実行されるか―すなわちアルゴリズムーが丁寧に説明されている。
ここでは、ライプニッツが一般的に述べている洞察について、少し引用紹介しよう。
「ものごとは、すべてが機械それ自体によってなされるはずであるように、最初の段階で調整することができる」Things could be arranged in the beginning so that everything should be done by the machine itself.
「[割り算については、] 人は、その計算が何であれ、とりわけ大きな数が問題である場合に、いかなる精神的労働もなしに、機械のみによって達成したことがないと考えます」…which [task] I think no one has accomplished by a machine alone and without any mental labor whatever, especially where great numbers are concerned.
この新しい算術機械は、財務や商業、測量、航海、天文学など、Computationにおいて数学を用いるすべてのことに役立つ。それは、曲線や運動の分析にも応用でき、また、新しい天文図表や地図、光学的証明をもたらす。そうした図表の構成は容易であり、幾何学的厳密さも備わったものである。私の計算機によって、計算に要求される、精神の使用、忍耐を必要しなくなる。こうして人は、Calculationの奴隷となって時間を浪費せずとも済む、としている。
後期の著作であるBrevis Machinae Arithmeticae(「算術的計算機の摘要」1710)において、ライプニッツは自身の計算機の発明についてのこれまでの業績の概要を自ら記している*2。そこには、次のようにある。
Mentis nullam fere attentionem requiri manifestum est, ut hoc, quicquid est, merito dici possit, opus infantum.
すなわち、
「精神の注意を要求されることがほとんどないことは明らかである、したがってそのようなものは、何であれ、「幼児でもできる仕事」(opus infantum)とふさわしく言われうるであろう。」
とでも訳されようか。計算機は、めんどくさい思考をせずに済むよう、計算の手間を省くアルゴリズムを持ち、したがって計算的思考を司る理性をたいして働かせずとも、正しい計算を導き出せるようにしてくれるものだ。
こうして、ライプニッツにとって、計算機の売りは、まず何よりも「思考の節約」にとって有益な機械であることなのである。この点について、現代の計算機(コンピュータ)と比べて、どうであろうか?