labyrinthus imaginationis

想像力ノ迷宮ヘヨウコソ…。池田真治のブログです。日々の研究のよどみ、そこに浮かぶ泡沫を垂れ流し。

ライプニッツ『モナドロジー』§11


1. 原文

われわれが述べてきたことから、次のことが帰結する。すなわち、モナドの自然的変化は、〔われわれが能動的力と呼ぶ〕内的原理に由来する。というのも、外的原因は、その内部のうちに影響することができないからである。〔また、一般的に、力は変化の原理以外ではないということも、言うことができる〕。『弁神論』396, 400

Il s'ensuit de ce que nous venons de dire que les changemens naturels des Monades viennent d'un PRINCIPE INTERNE [qu'on peut appeler force active], puisqu'une cause externe ne sçauroit influer dans son interieur.
[Et generalement on peut dire que la Force n'est autre chose que le principe du changement]

※ []は草稿から。

2. 備考

モナドの自然的変化の原理として「内的原理」が捉えられ、さらにその内的原理が、「力」(より厳密には「能動的力」)として捉えられている。レッシャーも指摘しているように、内的原理はさらに、「欲求」と結びつけられる。

・簡単に言うと、ある単純実体に生じる(生じた/生じうる)自然的な変化ーすなわち奇跡による変化を除いたすべての変化ーは、すべてその単純実体の内にあって、外的な影響によって変化するのではない。そしてその内的な変化の原理が、力と呼ばれるものである、ということである。

・この自然的な変化というのは、モナドに生じるすべての出来事のことであるから、これと『叙説』§8の述語の主語内属原理が結びつけられると、実体が内に持つそのすべての述語というのは、モナドの自己展開の原理である力によって生じている、ということが導かれよう。


3. 解釈

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4. 比較参照

* 『弁神論』396

形が質料の様態であるのと同様に、(ある実体の)偶有的形相は原始的エンテレケイアの様態であるとわたしはみなす。それが、単純実体が残っている間、これらの様態が永続的に変化していることの理由である。

* 『弁神論』400

ピエール・ベールが賞賛する被造物は運動を産出しない。また、魂は感覚や観念、痛感、快感などを産出しないことについてのマルブランシュの証明をライプニッツは批判。
「・・・私は、魂が物理的影響関係によって身体器官を動かすことはあり得ないと主張している。というのも、魂が働きの原理だということが正しいとはいえ、身体はこの魂の意志に応じたことをしかるべき時と場所において実行すべく予め形成されていたはずだ、と私は考えているからである。しかし、魂が思惟も感覚も痛感も快感も産出しないと主張するのは、私がそれらについての理由を知らないからである。私の考えでは、すべての単純実体(つまりはすべての真なる実体)はそのすべての作用と内的な受動との真なる直接的原因でなければならない。形而上学的厳密に言えば、単純実体には、それ自身が産出したものしか含まれていない。・・・」


* PNG §2 略

* NS §14

「こう考えるなら、われわれの内的感覚(つまり魂そのものの内にはあるが、脳のうちにも身体の微細な部分の内にもないもの)は、外的存在に伴う現象あるいはむしろ真なる現れであり、いわば十分に規則だった夢でしかないのだから、魂そのものの内における内的表象はその魂に固有の本源的な成り立ち方によって、つまり想像の時に既に与えられその個体的特質をなしている表現的本性(その魂の器官に対応して外の存在を表出することのできる本性)によって生ずるのでなければならない。つまり、実体は一つ一つが自分なりの仕方で一定の視点に基づきながら全宇宙を正確に表現しており、外的事物の表象もしくは表出は、魂に固有の法則によってその魂に対してちょうど折よく生じるようになっているのである。
(著作集8, 84頁)

* DM §8

レッシャーは『叙説』§8を挙げている。ここでは、inesse(内属)説すなわち「述語は主語のうちにある」と、個体的実体が完全個体概念(すなわちライプニッツのとっての「このもの性」)として特徴づけられることが述べられている。『叙説』の段階と異なり、力の形而上学が大きく導入されたことに注目すべき、という意図でレッシャーは挙げたのであろう。

モナドのすべての自然的変化というのは、実体が持つすべての述語のことである、とすると、より結びつきが明らかになろう。

5. レッシャーのコメンタリー

・15節は、“変化の内的原理”の作用―時間を通じてモナドが展開する内的”能動的力”―は、欲求と特徴づけられるものである、としている。

この力の様式は、あらゆる創造されたモナドの内部で、操作的である。それは、モナドに、いかにしてそれらの全歴史が予先的決定のしかたで開示されるのかをきっちり特定するような、いわばあるプログラムを与えるものである。

ライプニッツは、―近代科学では、現代発生学の二重らせんまで予測されていなかった―次の根本的な考えを受け入れる。すなわち、情報は、その後続的な展開の全系列をプレ・プログラムするというしかたでその自然的構成のうちに、ある実体の内的な組成make-upにエンコードされているという考えを。

・そのような、変化の予定的な過程は、ある実体が秩序的に時間を通じて展開することを決定する。たとえば、ドングリがメープルの木ではなくオークの木へと成長することを導くように、展開の指令を具体化するのとほぼ同じしかたで。

ライプニッツは、級数列を生成する代数的規則に似たものとして、あるいは、ある連続曲線を生成する方程式として、内的原理を考察する。
この、それみずからの後続的状態のシステム的展開(すなわちその個別的作用のすべての歴史)は、各々の実体に、それみずからの個別的個体性を授けるのに役立つ。

モナド的変化が内部から進展するという事実は、実体を活動性の単位―すなわち作用主体―として特徴づけする。したがって、それはモナドの本性の決定的に重要なアスペクトである。
この原理は、ライプニッツをプロセスの哲学者として特徴付けし、時間と変化を、根本的に時間のない不変な宇宙の、無意味でいくぶん幻想的な側面と見ていた理論家の系譜(パルメニデススピノザ、ブラッドリー)から区別する。

※ Bradley, Francis Herbert 1846-1924