labyrinthus imaginationis

想像力ノ迷宮ヘヨウコソ…。池田真治のブログです。日々の研究のよどみ、そこに浮かぶ泡沫を垂れ流し。

ライプニッツ『モナドロジー』§18

1. 原文

On pourroit donner le nom d’Entelechies à toutes les substances simples, ou Monades créées, car elles ont en elles une certaine perfection (ἔχουσι τὸ ἐντελές), il y a une suffisance (ἀυτάρχεια) qui les rend sources de leurs actions internes et pour ainsi dire, des Automates incorporels.

あらゆる単純実体、すなわち創造されたモナドに対して、エンテレケイアの名を与えてもかまわないだろう。というのも、モナドは、それらのうちにある完全性を持つからである。モナドをそれらの内的な活動の源にしているところのある自己充足が存在し、よってそれらはいわば、非物体的なオートマトンとなっている。

2. 備考

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3. 解釈

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4. 比較参照

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5. レッシャーのコメンタリー

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・エンテレケイアという用語は、アリストテレスに由来し、ライプニッツはエンテレケイアを、存在者が自己内蔵している目的論的な最終状態のより完全な実現に向けた、活動(エネルゲイア、プロセス)の原理としての魂を指定するものとして用いる。

ライプニッツはエンテレケイアを、基礎的実体(モナド)を存在している作用主体agentとして特徴づけるために用いる。その作用主体は、みずからがもつ完全な本性を実現するために欲求的に機能するものだ。
彼は、モナドを現実世界に存在している実体として限定する(ただし可能世界では可能な実体は観念としてのみある)。

ライプニッツが見るように、エンテレケイアという用語は、可能な実体にふさわしい。なぜなら、それらはすべて、それらの欲求的な「プログラム」のうちに、展開の原理を内部化しているからである。これらの変化の内的原理は、それらの完全個体概念と符合するものである。

・物質は無限に分割可能であるので、すべての実体は周囲の他のものに対して(どれほど低くとも)支配的である。したがって、各々の実体は、調和的な「身体」の種のものを持つ。その際、実体は支配的な「魂」となっている、すなわち、自分自身の機能あるいはテロスを持ったエンテレケイアとなっている。あらゆる自然は、したがって有機的である。

われわれが無機的とみなす対象、たとえば石のようなものでも、結晶の下部構造においてセルを持ち、非常に小さい構成要素のレベルにおいては、石を有機的とみなす。

これらすべての「有機的」実体は、ドングリがオークの木へと「自動的に」発展することが予定されているようなものとして、時間を通じてのそれらの展開を剥離する作用の原理を具現化する。

物体(身体)を構成する個体的モナド自身は、「非物体的オートマタ」である、増大するより完全な現実化に向けてみずからに固有の本性(自然)をもたらすよう努力している(オートマタとしてのモナドについては、§64と比較参照せよ)。

安定あるいは静止(アタラクシア)へと導くストア派エピクロスのオータルケイアとは異なり、ライプニッツの「自己充足」は、モナドの欲求に関する傾向的基礎であり、活動の特徴的様相の展開である。

ライプニッツ有機的なオートマタ(モナド)の内的作用と、物理的機械によって表現される外的な第一動者のもとでなされる機械的作用を比較する。後者は、目的因の有機的原理ではなく、作用因の機械的原理において理解されねばならないものである。