labyrinthus imaginationis

想像力ノ迷宮ヘヨウコソ…。池田真治のブログです。日々の研究のよどみ、そこに浮かぶ泡沫を垂れ流し。

ライプニッツ『モナドロジー』§10

1. 原文

あらゆる創造された存在者が変化に服するということも、私は認める。したがって、創造されたモナドもまた同様であり、さらに、各々のモナドにおいてこの変化というものが連続的であることも、私は認める。

Je prends aussi pour accordé que tout être créé est sujet au changement, et par conséquent la Monade créée aussi, et même que ce changement est continuel dans chacune.


2. 注目

・他のあらゆる被造物と同様に、モナドもまた「変化」を持つ。なぜなら、モナドが変化を持たないとすると、モナド間を識別する内的差異ないし内在的規定がないことになってしまうからである。したがって、モナドにいわば個体性を与えるのが変化の原理すなわち「欲求」ということになる。 
・「変化」は連続的であり、したがって飛躍しないこと。ライプニッツは数学的に(かなり)厳密な意味で、連続性を理解する。ライプニッツは、数学における連続性に関する洞察を、自然において一般的に成り立つ法則にまで高める。それが、「連続律」である。
・「連続律」(lex continuitatis) とは、通俗的には、「自然は飛躍せず」という仕方で言われる、自然の一般的法則である。現在知られる限りでは、連続律は『物体の衝突について』De corporum concursu, 1678.1において、初めて定式化された*1。連続律が提出された歴史的文脈としては、デカルトの衝突に関する法則に対する批判を考慮する必要がある。翌年6月、ライプニッツはクラーネンに宛てた書簡で、その連続律のより簡潔かかたちでの定式化を与えている。

「...しかしいくつかのデカルトの規則は存続し得ないので、私はその明白な証明を君に与えましょう。私が思うに、君は次のことに同意してくれるでしょう。 もし〔二つの〕原因が、その差がわれわれの望むだけ小さくなり、計算の最後に一方が他方に向かうような仕方で互いに近づいてゆくのなら、それらの結果もまた、指定可能なものとして与えられたいかなる量よりもそれらの差がより小さくなるように、また最終的に結果のうちの一方が他方に向かうような仕方で、無際限にどんどん互いに近づいてゆくでしょう。」*2

後年なされた、より厳密な定式化・一般化に関しては、比較参照を参照せよ。


3. 解釈
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4. 比較参照

* PNG, §2. 【モナドジー§8の比較参照と同じ箇所】
 ライプニッツにおいて、モナド間の区別を可能にする内的性質および作用が、モナドが持つ「表象」および「欲求」である。すなわち表象と欲求という2つの原理が、内的差異あるいは内在的規定として言われていたものである。ライプニッツが実体の原理を、この2つにまで削ぎ落としていることに注目すべきである。
「表象」は、単純者の内における複合的なものの表現、あるいは外部のものの表現である。
「欲求」は、一つの表象から他の表象への傾向性、すなわち変化の原理である。

* NE序文, 著作集4, 26頁.「何事も一挙に生じるのではない。「自然は決して飛躍しない」というのが私の大原則のひとつであり、最も確証されたもののひとつなのだ。・・・私はこれを「連続律」と呼んだ。・・・(中略)・・・私はまた、感覚でとらえられないほどの変異のゆえに、2つの個物は完全に同じではありえず、単に数ノ上デ区別される以上にこの2つの個物は常に異なっているはずだ、と指摘した。」

* NE IV, ch. 16, §11; 著作集5, 283-4頁.「自然のなかではすべてが徐々に生じ、飛躍によっては何も生じません。変化に関するこの規則は、私の連続性の法則の一部です。しかし、際立った表象を望む自然の美は、飛躍という外見を求め、いわば、現象における音楽的な抑揚を要求し、種を混ぜ合わせるのを楽しんでいるのです。したがって、どこか別の世界では人間と獣の間に(それらの言葉をどんな意味に解するかによって)中間的な種があるかもしれず、また私たちを超える理性的動物がおそらくどこかにいるのでしょうが、私たちが地球においてもっている優越性を異論の余地なく私たちに与える為に、自然はそれらを私たちから隔ててよしとしたのです。」

* マルブランシュへの応答(1687), GP III, 52.「その原理は推論において大変有用であるが、いまだ十分に用いられていないし、また、それが持つ広がり全体が知られているわけでもないようである。その原理は無限に起源を持ち、幾何学において絶対的に必然的なものであり、自然学においても有効なものである。というのも、あらゆる事物の源泉である至高の叡智が、完全な幾何学者として働いているからであり、また、それに付加 すべきものが何もないような調和に則って働いているからである。この原理は、 十分に練り上げられたのでない見解の誤りを、内部の議論に立ち入る前に、ま ず外から示すだけで証明あるいは検証するのにしばしば役に立った。その原理 は次のように述べられよう。2 つの事例の差異が所与として(in datis)与えられたもの、すなわち措定されたものとして与えられたいかなる大きさよりも小さくなるとき、その差異は求められるもの(in quaesitis)として与えられたも の、すなわちそこから帰結するものとして与えられたいかなる大きさよりも小さくなることが見いだすことができなければならない。あるいはよりくだけた言い方をすれば、次のようになる。すなわち、その二つの事例(あるいは与え られたもの)が連続的に近づいていって、一方が他方の中に消失するとき、それらの帰結あるいは出来事(あるいは求められたもの)も同様になるのでなければならない。このことはさらにより一般的な原理に依存している。すなわち、与えられたものが秩序づけられていれば、求められるものも秩序づけられている(Datis oridnatis etiam quasita sunt ordinata)。」

* デ・フォルダー宛1699.3.23; G II, 168 ;著作集9, 62-3頁.「私が用いる基本律は、いかなる移行も飛躍によって生ずることはない、というものです。この基本律は、私の考えでは、秩序の法則からの帰結であると同時に、運動は飛躍によっては生じない、つまり物体が或る場所から別の離れた場所に達するには途中を経ていかねばならない、という、誰もが認める理由にも基づいているのです。・・・(中略)・・・同じことが、場所から場所への移行のみならず、形相から形相への移行においても妥当すると考えられます。というのも、およそ飛躍による変化は、経験が拒否することだからです。もっとも私は、場所から場所への飛躍に反対するようなア・プリオリな理由も、そしてまた状態から状態への飛躍に対立するようなア・プリオリな理由も導出し得るとは考えていません。」


5. レッシャーのコメンタリー

* 変化(およびそれを生じる活動)というのは、モナドのもっとも根本的な特徴である。その操作の特徴的様式が、結局、事物がそれであるところのものとして、それを定義するものである。モナドの変化を統制する内的原理は、ライプニッツによって「欲求」と呼ばれる(cf. §15)。

* 生とは変化である。もしモナドが絶えず変化しなかったとすれば、その限りで不活性なものとなり、生命的存在者であることに失敗するであろう。そして、自然についての根本的な有機的見解に、反することになるだろう。まったき時間外的存在者である、神のみが、ここでは例外である。確かに、変化はときどき観察不可能なほど、あまりにもゆっくりである。意識的認識の境目にあるライプニッツの「微小表象」の理論が、ここでもまたライプニッツに役立っている。

* 「創造されたモナド」という彼の語りは、必然的な存在者あるいは実体である神もまたモナドとして特徴づけることを前もって準備していたことを示唆する(cf. sec. 18 & 47)。しかし、あらゆる創造されたモナドは可変であり、常に変化するのに対して、神はもちろん不変である。モナドは、避けようもない時間的・歴史的次元を授けられている。したがってそれは、モナドが合成するところの、マクロな存在者と同様である。さらに、これらの変化は、「連続的」であることにおいて、数学的に扱いやすい自然法則の庇護のもとに進む(物理方程式によって定義された曲線は、連続的・なめらか・微分可能である)。自然においては、いかなるギャップも、飛躍も、あるいは非連続性もないのであって、すべてのことは徐々に生じる。したがってライプニッツは、自然における「連続律」lex continuitatisを主張する。そして、その連続性を、宇宙を統一的全体の内にまとめあげる、一つの部分として考える(§13と比較せよ)。


6. フィシャンの注解

* なし


7. 河野与一の注解

* 『叙説』§14を参照にあげている。


8. 工作舎ライプニッツ著作集

* 註なし。


9. 池田善昭の注解

* 「連続的」について。モナドにおける変化は、内的原理からくる「欲求」に基づくこと。
* 変化が連続的である理由は、それぞれのモナドが同一宇宙を共有していて、「同一宇宙の多重化(multiplicatio)」だからであるとする。
* 「同一宇宙が幾層にも倍せられる」と述べているところを、典拠にあげている(G III, S. 623)。
* ここから、「同一宇宙とは共可能的に対応連関する連続体にほかならない」としている。【モナドに同じ宇宙が映っているわけだが、その映されたモナドにも、同じ宇宙が映っている。こうして、モナドのうちには、宇宙の中に宇宙の中に宇宙が・・・以下無限に、という多重的・多層的・無限な、入れ子構造が成り立つことになる、ということであろう。宇宙はしかしモナドの表象の能力によって映された表現であるかぎりで、現象なのであり、一つの連続体である。ただし、その連続体は、他の同一宇宙したがって他のモナドに映された連続体と、共可能的に対応しているのでなければならない。おそらく、こういうことであろう。】

10. 参考文献
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*1:Cf. G. W. Leibniz(1994), La réforme de la dynamique : De corporum concursu (1678) et autres textes inédits,
éd. et tr. fr. par M. Fichant, Vrin, Paris, p. 93-99, p. 213-223.

*2:Leibniz à Craanen, Juin 1679. in G. W. Leibniz, Œuvres choisies, L. Prenant (éd.), Paris, Garnier, 1940, p.
67-9 ; A II-1, 469-72.