labyrinthus imaginationis

想像力ノ迷宮ヘヨウコソ…。池田真治のブログです。日々の研究のよどみ、そこに浮かぶ泡沫を垂れ流し。

17世紀スコラにおける「抽象」の概念

あけましておめでとうございます。

昨年、研究会で報告した原稿に、少し手を入れたものです。

池田 真治 (Shinji Ikeda) - 資料公開 - researchmap

昨年行われた哲学オンラインセミナーでの日本哲学会ワークショップ「抽象と概念形成の哲学史」では、私自身がオーガナイザーということもあって、近世哲学をほとんど扱えなかったので、その間を埋める研究の序論として、「17世紀スコラにおける「抽象」の概念」を検討してみました。予定としては、このあと、「デカルトデカルト派の抽象の理論」、そして「ロックとライプニッツにおける抽象の問題」と続く予定です。

昨年はこれといった研究成果をかたちとして出せていないので、今年はもっと研究成果を発信できるように精進したいと思います。ブログの更新も、もう少し頻繁にできるようにしたいですね。

何より、いまだ新型コロナウィルス感染症(Covid-19)が猛威をふるっていますので、今年一年みなさまが健康に過ごせるよう、またいち早く事態が改善されるように願うばかりです。

それでは、今年もよろしくお願い致します。

 

アヴィセンナの内的感覚論と抽象化の理論についてのメモ

西欧近世哲学における抽象の理論の系譜を遡っていく過程で、どうしてもアラビア哲学におけるアリストテレスの受容と変容の問題は避けられない。むろん、抽象の理論の起源をたどれば、最終的には古代ギリシア哲学、アリストテレスの「アパイレーシス」に行き着くのであろうが、アリストテレスの抽象理論もアリストテレス受容の過程で独自に変容し、元のアリストテレスの抽象の理論とはだいぶ異なっているように思われる(このことについては、池田がオーガナイズした「抽象と概念形成の哲学史」ワークショップにおける、酒井健太朗氏の提題を参照されたい)。とりわけアリストテレス哲学の受容史で重要なのは、中世スコラに影響を与えたアヴィセンナ(イブン・シーナー)やアヴェロエス(イブン・ルシュド)であろうが、なかなか素人が手が出せるものではない(中世哲学における抽象と知性認識については、アダム・タカハシ氏の提題を参照されたい)。アヴィセンナについては近年、邦語で読める貴重な研究が幾つか出ているので、それらの紹介を兼ねて理解を補っていこう、というのが今回のブログの趣旨です。

 

小村優太氏は、「イスラーム哲学の文脈における表象力の語彙変遷史 ──イブン・シーナーにおける内的感覚論の形成──」において、(ラテン名 アヴィセンナ; 980-1037)の内的感覚論を彼の処女作『魂論摘要』に遡って分析し、イブン・シーナーがガレノス的な内的感覚論によりつつも、アリストテレスの共通感覚を復活したとする。また、イブン・シーナーは、独自に判断力を物事を判別する能力とし、共通感覚(形相把握力)に集まった形相を組み合わせたり分離したりする表象力から判断力を区別したとする。アリストテレスのφαντασίαが、アラビア語でwahmとtakhayyulと訳され、それぞれラテン語でaestimatioとimaginatioに翻訳されたという流れがあり、判断力としてのaestimatioと形相の結合/分離能力としてのimaginatioの概念はイブン・シーナーの独創であるという。イブン・シーナーは、感覚的形相の持つ内容を外的な特徴に由来するものとし、外的な特徴から判別できない内容を持つ「意味」(ラテン語でintentioつまり志向的概念)を感覚的形相から明確に分離したとする。そして、そのため表象力とは別に、意味を取り扱う能力である判断力が必要とされたと分析する。*1

 

また小村氏は、「イブン・シーナーにおける内的感覚論の形成と発展」*2で、これまで知性論の方向ばかり注目されてきた研究史を反省し、独自に知性論の背後にある内的感覚論に注目して分析している。内的感覚とは、アリストテレス『魂について』に由来するとはいえ、アリストテレス自身の哲学的枠組みにおいて明確に提示された概念ではない。内的感覚は、基本的には我々の外的な五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)の情報を処理し、さまざまな思考や表象をおこなう能力である。しかしこれら内的感覚は、知性とは一線を画して、ときには誤りをもたらし得る、正しい判断と誤った判断の双方へと導かれる可能性を持った能力でもある。イブン・シーナーは、アリストテレス以来内的感覚には含まれてこなかった共通感覚を再び登場させ、表象力と思考力を同じ能力の二側面としている。さらに彼独自の能力として「判断力」を付け加えた。

「能動知性」についても触れており、能動知性もまた、アリストテレス自身の著作中には明示的には存在しなかった概念で、アリストテレス哲学が注釈されている1000年のあいだに生じたものの代表例である。これはアリストテレスが『魂について』の第3巻第5章でほんの少し触れただけだったが、註釈者の一人、アフロディシアスのアレクサンドロス(200頃)によって発展させられ、人間の思考を現実化させるためにはたらきかける、能動的な外的存在者と考えられるようになっていったという。

また、アラビア哲学における、プロティノスらの新プラトン主義の影響も分析している。それによれば、新プラトン主義の流出説は、神からの存在の流出や、能動知性からの思考の流出といった形で、アラビア語哲学に入り、とりわけ知性論では大きな役割を果たすようになった。イブン・シーナーは知性論において、新プラトン主義的な能動知性からの流出説をもちいた説明をおこなったが、もう一方で人間の内的な抽象化による認識の純化にかんする説明もおこなっている。「イブン・シーナーの認識論において知性が取り扱う形相は純粋な定義であり、三段論法によって構成される、論理学的な知である。それ以外の諸々の地上的な思考や認識は、知性ではなく内的感覚が担っている。つまり、内的感覚の範囲は、純粋に論理学的な知的形相の世界と外的な五感の世界を除く、広大な認識の世界なのである」。

 イブン・シーナーは内的感覚と知性を明確に区別するが、これがその後のスコラの抽象理論の基礎になっていった側面が考えられる。小村によれば、能動知性からの流出という構造で説明されていた知的形相の認識にたいして、外的な感覚対象の認識を純化していくことによって完全な定義を得るという抽象化の理論は、イブン・シーナー認識論のもうひとつの柱を為すものである。「イブン・シーナーにとって知性の世界とは純然たる定義の世界であり、そこに個体性が存在する余地はない。これは現在我々が住んでいる世界とは完全に隔絶した世界であり、イブン・シーナーが抽象化理論の説明で持ち出している、想像力や判断力による抽象化こそが、日常的な意味での認識活動を担っている」。「抽象化の段階に従えば、我々は知性的認識に向かう前に、まず内的感覚による認識を経なければならない。しかしこの内的感覚の担う認識世界こそが、我々の日常的生活に密着した認識であり、きわめて広範な世界を取り扱っていることが分かる。この日常性こそ、内的感覚の認識世界の特色とも言えるだろう。想像力、表象力、判断力を含んだ内的感覚は、個体性を持った我々に近しく、日常性を伴った認識であり、さらに抽象化を通じて我々はここから知性的認識の世界へと旅立っていくのである」。

 

感覚知覚と知性的認識のあり方の違いは、その後、西欧近世〜近代にかけて認識論の大きな主題となっていきますが、その際、感覚からいかにして概念ないし観念へと変容するのか、つまり概念形成がいかにしてなされるのかという視点でみると、内的感覚論の重要性は哲学史的には見逃せないものです。アヴィセンナの抽象の理論について、内的感覚論を踏まえた小村氏の博士論文の本体もぜひ読みたいものです。

*1:小村優太「イスラーム哲学の文脈における表象力の語彙変遷史 ──イブン・シーナーにおける内的感覚論の形成──」『中世思想研究』第56号、pp. 38-48。

*2:2016年に東京大学に提出された博士論文。以下の記述はその要約を参照・引用したもの。

抽象と概念形成の問題(授業動画)

恥をしのびつつ、授業動画の一つを限定公開してみました。
前学期の「西洋思想史」の第2回目の講義です。西洋における古代から近世までの抽象と概念形成の問題をめぐる哲学思想を概観しています。
明日行われる哲学オンラインセミナーでの、「抽象と概念形成の哲学史」ワークショップの参考にもなるかもしれません。

ワークショップ「抽象と概念形成の哲学史 ―古代から現代へ―」第1回のご案内

哲学オンラインセミナーのご協力により、以下のワークショップを行うことになりました。
月1回ペースで行う予定です。
お時間とご関心のあるみなさまは、どうぞふるってご参加ください。 
日時:2020年6月21日(日) 15:00 -17:00
企画:ワークショップ「抽象と概念形成の哲学史 ―古代から現代へ―」(連続講演)
オーガナイザー:池田真治(富山大学
講演者:酒井健太朗(環太平洋大学
タイトル:アリストテレスの抽象理論の射程
公開範囲:open
共催:日本哲学

詳しくは以下の「哲学オンラインセミナー」のウェブサイトをごらんください。

哲学オンラインセミナー

A. ヴァルツィ「境界」(Stanford Encyclopedia of Philosophy)[翻訳]

SEPにある、ヴァルツィの「境界」を翻訳してみました(抜粋や参考文献、リンク等の部分は除く)。

授業資料用に翻訳したものです。また、境界の問題は、連続体の哲学をめぐる、自分の研究関心の比較的中心にあるので、自分用に翻訳を思い立ったところもあります。

しばらくgoogleドライブの方に置いておきますので、ご参照いただければ幸いです。

A. ヴァルツィ「境界」(翻訳:池田真治)

 

誤訳等、ご指摘いただけましたら幸いです。さわりの部分だけ、ブログの方にも載せておきます。

 

A. ヴァルツィ「境界」

池田真治(翻訳)

出典:Varzi, Achille, "Boundary", The Stanford Encyclopedia of Philosophy (Winter 2015 Edition), E. N. Zalta (ed.), URL = <https://plato.stanford.edu/archives/win2015/entries/boundary/>.

[最終更新:2020/06/04]

 私たちは、周囲から区切られた存在物[entity]を考えるときはいつでも、境界を考える。例えば、メリーランド州ペンシルバニア州を隔てる境界(線)がある。円盤の内側と外側を隔てる境界(円)がある。このりんごのかさ〔体積〕を囲む境界(面)がある。時々、境界の正確な位置[location]が不明瞭であったり、論争的なものであったりする(エベレスト山の縁や、あなた自身の体の境界をなぞろうとするときでさえも)。境界が何らかの物理的な不連続性や質的な差異に曲げられていることもある(ワイオミング州の境界や、同質な球体の上半分と下半分の境界のように)。しかし、鮮鋭であろうとぼやけていようと、自然的であろうと人為的であろうと、すべての対象には、世界の他の部分からそれを切り離す境界があるように見える。出来事にもまた境界がある──少なくとも時間的な境界がある。私たちの人生は、生まれた時と死んだ時に限界づけられている[bounded]。サッカーの試合は午後3 時きっかりに始まり、午後4 時45 分に審判の最後のホイッスルで終わった。概念や集合のような抽象的な存在物でさえも、それ自身の境界があることが示唆されることがあり、ウィトゲンシュタインは、私たちの言語の境界が私たちの世界の境界であると強調的に宣言することができた(1921: 5.6)。しかし、このような境界語りがすべて整合的かどうか、また、それが世界の構造を反映しているのか、それとも単に私たちの心〔精神〕の組織化的活動を反映しているだけなのかは、深い哲学的論争の問題である。

  1. 問題点

1.1 所有境界対未所有境界

1.2 自然的境界対人為的境界

1.3 鋭い境界対曖昧な境界

1.4 体なき境界対かさばった境界

  1. 諸理論

2.1 実在論者の理論

2.2 消去主義者の理論

 

アカデミーと学術雑誌の形成と文芸共和国の誕生──『世界哲学史5』「ポスト・デカルトの科学論と方法論」への補論[2]

  • この原稿は、「ポスト・デカルトの科学論と方法論」『世界哲学史5』(ちくま新書、2020年)の準備として書いたものです。巻末の年表に少し反映しました。これも、あくまで整理のために書いたものなので、ざっくりとしてますが、ご容赦ください。
世界哲学史5 (ちくま新書)

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アカデミーと学術雑誌の形成と文芸共和国の誕生

                池田真治

 

この時代の科学論と方法論を知る上で、17世紀後半に近代国家によって設立された学術協会や科学アカデミー、および学術雑誌によって形成された「文芸共和国」(République des Lettres)という文脈は無視できない。

すでに17世紀初頭には、イタリアはローマにアカデミア・デイ・リンチェイが創設され、ガリレオらがこれに加わった。1666年にはコルベールの主導のもと、ルイ14世によりパリ王立諸学アカデミー(後のフランス学士院)がパリのルーヴル図書館内に設立された。その初の外国人会員としてホイヘンスが選ばれ、ライプニッツも後に名を連ねている。アカデミー会員の学術的成果は、1665年創刊の世界初の学術雑誌である『知識人の雑誌』(Journal des Scavans)に掲載された。

また、1660年にはロンドンに英国王立協会が設立される。そこでは定期的な会合があり、実験の発表と同時に再現実験も行われ、公的な検証がなされた。そこでの科学的発見や成果は、王立協会秘書のオルデンバーグが編集者となって1665年に創刊した『哲学紀要』(Philosophical Transactions)に公表された。ボイルやフック、ニュートンらは、こうした場で実績を積みあげ、名声を築いたのである。

他方で、三段論法を確実な推論の軸とし、原理を重視するアリストテレス以来の伝統的な知識観も残存しており、実験的手法に対する批判もないわけではなかった。とりわけホッブズは原理的考察と理性的推論を重視し、実験的方法で知識を獲得できるとみなすボイルらを批判し、真空の存在に対しても懐疑的であった(シェイピン、シャッファー『リヴァイアサンと空気ポンプ』参照)。ホッブズは王立協会に所属する数学者ウォリスとも、方法論や数学理論とりわけ無限小の概念をめぐって論争した(アレクサンダー『無限小』参照)。このようにホッブズは王立協会に多くの論敵がいたが、その政治的・宗教的立場も危険視され、決して王立協会のフェローになることはなく、協会から排除されている。

スピノザはこうした学術共同体に所属したり学術雑誌媒体に出版したりせず、自らのサークル・メンバーの庇護と援助のもと、地下出版によって思想を広めていった点で興味深い。他方でライプニッツは、1682年、ライプツィヒにてオットー・メンケを編集者とする『学術紀要』(Acta Eruditorum)の創刊に主体的に関わっている。また1700年にはベルリンに諸学協会(後のベルリン科学アカデミー)の設立を主導し、自ら初代会長となっている。

これらの学術共同体は、純粋に学術を探求する文芸共和国としてオープンな側面もあったが、国民国家の黎明期でナショナリズムが芽生える当時にあっては、国家間競争を反映する場ともなり、政治的・宗教的・民族的理由による排他的側面もあったことは否めない。ニュートンライプニッツ微積分の発明をめぐり争ったように、先取権論争も盛んとなる。しかし、学術的な協会と雑誌という新たな場所と媒体の登場は、それまでの伝統的な学問様式を変革し、知識のより公共的かつ客観的な構成を可能にしたと言えよう。その点では、公的な扱いを受け、そうした学術雑誌にも出版された往復書簡の意義も大きい。

デカルトの方法──『世界哲学史5』「ポスト・デカルトの科学論と方法論」への補論[1]

  • この原稿は、「ポスト・デカルトの科学論と方法論」『世界哲学史5』(ちくま新書、2020年)の準備として書いたものです。あくまで整理のために書いたものなので、ざっくりとしてますが、ご容赦ください。
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デカルトの方法

   池田真治 

 

 17世紀の哲学と科学の革命が、デカルト一人に象徴されるのは、あまりに行き過ぎた考えだとしても、デカルトが、数学と哲学、両者の方法に大いなる革新をもたらしたことに異論のあるものはいないだろう。それだけでなく、両者の方法は互いに密接に結びついており、形而上学に基礎づけられている。それゆえに、デカルトの計画は極めて体系的な性格をもっている。

 

 デカルトが哲学の方法にもたらした重要な側面は、少なくとも二つある。一つには、数学的理論から抽出し一般化した方法を諸学に応用した数学的自然学である。もう一つには、そのような数学的方法を自然へと普遍的に適用することを正当化する形而上学的基礎である。デカルトの数学的自然学は、実験的方法と結びついた仕方で数学を自然の言語とみなすガリレオのそれと異なり、より理論的・体系的な観点から数学的世界像を描く。また、実験的検証によって諸原理を確立したガリレオに対して、デカルト形而上学によって諸原理を基礎づける。

 

 デカルトが活躍した17世紀前半にはすでに、自然の知識を数学によって厳密に操作するという理想が芽吹いていた。デカルトは、オランダにてイサック・ベークマンと出会った青年期から、数論と幾何学を統合する新しい「代数学」を企図していた。若きデカルトはこのベークマンの影響によって、「自然学的数学」的な粒子主義に立った機械論哲学を採用する。そして、機械論的に説明できず知解不可能な神秘的な力として、アリストテレスの実体的形相を拒否する。しかし仮説的方法をとるベークマンと異なり、デカルトアリストテレスの伝統的学問に欠けている「確実性」を基礎に、自らの宇宙像を構築しようとする。そこでデカルトは、その礎となる絶対的確実性を数学(算術と幾何学)に求めた。すでにその試みは、遺稿となった初期の作品『精神指導の規則』に現れている。たとえば、第二規則において、学問(知識, scientia)とは、すべて確実で明証的な認識であり、数論(算術)と幾何学がその学問のモデルとなる、としている。そして、「算術や幾何学の論証に匹敵する確実性を持ち得ない、どんな対象にも専念するべきではな」く、「蓋然的にすぎないすべての認識を斥け、完全に認識され疑いえないもののみを信じるべきである」とする。学問は、明証的で確実な知識の基礎を与える数学から出発すべきことを彼は掲げるのである。

 

 さらに、『精神指導の規則』の第四規則では、「順序(秩序)と尺度(計量的関係)に関する一般的学問」としての「普遍数学」(Mathesis Universalis)が構想される。それは、算術が扱う数、幾何学が扱う図形、そして天文学が扱う星など、個別の分野が指定する対象や尺度に限定されない、ある普遍的な学である。デカルトは、対象間の量的な「比例」関係を天文学や音楽、光学、機械学など他の諸学にも見てとった(名須川学『デカルトにおける〈比例〉思想の研究』第三部、第一章)。これによって普遍数学は、アリストテレスの「存在の類」にしばられることなく、離散量と連続量を統一的に扱い、線や面・立体という異なる次元に関する計算を扱い得るものとなる。こうして、デカルトは普遍数学によって、数学の抽象一般概念が、自然の実在的構造を規定するという自然哲学を構想した。普遍数学はこの意味で、感覚的事物や個体的実体を実在的根拠とする観点から、形而上学(第一哲学)と自然学を数学よりも優位とするアリストテレス的な存在論・学問論から脱却している。

 

 デカルトの数学的自然学が最も明確なかたちで提示されるのは、デカルトが自らの体系を原理から論証するかたちで示した『哲学の原理』(1644)においてである。引用しよう。

 

「私が自然学において受け容れあるいは要請する原理は、幾何学あるいは抽象数学の原理だけである。なぜなら、このようなやり方であらゆる自然現象を説明することができるし、またそれらについての確実な証明を与えることもできるからである。」(デカルト『哲学の原理』第II部, §64)

 

 こうしてデカルトは、自然学の原理を幾何学と数論の原理のみとし、観察・実験・仮説・帰納・科学的道具の発展と使用はここでは無関係とする。デカルトは何よりも数学がもたらす確実性を優先したのである。そして、他の諸学において混入する感覚・知覚に依存した蓋然的知識を極力排除し、その明晰判明な観念を持つもの、そしてそれらから演繹されるものに知識を限定する。

 

 さらにデカルトは、彼の形而上学によって、それまでの伝統的哲学がもっていた数学と自然学の垣根を取り除いた。アリストテレス主義では、数学と自然学が扱う対象を形而上学的に区別していた。すなわち、自然学は生成・変化する独立した存在者(実体)を扱い、数学は実体に依存する不変の存在者(単なる抽象的対象)を扱うものとした。これに対し、デカルトは、数学と自然学を統一する。すなわち、物体の本性を延長とする「物体即延長説」により、物体・空間・世界を、幾何学的延長のもとに一貫して捉えることを可能にした(『哲学の原理』)。

 

 デカルトの当初の普遍数学の構想は、その認識論的基盤をもたなかったためか、「普遍数学」という名称は『精神指導の規則』の第4規則以外では登場せず、その後すがたを消す。代わりに前面に出てくるのは「方法」(Methodus, Méthode)という言葉である。デカルトの方法論の代表作『方法序説』では、四つの規則として、明証性、分析(ないし分割・分解)、順序、枚挙が採用される(『方法序説』第二部)。とりわけ重要なのが、最初の規則である。デカルトはこの明晰・判明なものだけが確実な知識として認められるという「明証性の規則」によって、確実な知識を数学的概念に限定し、数学的自然学に基づく世界像を立てることを可能にした。この世界の第一原理となっている「明証性の規則」は、彼の『方法序説』や『省察』において、コギトおよび神の存在証明によって基礎づけられている。

 

 『精神指導の規則』ではまだ、感覚的事物から形相を可感的形象(species sensibilis)として抽象するための感覚、そしてそうした形相を可知的形象(species intelligibilis)として知性が把握するための想像力という媒介を前提するアリストテレス=スコラの経験論的認識論が残存していた。その決定的な改革をもたらしたのが、1630年のメルセンヌ宛書簡以降、継続的に主張された「永遠真理創造説」である。これは、被造物だけでなく、あらゆる真なる原初的観念(事物の本性ないし本質に対応)や永遠真理(数学的真理や物理法則を含む)も神が創造したとする説である。デカルトはこの説によって、数学的な観念や真理の実在的根拠を、われわれが自らの知性のうちにもつ生得的な観念や真理に直接基礎づける。つまり、感覚的対象からその形相を形象(スペキエス)を介して抽象して概念を形成する仕方で、可謬的な感覚や想像力に依存するスコラ的認識論の説明方式から脱して、数学的知識の確実性を人間知性の直接的な内部に基礎づけるのである。いまや数学的対象や真理は、人間知性が実在的事物から抽象し想像力が形成した虚構的産物などではなく、神によって自然のうちに創造され、それらが人間知性のうちに生得的なものとして埋め込まれたものにほかならない。そして、そのような生得的な真理の認識は、明晰・判明に認識したものは真であるとする「明証性の規則」と、その規則が正しく働くことを保証する神の存在証明によって、さらに基礎づけられる。こうして、数学を確実な知識のモデルとする学問論の、存在論的かつ認識論的基盤がデカルトによって準備され、数学的自然学の可能性が体系的に保証される。

 

 デカルトの数学的方法論は、いわゆるデカルト派(デカルト主義者、カルテジアン)に受け継がれた。例えば、長らく学校で論理学の教科書として用いられた、『論理学あるいは思考の術』、通称『ポール・ロワイヤルの論理学』の著者、アントワーヌ・アルノーとピエール・ニコルらは、デカルトと同様、数学とりわけ幾何学を知識のパラダイムとみなした。彼らは、その概念の単純性と論証の厳密性の観点から、数学のみが真の学問の本質的特徴を確立すると考えた。また、デカルトの数学的方法論は、デカルト派以外にも、ホッブズスピノザ、そしてライプニッツへと継承されていく。

 

参考文献

小林道夫デカルトの自然哲学と自然学」、井上庄七・小林道夫(編)『科学の名著第Ⅱ期 デカルト 哲学の原理』朝日出版社、1988年、v-c。

須川学『デカルトにおける〈比例〉思想の研究』哲学書房、2002年。