labyrinthus imaginationis

想像力ノ迷宮ヘヨウコソ…。池田真治のブログです。日々の研究のよどみ、そこに浮かぶ泡沫を垂れ流し。

ライプニッツ『モナドロジー』§15

1. 原文

[Et] L'action du principe interne qui fait le changement ou le passage d'une perception à une autre, peut être appellé APPETITION : il est vrai que l'appétit ne sçaurait toûjours parvenir entièrement à toute la perception, où il tend, mais il en obtient toûjours quelque chose, et parvient à des perceptions nouvelles.

変化をなす、あるいは、ある表象から別の表象へと移行をなす内的原理のはたらきは、欲求と呼ばれうる。欲求は、それが傾いているところの表象全体に、いつも完全に到達することができるとは限らないというのは確かであるが、それ[表象全体]について何かを常に獲得するのであり、したがって、新しい表象に到達するのである。

2. 備考

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ある表象から他の表象へと変化するモナドに内在的な原理を、ライプニッツは「欲求」(appetition)と呼ぶ。すなわち、「欲求」は表象の変化の原理、表象の連続性の原理である。


3. 解釈
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後半で述べていることの解釈は困難であるが、表象全体をより完全に表現しようとする「完全性への希求」を、欲求は持つのであり、その意味で新しい表象が得られるということであろう。「新しい」というのは、それまでに現れていないということで、全く何か、新しい表象を創造する、ということではないだろう。

4. 比較参照
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『弁神論』§393. 「作用しないものは、実体の名にふさわしくない」


5. レッシャーのコメンタリー

モナドが持つ複雑な内的状態は、表象に存する。表象によって、モナドはそのとりまく世界全体を表現する。表象のあるグループからその時間的後続者である他のグループへの、内部にプログラムされた動向、あるいはnisus(趨勢、傾向性)は、「欲求」と呼ばれる。

スピノザにとって、事物に基本的なことは、自己保存のインペトゥス(自ら保存されるべきコナートゥス)である。それは、事物の存在している環境existing conditionを保存するものである。

ライプニッツにとって、現実化への新しい特徴を与えるのは、自己展開へのインペトゥスである。それはある種の自己実現すべきコナートゥスである。第60節で、ライプニッツは、新しい表象へのモナドの欲求的動向は、常に、魂の自己拡張へのその努力の問題である、と考える。すなわちそれは、全体としての宇宙のより十全な見解を得ることへの努力の問題である。

・欲求について、ライプニッツは、「運動ですら一つの配置から別の配置へと物質を運ぶように、欲求は魂を一つの像から別の像へと運ぶ」とする(GIII, 347)。

・本節のもっとも決定的な単語は、「内的原理」の「内的」internalである。
というのも、モナドの状態変化(表象)の全歴史は、定義している概念によって、前もって規定されているからである。またそれは、その個体としての本性に、いわばプログラムされているからである。

ライプニッツはしばしば、この変化あるいは欲求の内的原理が、モナドの状態の展開を規定する「系列の法則」にしたがって機能すると言う。(ある作用主体の自由な行為は、「内部から」、その内在的本性から展開するという事実が、ライプニッツの予先決定の体系において自由な行為主体の可能性の余地をなすものである。)

モナドの欲求によって表現されている動向あるいは力は、あらゆる変化およびあらゆる新奇性の基礎である。この、一つの表象から別の表象への欲求的移行は、モナドの活動(能動)を構成するものである。そしてそれは任意の実体の決定的特徴でもある。ライプニッツにとって、実体および作用主体agentという用語は、実際的に同じ外延を持つものである。

・11節の短い文は、もともと別の文が後に続いていたが、ライプニッツによってあとで削られた。そこでは、モナドの変化の内的原理が力として特徴づけられていた。この節が示唆するように、それをより特別に、「欲求」として特徴づけたがっている。

・状態の内的な調整において、最善な可能世界の各々の実体は、それがなしうる限りで、他の実体と適合する。しかし、制限された本性の内在的な取り扱いにくさは、この観点から完全性を制限する。そのことは、42節でより明示的に現れるであろう。