ライプニッツ『モナドロジー』§19
1. 原文
Si nous voulons appeler Ame tout ce qui a PERCEPTIONS et APPETITS dans le sens general que je viens d’expliquer, toutes les substances simples ou Monades créées poudroient estre appelées Ames ; mais comme le sentiment est quelque chose de plus qu’une simple perception, je consens que le nom general de Monades et d’Entelechies suffise aux substances simples qui n’auront que cela ; et qu’on appelle AMES seulement celles dont la perception est plus distincte et accompagnée de mémoire.
もしわれわれが、さきほど私が説明したような一般的な意味で、表象および欲求を持つものをすべて魂と呼びたいならば、あらゆる単純実体あるいは創造されたモナドは魂と呼ぶことができるだろう。しかし、知覚は何か単なる表象以上のものであるので、単なる表象しかもたない単純実体には、モナドおよびエンテレケイアという一般名辞を当てるので十分であると私は考える。そこで、表象がより判明で記憶を伴っている単純実体を、魂と呼ぶことにする。
2. 備考
・ライプニッツは、単なる表象を持つ単純実体を「モナド」あるいは「エンテレケイア」とし、判明性の度合いがより高く、記憶を持つ単純実体を「魂」として、存在論的身分を、表象の判明性の度合いによって区別する。
・河野が”sentiment”を「知覚」と訳しているのに従った。ライプニッツは『モナドロジー』と対になる同時期のテキストである、『自然と恩寵の原理』で、"sentiment"を、「記憶を伴った表象」と説明している。「記憶」とそのまま訳しても良いかもしれない。
・「単なる表象」は無意識的表象、「知覚」すなわち「記憶」は意識的な表象としてパラレルに考えてよいだろう。したがって、ここで述べていることは、無意識的な表象あるいは微小表象しか持たないモナドと、意識的表象をも持つモナドがあり、後者を魂と呼ぶというように一般化できる。
5. レッシャーのコメンタリー
表象は判明であり記憶が伴うとき「意識的」である。したがって、ライプニッツは記憶を意識的表象、すなわち、注意され記憶されるような、十分な明晰さ・判明さ(力と活発さ)を持った表象の相関物と見ている。ライプニッツはそのような意識的表象を感覚性sentienceとして指定する。
ライプニッツは実体を3つのレベルに区別している。
1. 単なる裸のモナド(エンテレケイア)
無意識的表象を持つが、記憶や自覚を欠く。
2. 魂
意識(判明な表象や記憶に反映されている感覚性)を持つモナド。
3. 心ないし精神
自己意識(意識的表象apperception)や理性もまた可能な魂(§29-30)。