labyrinthus imaginationis

想像力ノ迷宮ヘヨウコソ…。池田真治のブログです。日々の研究のよどみ、そこに浮かぶ泡沫を垂れ流し。

クーチュラと『ライプニッツの論理』

GWに入って、ようやく溜まっていた仕事に集中する時間が少しとれそうです。手始めに、とある事典で担当した項目のうち、クーチュラと『ライプニッツの論理』についてドラフトを書きました。

制限字数内にまとめるのが大変で、資料の消化と執筆にずいぶんと時間をかけたわりには、内容を十分に盛り込めなかったように思います。いずれ、クーチュラの無限論や論理計算をはじめ、論理学・数学の哲学についてはもっと深く掘り下げて研究してみたいと思います。クーチュラに関してはあまり日本語では研究がないように思うので、次は論文などもう少し大きな媒体で、何かまとまったものを書きたいですね。

ラッセル、クーチュラ、カッシーラーの「ライプニッツ3大基本書」を振り返る〉、のようなシンポジウムも、そのうち企画できたらいいなと考えていますが、果たしてお客さんは来てくれるのだろうか。

 

クーチュラ

LouisCouturat1868-1914

  フランスの哲学者・数学者。ライプニッツや数理哲学を研究、国際言語計画にも従事した。パリに生まれ、1887年に高等師範学校エコール・ノルマル・シュペリウール)入学。1890年に哲学教授資格を取得するが、数学の勉強を続けるため1892年まで在学。1896年、博士主論文『数学的無限』を提出。ラシュリエポアンカレの弟子、またラッセルの友人として、多くの数学者・哲学者と交流。1901年に『ライプニッツの論理』、1903年に『未編集の著作と断片』を出版。遺稿から汎論理主義に基づく新しいライプニッツ像を提示し、ライプニッツ研究を革新。『論理の代数学』(1905)も、クラトフスキやルネ・トム、タルスキら著名な数学者・論理学者に影響を与えた。1914年8月3日、車の運転中に軍用車と衝突し事故死。46歳で早逝。

【初期カント主義】

 1896年、エミール・ブトルーやタヌリらの審査の下、『数学的無限』で文学博士号取得。哲学を事象ではなく観念、自然の法則ではなく精神の法則の研究とみなし、カントの批判的認識論を採用。第一部「数の一般化」では、既存科学による数学的無限のア・ポステリオリな論証、第二部「数と大きさ」では、数の経験主義を批判し、数と大きさの概念を分析することで、数学的無限のア・プリオリな論証を試みた。ルヌーヴィエとカントの有限主義を批判し、論理と理性を区別するクルノーに接近。無限を数学と形而上学双方の観点から擁護し、数学に理性主義的な基礎を認めた。

【カント主義からライプニッツ主義へ】

 ライプニッツに関する著作を出した1901年以降、カント主義を放棄。思想の普遍性を支持し、経験から独立な哲学と科学との間の対応関係を措定する、徹底した理性主義者となった。また1904年のカント没後百年記念に際し、近代の論理・数学の進展の観点から、直観と総合を根幹とするカントの数理哲学の枠組みを根本的に批判。カントはアプリオリな総合判断の存在を主張し、形而上学と数学の間に明確な境界を引いた。それに対してクーチュラは、ライプニッツの体系の核心を「あらゆる真理は分析的である」という理性的原理に洞察し、形而上学的思惟と数学的発見の紐帯をライプニッツの論理学に発見する。そして、論理と数学の融合を果たした点で、カントよりもライプニッツに理があるとする。

【数学の哲学】

 さらに、新しいアルゴリズム的論理の真の起源をライプニッツに見出す。ラッセルの『数学の原理』(1901)にインスパイアされ、1905年、『数学の原理』を出版。記号論理学の進展をコンパクトにまとめた概説書である。同年『論理の代数学』も出版。論理学は、クラス概念やそうした概念間の包摂関係以外にも、多くの種類の概念や関係を研究する必要がある。こうして、「数学の真の論理は関係の論理である」と主張。それは、ライプニッツが予見しブールが築き、パースやシュレーダーが発展させ、ペアーノとラッセルが確立したものの延長にある。フランスに記号論理学を導入、その価値をめぐってカント的なポアンカレと論争した。

【国際言語研究】

 もう一つの主要な活動は、異言語間のコミュニケーションを成立させる、補助的な国際言語の探究である。これも、ライプニッツ研究を通じて普遍言語計画に関心をもったことに起因する。普遍言語の歴史を分析し、従来の哲学的言語が思想と言語の間の完全な対応を目指したとする。それに対し、あらゆる自然言語に中立的で、自然言語をモデルとするより現実的な人工言語を目指した。(池田真治)

(文献) Louis Couturat, De l’infini mathématique, Albert Blanchard, 1973; L’algèbre de la logique, 2eéd., Albert Blanchard, 1980. M. Fichant et S. Roux (éd.), Louis Couturat (1868-1914) : Mathématiques, langage, philosophie, Classiques Garnier, 2017.

 

ライプニッツの論理』(クーチュラ)

La logique de Leibniz, 1901

 クーチュラは博士論文提出後、ペアーノ学派やホワイトヘッドの普遍代数を介して、ライプニッツの論理学を研究。数理論理学の展開をその起源に遡って再構成し、研究を前進させようとした。本書によりライプニッツの論理学を遺稿資料から解明。また理性主義を標榜し、当時支配的だったカント的思考と対峙。カントはア・プリオリな総合判断を主張し、形而上学と数学の間に明確な境界を引いた。それに対し、ライプニッツでは、必然的/偶然的を問わず、あらゆる真なる命題はその述語を主語のうちに含む。すなわち、あらゆる真理は項の分析によってア・プリオリな同一命題に還元されうる。理由律を「あらゆる真理は分析的である」と解釈し、ライプニッツ形而上学がこの論理学的原理のみから生じるとした。こうして、論理学は形而上学と数学を繋げる紐帯として体系の中心に置かれる。実在に理由は完全に浸透しているので、実在は理性によって完全に看破可能である。ライプニッツ哲学を理性主義の最も完全な体系的表現と見て、「汎論理主義」と特徴づけた。

 ラッセルも論理主義的解釈を提出したが、内容は異なる。ラッセルはライプニッツの論理学を判断分析の認識論とみなし、ライプニッツの体系がいくつかの原理に還元されるものの、それらが互いに矛盾しているとした。他方で、クーチュラにとって論理学はアルゴリズム的な論理計算であり、普遍記号法とも結びつくものであった。またクーチュラは体系の整合性を主張し、ライプニッツの論理計算や位置計算に現代的な関係の論理学の萌芽を見る。しかし、アリストテレスやスコラの伝統に対する教養と尊敬が、その展開を阻害したとする。汎論理主義の影響力は大きく、広く受容された。個体的実体をモナドと同一視し、体系を論理のみから展開して神学や動力学を無視したなど批判もある。(池田真治)

(文献)Louis Couturat, La logique de Leibniz, d’après des documents inédits, Félix Alcan, 1901 (Georg Olms, 1985).

 

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