labyrinthus imaginationis

想像力ノ迷宮ヘヨウコソ…。池田真治のブログです。日々の研究のよどみ、そこに浮かぶ泡沫を垂れ流し。

「哲学史の哲学」研究に向けてのメモ(1)――まず自らの哲学史研究を反省する――

哲学史の哲学、哲学史の方法論について、自分なりに考えてみたい。まだ十分に考えを練っているわけではなく、まだ模索段階であるし、断続的にならざるをえないであろうが、ご容赦願いたい。私もまだ哲学史研究者の駆け出しのペーペーにすぎない。しかし哲学史研究者のハシクレとして、「哲学史」そのものについて多少とも考える時間をつくるべきだろう。

哲学史」といっても、分野ごとのたこつぼ的状態になっていると思われるので、およそ哲学史の一般的方法論なんてものを模索するのは単なる夢物語かもしれない。たとえば体系的著作のあるカントにはカントの業界の流儀があり、体系的著作のないライプニッツにはライプニッツの業界の作法があろう。よくある他分野批判は、一方のモノサシで他方を測ることでなされるが、他方について無知である場合、生産性のまったくない不毛な議論になりかねない。余計な喧噪にはかまわず自分の分野に閉じ籠もって専門性を磨いていった方が、生産的な面も確かにある。しかし、学問において、普遍性を目指す試みも忘れてはならない。哲学は、その意味では普遍的な知を目指す傾向が他の分野に比べもっとも強い学問であるし、ある統合的知性には哲学史の知識が不可欠であろう。例えば、ある哲学理論があったとして、それをこれまでの哲学の歴史のなかに位置づけることができなければ、その哲学理論の意義を理解することはできないからである。

ここでは哲学史について哲学するが、果たして各人が「哲学」として理解しているものにかなっているかどうかはわからない。私のように17世紀という時代を研究するものにとって、「哲学」ということばを発するにはかなり高いプレッシャーを強いられる。私も哲学者であるという自負を持ちたいのであるが、サンプルが天才の世紀の人物たちだけに、うかつに自分を哲学者などとは言えない。しかし、そうすると哲学ということばを使えなくなってしまうので、ひとまずは哲学ということで、「省察」ないし「考察」程度のゆるい意味でご理解いただきたい。哲学史について、その思考の痕跡を何でもいいから残す、という動機で書いていくものである。つまり、あまり期待せずに、温かい目で見てもらいたい。

まずは哲学史の方法についての主観的かつ独断的な分析からはじめたい。客観的で公正な哲学史の方法について模索するのは、まだ次の課題で、何の準備もまだできていないからである。

自分の専門は、西欧17世紀の数理哲学史である。数理哲学史とは、数学と哲学の相互交流を歴史的に明らかにしていくものだ。分野・ディシプリンに関しては、いちおう哲学の中での哲学史に属する。数理哲学史は、数学史との差別化もはかっている。数学史が数学理論の発展史の中でその時代の数学的実践に注目するのに対して、数理哲学史は必ずしも数学的発展には貢献せず数学的関心からも数学史に登場してこないような、哲学サイドの数学論も考察の対象とする。たとえば17世紀の哲学者は多くが、同時に数学者であったり、数学について述べているわけだが、彼らの哲学思想の中での数学論や、数学の発展が彼らの哲学思想にどのような影響を与えたのかなどについて研究する。研究によっては、数学史により偏る場合もあれば、哲学史により偏る場合もあろう。したがって数理哲学史の方法は、数学的知識と哲学的知識のバランスが問題になるし、一般的な哲学史の方法ともまた異なる特殊な部類に入るかもしれない。数学の哲学は、哲学の発展から見ればその中核的な部分に入ると思うが、数学の素養と哲学の素養が要求されるし、この専門分化した時代に両方の専門家になるというのは極めて難しい。歴史的にやるにしても、時代によっては語学的なハードルが高いため、いかんせん時間がかかる。専門家になったところで、大学にポストはなく、定職は確約されない。哲学はたいてい人文系の学部に属すが、(運良く前任者が数学の哲学を専門にやっているのでもないかぎり)人文系学部の哲学コースに数学の哲学を専門とするようなポストがあるわけではない。哲学や思想史の授業に数学的なことを少しでも盛り込もうものなら、数学の苦手な人文系の学生は戸惑うばかりであろう。このためか、日本だとまともにやっている研究者はほとんどおらず、世界的に見ても極めてマイナーな分野である。自分も大学では、一般的な哲学の入門的講義や近・現代のざっくりとした西洋哲学史の授業を主な仕事としている。なので、数理哲学史の方法はひとまず置いておいて、まずは哲学史一般の方法について模索していきたい。

哲学史の方法」を主題として単著や論文という何かきちんとした形で残している方は、それほど多くないのではないかと思われる。自分とて、自分が考えている哲学史の方法を明文化したことはおそらく今までになく、あっても簡単なメモ程度のものであろう。おそらくたいていの方がそうだろうと思うが、私自身、哲学史の方法論をきちんと確立してから哲学史研究に臨んだわけではない。これまでに大学や大学院、留学時代に受けた授業や、哲学史の研究書や原典を読みつつ、デカルトライプニッツを中心とするこれまでの哲学史研究から慣習的に、なんとなく自分にフィットした研究スタイルを形成してきたにすぎない。

ただ、自身の研究を振り返るに、当初から比べると哲学史に対する意識やスタイルがずいぶん変わってきているのではないかと思う。学部時代は語学的制約から英語の論文を読むことが多く、分析哲学の影響の強い英米圏のライプニッツ研究から方法論を学んできた。分析哲学は、専門的に研究するには十分なサーベイをしなければまったくついていけないし、議論における頭のキレやセンスがものをいう恐い分野であるが、少なくとも入門部分は仮定される知識も少なく、明快に書かれた良書も多く、論理学の初歩でも身に付いていれば、アクセスが容易である。哲学は頭の良さが勝負なところがあるが、論理的分析や哲学的読解のスキルは、訓練である程度までは身に付くものである。学部生時代は、石黒ひで先生の『ライプニッツの哲学』や飯田隆先生による『言語哲学大全』やクワイン分析哲学の影響を受け、分析哲学系のはやりのテーマと結びつけて、哲学史を研究する傾向があったように思う。大学では哲学科に所属していたが、日本ではめずらしく論理学や集合論の授業があり(海外では当たり前だが)、それらを受けたことから、数学という学問に対する関心が芽生えた。現象学にも関心があり、フッサールも授業や勉強会で読んで、綿密なテキスト読解を通じて得られる理解の喜びも味わうことができたが、分析系の議論の明晰さや論理学の証明の厳密さにより学問としての魅力を感じた。

しかし、学士入学で遅れて哲学という分野に飛び込んだ私にとって、現代では数学者に等しい論理学者になれる自信もなく、ほぼ同時期ではあるが、フランス語圏のライプニッツ研究や数理哲学史的研究にも関心を払っていた。ラッセルは確かに明快であるが、彼よりもクーチュラの綿密なライプニッツ研究がすぐれていると思ったし、好みであった。卒論はクーチュラの影響で、ライプニッツの論理学に関するテーマで書いた。ベラヴァルの『ライプニッツデカルト批判』は、大学院時代の愛読書であった。フランスのライプニッツ研究は、一方で広範な哲学史的教養を踏まえ、他方で綿密なテキスト・クリティークを行い、そこから哲学的意義や展望を与えるというところに定評があるように思う。哲学史研究が哲学的面白さをもつところにまで到達している印象をもった。ライプニッツはドイツ人だがフランス語で多く書いたし、ドイツよりもその点では有利である。英語やドイツ語は自分で勉強してもなんとかなるだろうが、フランス語は苦手だったので、これはもう現地に留学するしか身に付ける方法がないと思い、フランスに留学した。

留学したのはエクサン・プロヴァンスとう南仏の風光明媚な街で、数学的エピステモロジーの代表的研究者Gilles-Gaston Grangerがかつて在籍していたところである。そこにはズバリそのもののEpistémologie専攻が開設されており、私はその修士課程に在籍した。私が留学したときにはGranger氏はもう退職されていたが、弟子のAlan Michel先生(積分論・測度論のエピステモロジーが専門)がおられ、指導教員となってもらった。今はソルボンヌに移られたが、ライプニッツ研究者であるJean-Baptiste Rauzy先生もおられたことが、エクスに留学をした決定要因である。彼の主著『ライプニッツの真理論―論理学と形而上学の観点から』は、分析系の言語哲学をも踏まえながら、古代や中世・近世の哲学史の背景もおさえて、ライプニッツの論理学と形而上学の関係を明らかにしていくスタイルで、圧巻である。Rauzy先生にも指導教員となってもらった。留学資金もなくなりかけたころに、論理学の哲学が専門のCrocco先生がオーガナイズするゲーデルの遺稿研究のグループに入れてもらい、ライプニッツゲーデルの関係に関する研究でCNRSの非常勤研究員にやとってもらった。その後、運良くポスドクにも採用してもらった。予算がなくなり、研究員の身分もなくなって、今後どうするか困り果てていた頃、ソルボンヌに移られたRauzy先生に呼んでもらい、パリ-ソルボンヌ大学(パリ第4「概念と言語」)の博士過程に登録した。ただほぼ同時期に、応募していた大学から採用の知らせがあり、ソルボンヌに籍だけは残したまま、日本に帰国することになった。わずか三ヶ月のパリ滞在であったが、カルティエ・ラタンやビブリオテーク・ナショナルで日中は研究をして過ごし、休日は美術館や博物館をめぐり、世界からパリにやってくる研究者たちと交流をする、極めて充実した期間であった。

なぜかつらつらと自分の研究史を述べてしまったが、「哲学史」に対する自分のスタンスを知る上で、反省する必要があったからである。まだまだ経験は浅いのであるが、5年強のフランス留学経験を踏まえて日本と西洋の哲学史研究に関する私の所見を言えば、写本や草稿から起こして、受け継がれている文献研究・歴史研究のノウハウを武器に、文化的背景や言説空間を踏まえ、マルチな言語能力を駆使して(そもそも母国語だったりする)成果を発表するスキルを目の当たりにして、日本で研究しているだけだと西洋の水準ははるか遠い距離にあることを肌で実感した。

むろん、日本の哲学史研究者にも、ヨーロッパの国際的な哲学史研究者のレベルに達している方もいるだろうし、すぐれた業績もあると思うが、一般的なレベルは、ヨーロッパの研究水準の高さと徹底ぶりと比べると、あんまり参考にならないのでは、という気がしている。少なくとも私が観察してきた限りでは、出版されている研究書や学術書の段階でかなりの乖離がある。日本では入門者向き・一般向きに書かれたすぐれた本ばかりが目立つが、本格的研究はあまり出版されない。フランスだと入門レベルの本でも、さすがに哲学の国だけあってかなり水準が高く、質・量ともに圧倒的である。これはもはや、哲学が社会に受け容れられている位置づけに起因する、乗り越えられない文化的な壁であると思う。

周知のように政府による国立大学の人文社会系に対する予算の大幅削減という追い打ちもあり、哲学・思想系の後任人事が凍結・廃止される傾向のなか、哲学史研究を継続・発展させる研究基盤そのものが先細りしてきている。日本は明治以降、西洋文化の受容に積極的に努め、西洋哲学に関しても飛躍的に吸収され、独自な哲学文化を育み得るところまできたが、大戦期や戦後にそれを継続・発展していくという努力を国家レベルで怠ってしまったのではないかと思っている。海外からも一目置かれるような、オリジナルな哲学文化の形成にはまだ至っていないのではないか。

人文系学問に対する無理解的批判が席巻する今日の風潮の中で、およそ社会の実利的側面に貢献しないと思われている最たる学問である、哲学を研究する意義もまた問われている。そのような中で、哲学における哲学史の位置づけも問われ、哲学史研究の哲学に対する意義を考察するワーキング・グループが立ち上がっており、まだ本格的な活動は始まっていないが、私もメンバーとして参加している。

自分も、数学と哲学の交流を歴史的に考察する「数理哲学史」という分野の立ち上げ・再興を企図しており、「数理哲学史」の方法をずっと模索しつづけている。数学と哲学の関わる部分、ここが哲学史の核だとさえ思っている。実際、近代科学・近代哲学の礎を築いたデカルトライプニッツらは言うまでもないであろうし、現代哲学の主要潮流を作った哲学者の多くが、数理哲学から出発している。ただ、やはり数学と哲学と歴史という3つの要素を、西洋諸言語の理解を踏まえて扱うというのはそれなりにかなりハードであり、非常に苦労している。見本となりうるまとまった成果を自ら出さねばならないが、現状ではいつそうしたことができるか見通しが立っていない。

参考にしているのは、フランスで培われてきた「数学的エピステモロジー」の手法である。私は2006年9月から2011年3月までフランスに5年半留学し、数学と哲学・学問的認識論を綜合的に考察する「数学的エピステモロジー」について、多少とも本場で触れてきた。この分野では、数学者でありかつ哲学者であったJean Cavaill`esやAlbert Lautmanを皮切りとして、古代からデカルトやカントに関する数理哲学を展開したJules Villemin、そしてその伝統を受け継ぐGilles Gaston Grangerらが代表的である。翻訳がまだないが、数学と哲学それぞれの要素を踏まえているLéon Brunschvicgの『数理哲学の発展の諸段階』Les Etapes de la Philosophie Math'ematiqueが、この分野への恰好の入門であるかもしれない。現在のフランスでも、往年の勢いはなく衰えてきているとは思うが、Hyoura SinaceurやJean Petitot、M. Salanskis、G. Heinzmann、Marco Panza、Jean-Pierre Belna、Jacqueline Boniface、若手ではDavid Rabouinなどがおり、まだ「数学的エピステモロジー」の系譜は続いている。いずれ近いうちに、数理哲学史研究の範となりうる古典の翻訳を手がけなければならないだろう。

「数学的エピステモロジー」では、ある数学的概念や数学理論の発生を、当たり前だがきちんと数学的内容の把握を踏まえた上で、哲学史・数学史のコンテキストで考察する分野である。〈数学的〉エピステモロジーとわざわざ「数学的」を冠して言ったのは、フーコーやカンギレム、そして現代フランス思想を介して日本で流布しているところの、フランスの「エピステモロジー」(科学的認識論)とは、研究対象に向かう意識や方法論が異なるように思うからだ。ただ源流としては、数学的エピステモロジーも科学的認識論も同じだと思う。日本にも、ごく少数であるが、数学的エピステモロジーを研究している研究者がいる。いずれにせよ、数理哲学史研究の基盤を確立することが急務である。

話を哲学史一般に戻そう。
以前、私の恩師でもある故・小林道夫先生が責任編集した『哲学の歴史』(中央公論社)のようなものは、これからはもう出版できないだろうという見通しを、とある先生(小林先生本人だったかもしれない)から伺ったことがある。哲学史をそもそも研究する人員が減っていくことを踏まえてのことだと思うが、あるいは何かもっと本質的な問題を示唆してのことだったのかもしれない。自分もまた、哲学史研究の将来は、見通しが暗いという認識がある。

そのような中で、哲学史研究はどうあるべきかについて、自分でもはっきりとした意見をもってみたいと思っているし、確固とした方法論をもって、哲学にとって意義のある哲学史を研究したいと考える。