labyrinthus imaginationis

想像力ノ迷宮ヘヨウコソ…。池田真治のブログです。日々の研究のよどみ、そこに浮かぶ泡沫を垂れ流し。

方法

「哲学史の哲学」研究に向けてのメモ(6)――「哲学史の研究こそ哲学の研究である」とするヘーゲルの見解について――

ヘーゲルは「哲学史の研究こそ哲学の研究である」と述べたことで有名ですが、はたしてそのような主張はいかにして導かれたのでしょうか。今回は、このことを確認したいと思います。そこで、 ヘーゲル『哲学史序論――哲学と哲学史――』武市健人 訳、岩波文庫、1…

「哲学史の哲学」研究に向けてのメモ(5)――「哲学史は哲学か?」という問いそのものを問う――

哲学史研究者がつねに念頭におかなければならないのは、ウィトゲンシュタインの「哲学は学説ではなく活動である」(『論理哲学論考』4.112)に象徴されるタイプの批判である。ウィトゲンシュタインがどういう意味を込めてこの言明をなしたのかは詳しくはわか…

「哲学史の哲学」研究に向けてのメモ(4) ――カッシーラーの哲学史の方法――

西洋思想史の授業準備のためにカッシーラー『認識問題』を第一巻から読みはじめる。その序文に、カッシーラーが哲学史の方法について少し書いているのでメモ。 「哲学史は、それが真に学問であるかぎりは、多彩に継起する事実を知るのを学ぶための収集品陳列…

「哲学史の哲学」研究に向けてのメモ(3)――ゲルーの哲学史の方法――

桜も散りつつあり、新しい季節の新鮮な気分からやや落ち着きを取り戻しつつある。そろそろ自己の体験に基づく主観的・独断的な哲学史の哲学に関する考察から離れて、より客観的な哲学史の哲学を徐々に展開していくべき頃合いであろう。といっても、哲学史の…

「哲学史の哲学」研究に向けてのメモ(2)――古楽とのアナロジーを通じて――

最近、また毎朝6時に起きて、NHK-FMの「古楽の楽しみ」を聴くのが、一日のはじまりの日課となった。昔、都内の予備校に通うべく朝早く起きるために、たまたま目覚まし代わりにラジオ番組「朝のバロック」を聴きはじめた。これが、バロック音楽に関心を持ち…

「哲学史の哲学」研究に向けてのメモ(1)――まず自らの哲学史研究を反省する――

哲学史の哲学、哲学史の方法論について、自分なりに考えてみたい。まだ十分に考えを練っているわけではなく、まだ模索段階であるし、断続的にならざるをえないであろうが、ご容赦願いたい。私もまだ哲学史研究者の駆け出しのペーペーにすぎない。しかし哲学…

アカデミック・ライティング(論文の構成篇)

「アカデミック・ライティング」講習なるものを先月受けた。「アカデミック・ライティング」というのは、単に学術的な論文のことではない。それはあくまでも、「欧米の」学術的なスタイルに基づく論文の書き方のことだ。そこでは、「日本的な」物書きのあり…

翻訳術

今後,翻訳の仕事も引き受けることを想定して,翻訳の方法を身につけておきたい. ……と,前から思っていたものの,なかなか実行できずにいた. 想うに,翻訳の仕事というのは, A) 自ら進んでやる場合,B) 人から引きうけてやる場合 とがあるだろう.残念な…