labyrinthus imaginationis

想像力ノ迷宮ヘヨウコソ…。池田真治のブログです。日々の研究のよどみ、そこに浮かぶ泡沫を垂れ流し。

「哲学史の哲学」研究に向けてのメモ(3)――ゲルーの哲学史の方法――


桜も散りつつあり、新しい季節の新鮮な気分からやや落ち着きを取り戻しつつある。そろそろ自己の体験に基づく主観的・独断的な哲学史の哲学に関する考察から離れて、より客観的な哲学史の哲学を徐々に展開していくべき頃合いであろう。といっても、哲学史の方法について書かれた論文やモノグラフを参考にするくらいしか、方法が思いつかない。

哲学史に関するゲルーの「構造の方法」

フランスの哲学史の大家、マルシャル・ゲルーが哲学史の方法について述べている論文があるので、まずはそれを参考にしたい。デカルトライプニッツスピノザなどを研究していて、ゲルーを知らない人はいないだろう。

[1] Martial Gueroult [1974] "La méthode en histoire de la philosophie", Philosophiques, 1 (1) : 7-19.
[2] Martial Gueroult [1979] Philosophie de l’histoire de la philosophie, Paris : Aubier Montaigne.


[1]の論文「哲学史の方法」は1970年のオタワ大学哲学部での講演原稿である。[2]の『哲学史の哲学』という著作は、その主題のもとに単著にまとめたものである。[2]は、昔に少しだけ目を通した記憶があるが、レジュメも見つからないしおそらくきちんと読んではいないので、まずは[1]にざっと目を通してみた。この講演をした頃、ゲルーはスピノザに関する著作を書いていたようで、まとめをご覧いただければわかるように、スピノザにかなり影響を受けた方法論が展開されていることを念頭に置いて読んだ方がよい。


ゲルーはそこで、哲学史家には、「哲学の水平な歴史」と「哲学の垂直な歴史」の二つの視点のあいだで選択があるとする。前者は、理論(学説)の展開、思想やテーマ・問題の変遷を歴史的に追っていく哲学史のもっとも正統な視点で、人間思想の生成を動的に見ていくものである。こちらのアプローチの利点は、卓越的に歴史的なところである。だが同時にそれは欠点でもあり、歴史の側面で得るものがある代わりに、哲学の側面を失う。後者は、より歴史的ではないが、学説の意味について哲学的な省察を目的にその固定と深化を重視するもので、哲学的である。それは、思想の集合的運動をそれほど気にかけない代わりに、各々の著作に込められた深遠な哲学的意義を追求するものである。


ゲル―は、この二つの視点に基づき、哲学史には二つの学派があるという。第一の学派は、資料と伝記による哲学史の方法の実践によって、歴史へのバイアスをとる方法をとるとする。そこでは、各々の哲学者がある時代に生じた出来事であるかのように扱われる。

ゲルーは、たしかにこの方法が不可欠であるとする。ある理論がどこで生じ、どのように展開したのかについての状況や、その時代で用いていた言葉の特有な意味や固有の問題などの文脈について知ることは、作品をきちんと理解しようと思うからには決して無視できないことだからである。

問題は、この方法で十分なのかということである。その理論がもつ独自性を過小評価しかねないリスクがあるし、それがもつ普遍的な射程を剥奪してしまうかもしれない。作品そのものよりもそれを書いた人や人生の歩みに関心が行ってしまいかねない。その意義は、元来の意図ほどには実現された理論のうちに探究されない。ただ、時代や場所、資料、影響関係を考察することは不可欠であるので、ゲルーはこの方法が予備的な考察としての位置づけはもつとする。


ゲルーが提起する第二の学派――それはゲルー自身が支持する方法でもある――は「構造の方法」(la méthode des structures)というものである。それは、著者の仮定的な内面性よりも著作の内面性を探究することを重視する。著者はもはや眼前にはおらず、その主観的な本来の意図は伺うべくもないのに対し、著作は眼前に客観的な対象としてあり、その分析はわれわれの手にかかっている。したがって、構造の方法とはまず何よりも「分析の方法」である。しかしそれは単なる分析ではない。それは、どうしてこのような概念的な配置やテキストの構成がなされたのであって、ほかではないのかを探究する。構造を示すだけではなくて、その構造がとられた「秩序の理由」(la raison de l’ordre)も問うわけである。したがって、構造の方法とは「理由の方法」でもある。例えば、スピノザの『エチカ』で言えば、その論証を分析することと、いくつかの可能な論証のうちでどうしてあちらではなくこちらが選ばれたのかを示すことは別の事柄である。こうして「諸概念の建築術」を知ることは、その理論のもっとも深遠な意図にしたがって概念そのものを知ることになるのである。

まとめ

まとめると、ゲルーの言う哲学史における「構造の方法」とは、ある哲学者の理論について、それが主張された著作の理性的構成」(la construction rationnelle)、すなわち諸概念の建築術と諸概念の論理的な繋がりを分析することで、著作が内面に秘めている哲学性――ゲルーは哲学が、ディルタイの言う「世界観」(une vision du mode; Weltanschauung)としてあるというよりも、「概念の世界」(un monde de concepts; Gedankenwelt)として定義されるべきであると考えている――を明らかにするものであろう。


このように、ゲルーはある種の「構造主義」的な哲学史の方法を提起している。ゲルーは、この「理性的構成」が、厳密な論証に基づいて確実な知があることを真理認識として課しているのであって、その意味で哲学は詩や宗教などよりも科学に極めて近いとする。哲学的な体系と科学の体系はむろん異なるが、問題を解決するという点では同様である。哲学は問題を立てたらその解答を与えねばならず、その解答は、数学のように、定理というかたちで論証されねばならないものなのである(スピノザ幾何学的方法)。すなわち、ゲルーにとって哲学史とは、哲学的著作がもつ諸概念の論理的な連関を解明し、それによって哲学者がもつ「概念の世界」を理解する、一つの科学的な営為なのだ。

考察

前半は、まず哲学史の2つの方法が紹介される。一つ目は、哲学史を横軸にとった時間の進展に沿って哲学史上のある学説やある問題の発展史を研究する方法である。もう一つは、ある時点を串刺したものを縦軸にとってある著者の特定の作品を深く掘り下げて探究する方法である。前者は歴史的にすぐれているが哲学的な分析が浅くなりがちで、後者は哲学的に深いものとなるが歴史的には視野がせまくなりがちである。これらは理念的に分離して語られているが、おそらく互いに相補的な二つの局面であって、いずれも哲学史の方法としては不可欠なものであろう。

後半は、2つの学派が紹介される。一つ目は哲学者本位の哲学理論の形成史・発展史を重視する学派である。ゲルーは著者に注目して哲学史の中にその哲学思想を位置づけることは不可欠な作業であることを認める。しかし、著者が哲学史を語るわけではなく、あくまでわれわれはテキストを考察対象としなければならない。そこで重要になってくるのがテキストの分析手法であるが、ここでゲルーに独自な第二の学派として唱えられるのが「構造の方法」である。「構造の方法」とはテキストの「分析の方法」のことでもあり、それは著作で用いられる主要概念の連関やテキストがそのように構成された理由、すなわち「概念の建築術」や「秩序の理由」を問うものである。したがってそれは「理由の方法」でもある。

ゲルーは晩年、スピノザ研究を行い、『エティカ』の構成に沿った注釈・研究書を1968年(第1巻)、1974年(第2巻)に出している。エチカの各巻に対応する続巻を刊行するはずであったが、死によって未完に終った。論文はその影響を受けてか、終盤に行くにしたがい、スピノザが『エティカ』でとった幾何学的方法と、構造主義哲学史への応用を融合したような感じで議論が展開されている。ゲルーがこのような構造主義的な哲学史の方法で目指すのは、著者がその著作にこめた「概念の世界」、すなわち諸概念のあいだの論理的な連関を解明することである。

ゲルーは、諸概念の論理的な結合に科学的な厳密性、そし分析により「概念の世界」を解明するところに哲学性を見ている。諸概念の構造的連関は、さらにその時代の歴史的コンテキストと結びつけられることによって歴史性も確保されよう。この意味で、ゲルーの哲学史の方法は、歴史性と哲学性の双方を組み込んだ哲学史の科学的な方法論としてあり、哲学史の誠実かつ精密な方法として同意できるところが多分にあるように思う。

しかし、ゲルーが主張する構造主義的な哲学史は、かなり厳しい厳密性の基準を哲学史に要求しているようにも思われる。しかも、厳密性についても、諸概念の配置の解明がどこら辺までテクニカルな作業となりうるかは、ゲルーはまったく明らかにしていない。それはスピノザ幾何学的方法と同様に、みかけの形式性に惑わされて、実際にはあやしい建築物となる危険性も孕んでいる。こうなると果たして、このような哲学史の数学的方法が本当に存在し得るのかすら、私には良く分からなくなってくる。ゲルーは果たしてそのような構造の方法に基づいた哲学史のサンプルを実際に築くことができたのだろうか?ゲルーのスピノザ本はそうなっているのだろうか? ゲルーの方法論の応用が果たして成功したのかどうか、別個の検証課題である。

ともあれ、ゲルーがここで行っているのは、まだ一般的な方法論として定着する前の段階での、構造主義哲学史への先駆的な応用であり、テキスト(フーコー的に言えば言説空間となろうか)の構造研究を優位とする哲学史のより客観的・科学的な手法を模索した点を評価すべきなのであろう。

ここでわかることは、哲学史の方法とて、その時代の先端をいく哲学理論と密接に結びつけて考察するべきであるということである。われわれの時代の精神と結びついた哲学史の方法とは何であるのか、ということが問われねばならないのだろう。