labyrinthus imaginationis

想像力ノ迷宮ヘヨウコソ…。池田真治のブログです。日々の研究のよどみ、そこに浮かぶ泡沫を垂れ流し。

デカルトの方法──『世界哲学史5』「ポスト・デカルトの科学論と方法論」への補論[1]

  • この原稿は、「ポスト・デカルトの科学論と方法論」『世界哲学史5』(ちくま新書、2020年)の準備として書いたものです。あくまで整理のために書いたものなので、ざっくりとしてますが、ご容赦ください。
世界哲学史5 (ちくま新書)

世界哲学史5 (ちくま新書)

  • 発売日: 2020/05/08
  • メディア: 新書
 

 

デカルトの方法

   池田真治 

 

 17世紀の哲学と科学の革命が、デカルト一人に象徴されるのは、あまりに行き過ぎた考えだとしても、デカルトが、数学と哲学、両者の方法に大いなる革新をもたらしたことに異論のあるものはいないだろう。それだけでなく、両者の方法は互いに密接に結びついており、形而上学に基礎づけられている。それゆえに、デカルトの計画は極めて体系的な性格をもっている。

 

 デカルトが哲学の方法にもたらした重要な側面は、少なくとも二つある。一つには、数学的理論から抽出し一般化した方法を諸学に応用した数学的自然学である。もう一つには、そのような数学的方法を自然へと普遍的に適用することを正当化する形而上学的基礎である。デカルトの数学的自然学は、実験的方法と結びついた仕方で数学を自然の言語とみなすガリレオのそれと異なり、より理論的・体系的な観点から数学的世界像を描く。また、実験的検証によって諸原理を確立したガリレオに対して、デカルト形而上学によって諸原理を基礎づける。

 

 デカルトが活躍した17世紀前半にはすでに、自然の知識を数学によって厳密に操作するという理想が芽吹いていた。デカルトは、オランダにてイサック・ベークマンと出会った青年期から、数論と幾何学を統合する新しい「代数学」を企図していた。若きデカルトはこのベークマンの影響によって、「自然学的数学」的な粒子主義に立った機械論哲学を採用する。そして、機械論的に説明できず知解不可能な神秘的な力として、アリストテレスの実体的形相を拒否する。しかし仮説的方法をとるベークマンと異なり、デカルトアリストテレスの伝統的学問に欠けている「確実性」を基礎に、自らの宇宙像を構築しようとする。そこでデカルトは、その礎となる絶対的確実性を数学(算術と幾何学)に求めた。すでにその試みは、遺稿となった初期の作品『精神指導の規則』に現れている。たとえば、第二規則において、学問(知識, scientia)とは、すべて確実で明証的な認識であり、数論(算術)と幾何学がその学問のモデルとなる、としている。そして、「算術や幾何学の論証に匹敵する確実性を持ち得ない、どんな対象にも専念するべきではな」く、「蓋然的にすぎないすべての認識を斥け、完全に認識され疑いえないもののみを信じるべきである」とする。学問は、明証的で確実な知識の基礎を与える数学から出発すべきことを彼は掲げるのである。

 

 さらに、『精神指導の規則』の第四規則では、「順序(秩序)と尺度(計量的関係)に関する一般的学問」としての「普遍数学」(Mathesis Universalis)が構想される。それは、算術が扱う数、幾何学が扱う図形、そして天文学が扱う星など、個別の分野が指定する対象や尺度に限定されない、ある普遍的な学である。デカルトは、対象間の量的な「比例」関係を天文学や音楽、光学、機械学など他の諸学にも見てとった(名須川学『デカルトにおける〈比例〉思想の研究』第三部、第一章)。これによって普遍数学は、アリストテレスの「存在の類」にしばられることなく、離散量と連続量を統一的に扱い、線や面・立体という異なる次元に関する計算を扱い得るものとなる。こうして、デカルトは普遍数学によって、数学の抽象一般概念が、自然の実在的構造を規定するという自然哲学を構想した。普遍数学はこの意味で、感覚的事物や個体的実体を実在的根拠とする観点から、形而上学(第一哲学)と自然学を数学よりも優位とするアリストテレス的な存在論・学問論から脱却している。

 

 デカルトの数学的自然学が最も明確なかたちで提示されるのは、デカルトが自らの体系を原理から論証するかたちで示した『哲学の原理』(1644)においてである。引用しよう。

 

「私が自然学において受け容れあるいは要請する原理は、幾何学あるいは抽象数学の原理だけである。なぜなら、このようなやり方であらゆる自然現象を説明することができるし、またそれらについての確実な証明を与えることもできるからである。」(デカルト『哲学の原理』第II部, §64)

 

 こうしてデカルトは、自然学の原理を幾何学と数論の原理のみとし、観察・実験・仮説・帰納・科学的道具の発展と使用はここでは無関係とする。デカルトは何よりも数学がもたらす確実性を優先したのである。そして、他の諸学において混入する感覚・知覚に依存した蓋然的知識を極力排除し、その明晰判明な観念を持つもの、そしてそれらから演繹されるものに知識を限定する。

 

 さらにデカルトは、彼の形而上学によって、それまでの伝統的哲学がもっていた数学と自然学の垣根を取り除いた。アリストテレス主義では、数学と自然学が扱う対象を形而上学的に区別していた。すなわち、自然学は生成・変化する独立した存在者(実体)を扱い、数学は実体に依存する不変の存在者(単なる抽象的対象)を扱うものとした。これに対し、デカルトは、数学と自然学を統一する。すなわち、物体の本性を延長とする「物体即延長説」により、物体・空間・世界を、幾何学的延長のもとに一貫して捉えることを可能にした(『哲学の原理』)。

 

 デカルトの当初の普遍数学の構想は、その認識論的基盤をもたなかったためか、「普遍数学」という名称は『精神指導の規則』の第4規則以外では登場せず、その後すがたを消す。代わりに前面に出てくるのは「方法」(Methodus, Méthode)という言葉である。デカルトの方法論の代表作『方法序説』では、四つの規則として、明証性、分析(ないし分割・分解)、順序、枚挙が採用される(『方法序説』第二部)。とりわけ重要なのが、最初の規則である。デカルトはこの明晰・判明なものだけが確実な知識として認められるという「明証性の規則」によって、確実な知識を数学的概念に限定し、数学的自然学に基づく世界像を立てることを可能にした。この世界の第一原理となっている「明証性の規則」は、彼の『方法序説』や『省察』において、コギトおよび神の存在証明によって基礎づけられている。

 

 『精神指導の規則』ではまだ、感覚的事物から形相を可感的形象(species sensibilis)として抽象するための感覚、そしてそうした形相を可知的形象(species intelligibilis)として知性が把握するための想像力という媒介を前提するアリストテレス=スコラの経験論的認識論が残存していた。その決定的な改革をもたらしたのが、1630年のメルセンヌ宛書簡以降、継続的に主張された「永遠真理創造説」である。これは、被造物だけでなく、あらゆる真なる原初的観念(事物の本性ないし本質に対応)や永遠真理(数学的真理や物理法則を含む)も神が創造したとする説である。デカルトはこの説によって、数学的な観念や真理の実在的根拠を、われわれが自らの知性のうちにもつ生得的な観念や真理に直接基礎づける。つまり、感覚的対象からその形相を形象(スペキエス)を介して抽象して概念を形成する仕方で、可謬的な感覚や想像力に依存するスコラ的認識論の説明方式から脱して、数学的知識の確実性を人間知性の直接的な内部に基礎づけるのである。いまや数学的対象や真理は、人間知性が実在的事物から抽象し想像力が形成した虚構的産物などではなく、神によって自然のうちに創造され、それらが人間知性のうちに生得的なものとして埋め込まれたものにほかならない。そして、そのような生得的な真理の認識は、明晰・判明に認識したものは真であるとする「明証性の規則」と、その規則が正しく働くことを保証する神の存在証明によって、さらに基礎づけられる。こうして、数学を確実な知識のモデルとする学問論の、存在論的かつ認識論的基盤がデカルトによって準備され、数学的自然学の可能性が体系的に保証される。

 

 デカルトの数学的方法論は、いわゆるデカルト派(デカルト主義者、カルテジアン)に受け継がれた。例えば、長らく学校で論理学の教科書として用いられた、『論理学あるいは思考の術』、通称『ポール・ロワイヤルの論理学』の著者、アントワーヌ・アルノーとピエール・ニコルらは、デカルトと同様、数学とりわけ幾何学を知識のパラダイムとみなした。彼らは、その概念の単純性と論証の厳密性の観点から、数学のみが真の学問の本質的特徴を確立すると考えた。また、デカルトの数学的方法論は、デカルト派以外にも、ホッブズスピノザ、そしてライプニッツへと継承されていく。

 

参考文献

小林道夫デカルトの自然哲学と自然学」、井上庄七・小林道夫(編)『科学の名著第Ⅱ期 デカルト 哲学の原理』朝日出版社、1988年、v-c。

須川学『デカルトにおける〈比例〉思想の研究』哲学書房、2002年。