labyrinthus imaginationis

想像力ノ迷宮ヘヨウコソ…。池田真治のブログです。日々の研究のよどみ、そこに浮かぶ泡沫を垂れ流し。

17世紀西欧哲学における「数学」の位置づけ(3)

Sayaka OKI(2013), "The Establishment of 'Mixed Mathematics' and Its Decline 1600-1800", HISTORIA SCIENTIARUM, Vo. 23-2, 82-91

上記にある隠岐先生の論文をまとめてみました。「混合数学」という用語の確立とその衰退について、非常に明快にサーベイされています。


1. 「混合数学」(mixed mathematics)という用語の出現は、少なくとも17世紀の初頭にまで遡ることができる。最も良く知られているのは、フランシス・ベイコンである。ベイコンは、哲学を頂点とする「知識の木」によって、人間知識のすべてを分類している。その系統樹は、精神の能力に応じて分類されている。たとえば、「記憶」は歴史、「想像力」は詩学、「理性」は哲学、というようにである。純粋数学(Pure Mathematics)と混合数学(Mixed Mathematics)は、形而上学の下に分類されている。混合数学は、「様々な比例において可感的性質と結びつく」もので、「確定的あるいは比例的量」の探究にかかわる形而上学に属す。この分類そのものは、感覚的事物から真に分離されず、抽象されうるのみであるとする、数学的存在に関するアリストテレス的な伝統に基づく。

純粋数学幾何学と算術が属すのは17世紀以降も同様である。混合数学はさらに、透視図法、音楽、天文学、宇宙形状誌、建築学そして工学に分類される。「工学」(engineering)はゴクレニウスの分類表には現れないものだ。

「混合数学」という表現そのものは、17世紀の変わり目に、「普遍数学」(matesis universalis)の展開において登場してきた。van RoomenのUniversae mathesis idea(1602)や、ルドルフ・スネリウス、ペトルス・ラムスら16世紀の数学者においてである。混合数学とほぼ同一の分野を指示する「物理数学」という用語も、ベークマンやメルセンヌ、ウィルキンス、バロウらによって用いられた。

こうした数学の位置づけを再評価し、普遍数学の理念を展開する運動の背景には、数学的諸学の位置づけを吟味するイエズス会派のクラヴィウスが典型的なように、すべての分野が自然学に従属する形で考えられているアリストテレス的な学問の定義に対する挑戦がある。


2. 18世紀になると、数学の分類も変様するが、とりわけ混合数学において著しい。ディドロダランベールらの『百科全書』の「人間知識の図式体系」で表されているように、混合数学は、機械学[力学]、幾何学天文学、光学、音響学、空気力学、結合術(偶然の分析)に分類されている。これらは、17世紀後半における力学や光学、確率論などの発展を反映している。
純粋数学の大きな分類は変わらないが、下位分類にその発展が示されている(幾何学の下に超越的幾何学として曲線論や、代数の下に無限小代数、さらに微積分があるなど)。

さらに注目すべきは、従来の純粋・混合の区別に加え、「物理数学」が加えられている点である。すでにvan Roomenが、純粋・混合の区別に加え「機械的数学」を加えていたことが思い出されよう。物理数学は、機械学と幾何学を用いて、物体の性質についての知識を獲得する学、実験に対し数学的計算を応用する学であるとされる。ただし、ここでは混合数学と物理数学のあいだに明確な区別は見出せない。Oki[2013]は、混合数学と物理数学の不明な関係が、数学と自然哲学を結合させ、数学の自然哲学への従属をひっくり返したたニュートンの研究に部分的に由来するのではとしている。すなわち、ニュートンによって改訂された「自然哲学」を、フランス的な学問の概念枠組みに位置づけるのが難しかったのでは、ということのようだ。また、ディドロダランベールのあいだの見解の不一致や、当時のフランスにおけるニュートン受容の問題もからんでいる。ともあれ、「物理数学」、いわば数学的推論を用いる自然哲学は、いまだその明確な位置づけを学問分類表にもたなかったのである。


3. ディドロダランベールらはベイコン的な諸学の分類を保っていたが、18世紀後半からは衰退していき、19世紀には「混合数学」という用語は消えていったという。18世紀後半における「解析」analysisのめざましい発展と応用により、状況が変わってきたのだ。

たとえばフランス革命期の数学者、コンドルセにおいて、「混合数学」という用語の忌避がみられる。コンドルセは新しい学問分類を考えており、『百科全書』で問題にされた、応用によって現象の分析に数学的厳密性をもたせる確率論の位置づけが再考されている。

コンドルセの「数学」の分類表を見ると、「いわゆる厳密な意味での数学」と「物理数学」が区別されているが、「混合数学」は消失している。前者には、幾何学や数論、解析が含まれる。そこには、精神から抽象される対象の探究を含んでおり、抽象としての数学という伝統的理解が続いていることも示している。後者の「物理数学」は、数学の現象分析への応用によってつくられる分野で、自然科学だけでなく社会科学への応用も含まれている。

コンドルセの分類表は、「抽象的」学問としての伝統的な数学の定義を反映しているものの、精神の外側の現象に関わるかどうかという別の分類規準も示している。これにより、コンドルセは自然現象と社会現象もまた物理数学と同じカテゴリーに含めることが出来た。

とりわけ、コンドルセは「抽象のレベル」と「学問の厳密性の度合い」は別問題であると気づいていた、という重要な指摘に注目したい。この洞察により、コンドルセは数学的諸学と他の諸学とのあいだの伝統的境界を排除した。コンドルセのヴィジョンでは、数学はもはや可感的性質と「混合」されるものではなく、方法論的確実性を失うことなく、ある特定の対象に理論的に「応用」されるものとなるのだ。

コンドルセの教育と学問分類への関心はさらに、「術」(ars)と「学」(sciences)の不明な関係にも向けられる。異なる術に応用可能な一つの学で得られた諸真理をこの学の部分にするのではなく、ある術の理論をその術自身に帰属させた方が単純で厳密だとする。すなわち彼は、理論と応用の対象をべつにして数学の部分にするのではなく、理論を応用の対象と一緒に置いた方がよいと判断した。こうしてコンドルセによって諸学の新しい分類が進められ、教育の現場において実践されることで、混合数学という用語は徐々に消失していったのである。19世紀になると、数学の分類としては「純粋数学」と「応用数学」という用語がむしろ支配的となっていく。