labyrinthus imaginationis

想像力ノ迷宮ヘヨウコソ…。池田真治のブログです。日々の研究のよどみ、そこに浮かぶ泡沫を垂れ流し。

ライプニッツとリンの発見

ライプニッツはピエール・ベイル宛書簡(1687年1月9日)で、次のように述べている。

何年か前に発見された真なるフォスフォラス[光をもたらすもの、すなわちリン]すなわちこのfeu maniableが、その発明家によってここに加工され証明されたように、また、私の面前で何らかの仕方で改良されさえしたように、すべては亡き殿下の命にしたがって、その物質に少し多様な意味を含ませるために、わたしはこの詩のなかにある叙述を挿入しました。

ここでライプニッツはリンを、feu maniableと呼んでいるが、これは「取り扱いやすい火」と単純に訳しても、直ちには理解しがたい。

このことをtwitterでつぶやいてしまったところ、これが意外にも大きな反応があり、いろいろな専門家の方からご意見を寄せていただいた。

あとでもう少し丁寧にまとめる時間があればと思うが、興味のある方は、以下のtogetterまとめを参照いただきたい。

togetterまとめ:ライプニッツとリンの発見

追記

1677年、.Journal de Scavansに寄稿した
“Le phosphore de M. Krafft ou Liqueur & terre seiche de sa composition qui iettent continuellement de grands éclats de lumière”
において、ライプニッツは、1677年のクラフトとの会合を記録している。そこでは、小ビンに入った2つのリンのサンプルを観させてもらったとある。一方は「液体」のサンプルであり、他方は「乾いた」サンプルである。後者は表題にもあるように"乾いた土terre seiche"すなわち固体のリンであり、クラフトがボイルに見せたサンプルとほぼ同じものであると推測される(Phil. Trans. Jan. 1693, 17, 583-4)。



要するに、feu maniableとは、「手に取って扱える火」ということである。リンの発明により、液体あるいは固体として、本来触れることのできないはずの火が、手に取って扱えるようになったことが、この逆説的、あるいは、逸見先生のことばを借りれば"バロック・スコラ的"表現に込められている。また、『ティマイオス』で地と火は対立項であったが、ここでは「乾いた土」terre seicheとしてのリンということで、"反対物の一致"が表現されている。

以上で、ライプニッツがリンを"feu maniable"として捉えたことの意味が説明できると考える。