labyrinthus imaginationis

想像力ノ迷宮ヘヨウコソ…。池田真治のブログです。日々の研究のよどみ、そこに浮かぶ泡沫を垂れ流し。

【ライプニッツ関連新刊紹介】G.W.ライプニッツ『形而上学叙説 ライプニッツーアルノー往復書簡』(平凡社ライブラリー、2013年8月)

先日発売された、G.W.ライプニッツ形而上学叙説 ライプニッツーアルノー往復書簡』(平凡社ライブラリー、2013年8月)の解説部分を読みました。

形而上学叙説 ライプニッツ−アルノー往復書簡 (平凡社ライブラリー ら 7-1)

形而上学叙説 ライプニッツ−アルノー往復書簡 (平凡社ライブラリー ら 7-1)

全体として、『叙説』を超えた『書簡』の意義もわかり、ドゥルーズライプニッツ解釈を踏まえて、『モナドジー』や『デ・ボス宛書簡』への広がりも見通せる、すばらしい解説でした。一点、問題をあげるとすれば、『叙説』から『モナドジー』への発展に関して非連続性があるとするフィシャンの研究がある中で、旧来のように、安易に個体的実体とモナドを結びつける解説には、少し問題があると感じました。解説を読むかぎり、ドゥルーズも著作間の連続性を前提しており、通史的に分析しているようで、哲学史的には『叙説』や『書簡』の射程を大きく超えてしまっている部分があります。『叙説』と『書簡』の内容を正確に反映している部分がある一方で、ドゥルーズの通史的かつ独自な分析が混ざっており、読んでいて少し混乱したところもあります。『叙説』を『モナドジー』への単なる過程として読むべきなのか、あるいは単独としてどのような価値と意義がある作品なのか、一考必要な気がしました。

往復書簡開始当初、ライプニッツは40歳といよいよ油の乗ってきた時期です。一方、大アルノーは76歳と老いて、宗教的理由からソルボンヌを追放されてしまっていましたが、その名声と知性はなお健在でした。このドイツ出身の若手哲学者とフランスを代表する知的巨人とのあいだの書簡を可能にしたのは、エルンスト・フォン・エッセン=ラインフェルス方伯の功績が大きかったようです。

1686年の2月、ライプニッツは『形而上学叙説』の概要を、エルンスト伯を介してアルノーに送るのですが、これを読んだアルノーは、ライプニッツの完足個体概念に決定論を読み込み、これではどこにも自由がないと、激おこぷんぷん丸(失礼、流行に乗ってみました)。弁明を兼ねて自説を擁護すべく、アルノーとの書簡のやりとりがはじまります。

さて、解説者は、『書簡』には、2つのテーマがあるとしています。一つ目が、完足個体的実体のテーマで、人間と神の自由の問題にからむもの。もう一つが、心身結合と実体形相のテーマで、実体形相にはモナドの萌芽がすでに示されています。『書簡』では『叙説』よりも積極的にこの実体形相に触れられており、それは『叙説』の枠を超え後期の考えにつながるとしています。

解説者は、その経緯を、ドゥルーズの『襞――ライプニッツバロック』に沿って、追っています。(ドゥルーズライプニッツ本を高く評価するライプニッツ研究者にはほとんど会ったことがないので、これは驚きでした。哲学史家として評価するには、ドゥルーズは必ずしも文献学的に正しくない独自の解釈が多すぎる気がしましたし、『叙説』と『モナドジー』のあいだの経緯などに、ほとんど注意を払っていなかったように思っていました。)

ドゥルーズは、世界とモナドの関係と、身体とモナドの関係を区別している(『叙説』にも『書簡』にも、モナドは出て来ないのですが、「個体的実体」と「モナド」を同義とみなしてドゥルーズは議論してしまっている)。

まず、世界とモナドの関係に関して。アルノーライプニッツの間では、実体概念に関して大きなすれ違いがありました。アルノーは、個体のつねに変わらない本質を指示するものとして、「属性」を考えます。カルテジアンが、物体の本性を延長、精神の本性を思惟としたように、アルノーは余計な変状を切り捨てた先に残るような、個体の不変の部分があるとしています。それに対してライプニッツは、つねに変わらない属性というのは幻想だとします。むしろライプニッツは、個体を主語概念、そしてその個体に包摂される状態として「述語」を考え、個体を、世界の出来事連鎖をたえまなく顕在化するもの、つまり表現するものとして捉える。言い換えれば、変化のすべてを汲みつくすようなある統一として、個体的実体を考えます。

つまり、アルノーでは不変の本質を属性とする実体を認め、些細な変化は実体の同一性に影響を与えることはないが、ライプニッツでは、どんな些細な出来事でも、一つ異なっていたら、それを含む個体はこの世界の個体ではなくなり同一性を失います。ドゥルーズはこうしたアルノーの立場を「古典主義」、ライプニッツの立場を「マニエリスム」だとしているようです。バロックの哲学者ライプニッツ、というわけです。

次に、身体とモナドの関係に関して。ライプニッツの立場だと、どの個体も世界の出来事の系列を包摂するのですが、その系列の包摂がかぶってしまうことは目に見えています。そこで、個体間の識別を保証するために、ライプニッツは個体間の差異を与える鍵を「身体」に認めます。

ライプニッツは、各個体が表現している世界の判明度、すなわち知覚(表象)の判明性の度合いによって、各個体を差異化します。その際、個体にとって、世界の出来事の多くは微小知覚として気づかれないものですが、気づかれる出来事は身体と深く関わっているというのです。つまり、身体が関わるものほど、明晰さの度合いが高い知覚が得られ、身体が関わらないものほど、混沌・混雑する、と。

しかし、これはアルノーにとっては、伝統に反するもので、理解できないところでした。というのも、デカルト派の考えがそうであったように、あいまいさと混雑の起源は身体にあり、明晰判明の起源は精神、魂にあったはずだからです。

ドゥルーズによれば、ライプニッツはこうした身体をあいまい・混雑、精神を明晰・判明に結びつける伝統を、転倒させたことになります(私などは、むしろ、ライプニッツは身体を重視したアリストテレス哲学に帰っているように思うのですが。「実体形相」もアリストテレスやトマスのラインで考えるべき概念ですし)。心身の併起説についても、ドゥルーズは身体の役割に注目しているようです(ライプニッツの予定調和説の発表は、『叙説』よりもさらにだいぶ後なのですが、心身の対応説はすでにとっています:『叙説』§33)。さらに、「実体形相」によって、身体を魂が「所有する」という次元が開けたとしています。つまり、『叙説』から『書簡』にかけて、心身の「対応」関係から「所有」関係への転換があった、というのです。

解説は、さらにドゥルーズによる「実体的紐帯」の解釈にも触れています。「実体的紐帯」とは、身体をまとまりある有機体として説明するために、モナドを無限に網の目のようにつなぐものとして、ライプニッツが導入した概念です。この実体的紐帯は、『叙説』や『書簡』から20年後のデ・ボス宛書簡において出された概念で、言及するにはちょっと時期が違いすぎているきらいがありますが、実体形相や身体論との関係で、『叙説』の延長にある、ということなのでしょう。この実体的紐帯は、ライプニッツが「モナドに窓はない」として実体間の因果的関係を否定しているため、ライプニッツ研究者を困らせてきた難物です。『叙説』§14でも「実体相互は作用しない」と述べています。

後期ライプニッツにおいて、実体は精神のみとなることもあって、その実体論あるいはモナド論における身体の位置づけは、非常に捉え難いところがあります。実在するのは精神的な実体であるモナドのみだが、それでも、身体は表現において不可欠な役割を持つ、ということが言われますが、身体の必要性を理解するのはそれだけでは難しい。これまで何を言っているのか良くわからないし端的に分析が誤っているところがあると考えて見過ごしてきたドゥルーズですが、身体の位置づけに関して重要な分析をしているようなので、改めて再評価すべきなのかもしれません。