labyrinthus imaginationis

想像力ノ迷宮ヘヨウコソ…。池田真治のブログです。日々の研究のよどみ、そこに浮かぶ泡沫を垂れ流し。

ライプニッツ『モナドロジー』§2

1. 原文

また、複合体が存在するのであるから、単純実体がなければならない。
なぜなら、複合体は、単純体の集積あるいは寄せ集めにほかならないのであるから。

Et il faut qu'il y ait des substances simples, puisqu'il y a des composés ;
car le composé n'est autre chose qu'un amas, ou AGGREGATUM des simples.


2. 注目


・複合体の定義あるいは説明をしている節である。
substance composéeと言わずに、composéを採用している。
・複合体の存在が、前提ないし所与とされることに注目したい。
・そしてその複合体の存在から、単純実体の存在を導きだしている。
・「寄せ集め」aggregatumとは何か。


3. 解説

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4. 比較参照


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* PNG. §1. 複合体あるいは物体は多である。単純実体−有機体、魂、精神−は一である。単純実体がなければ複合体もない。
* SN. §11. 魂あるいは形相によって、「私」に対応する真なる一性がわたしたちのうちにある。そのような一性は人工的な機械や物質の単純な集積には生じない。軍隊や群れ、魚でいっぱいの沼の例。実体的な一性がなければ、集まりにおいて実体的なものもありえない。
* G II, 76. 寄せ集め=偶然による一性。単一の実体と寄せ集めの違い。後者は、われわれの精神の虚構であること。部分への分離によっては、「私」は破壊されえないこと。
* G II, 77. 物体的実体がなければ、物体は虹のような真なる現象にすぎないこと。連続体は無限分割可能であるばかりでなく、現実に無限に分割されていること。実体的な一性は、接触などの外的要因によるのではなく、内的な原理によること。
* G II, 96-97. 一性そのものと偶然的一性、実体形相と偶有的形相。寄せ集めによる存在の本質は、その構成要素の様態によること。「真に一つの存在でないものは、存在ですらない」。寄せ集めは精神的存在者。精神は実在的実体の関係あるいは様態に関わること。
* G II, 100-101. 偶有的一性には程度があること。実体と、現象、抽象、関係。
* G II, 118. 多は一を前提とすること。
* 物体は実体の寄せ集めで、正確には実体ではないこと。物体のいたるところに、不可分な実体がなければならず、また、何か魂に対応するものを持つこと。
* G II, 193. 延長物体の各部分は必然的結合を持たないこと。
* G II, 267. 分割可能な寄せ集めは、精神的に一であるのみで、その構成要素から実在性を借りていること。事物のうちには不可分な一性がなければならないこと。でなければ真な一性もなく、借りられたのではない実在性もないこと。物体は可分的であり、実際に下位分割されている。
* G IV, 491-2. 現実の実体的事物においては、全体は単純実体の寄せ集め、あるいは、実在的単位の多である。(物質的)塊に含まれる単純実体の数は無限である。寄せ集めは、良く基礎付けられた現象。
* L, 278. 存在原理としての魂あるいは形相。


5. レッシャーのコメンタリー


* 真の実体はモナドだけ。
* モナドは無限に異なる。
* すべてのモナドは、ある仕方で、自らの「種」である。その完全個体概念の原型である。
* ライプニッツの個体的実体の無限多へのコミットメント。
* パルメニデススピノザとの違い。
* パルメニデス:ただ一つのものだけが存在し、それはまったく不変・無差別である。
* スピノザ:唯一の実体は神即自然のみ。
* 自然には2つのレベルがあり、基礎的・形而上学的なミクロレベルの個体的実体(モナド)と、派生的なマクロレベルの複合体(実体の有機的な集まり)がある。
* 個体的実体を超えるものどものは、何らかの仕方で、それらの複合・結合から帰結したもの。
* 自然のプロセスは、いわば、基本単位の変化、それらの相互の再編成を通じて生じる。
* レッシャーは、ライプニッツモナド論に、原子論の影響を認める。
* ライプニッツ:単位のみが統一できる。一性を持つもののみが、統一の能力を持つ。
* その統一は、支配/従属関係をなす。
* 単に複合者は多であるから複合者は単位を必要とするというトリヴィアルな点だけでなく、統一性を持つ複合体は、統一者としての真なる単位を要するというもの。


6. 河野与一の注解


* 複合実体は、真の実体ではなく現象。
* 複合実体は、現象であるが、架空のものではなく、根拠を持つ事象。
* その根拠が単純実体。
* ヘーゲルの「正しいが、同語反復(トートロジー)にすぎない」という批判は、誤解。



7. 工作舎ライプニッツ著作集


* 単純と複合、すなわちギリシア以来の「一と多」の関係の伝統的問題。
* 「存在と一」の哲学的公理、「真に一つの存在でないものは、真に一つの存在ではない」を、ライプニッツもアクセントが置き換わっただけの自同命題と解す。【消極的な意味で、自同命題と解しているわけではない。】
* 「ただ一つだけの存在が存在である」とすると(プロティノススピノザ)、多の自立性が失われる。
* アトムに一性を求めても、多は存在しうるがアトムそのものにそれぞれのアトムを統一する原理はないので、よそにその原理を求めないといけなくなる。
* モナドの多の側面として、個体が主語となって持つ、潜勢的に無限な述語の系列を含む「完足個体概念」(『叙説』§8)とのつながりを読みこむ。
* 有限者も無限の系列として展開しうるという考えの背景に、【収束無限級数列に関する】数学的知見があるとする。
* こうしてどの個体も、無限の述語の系列として、宇宙のすべてのことを何らかの仕方で含んでいる。【「何らかの仕方」として考えられるのは、後節でも出てくるが、モナドが視点となって、宇宙を表出ないし表現している、という表出の理論。】
* 「一」なる実体は宇宙における「多」を含み、「一」なる宇宙は多(数)なる実体を含む(§56以下参照)。
* 物体は実体ではなく現象にすぎない、というライプニッツの基本テーゼは本書では見られないこと。
* 物体を物体として現象せしめるものとして、非物体的モナドが考えられている。



8. 池田善昭の注解


* 複合体は、部分が単に数のように集められた「加算的総和」ではなく、いずれのものも、つねに複合的全体へと影響力が波及するような有機的な集合のあり方を意味している。
* 「単純実体の集積」を、いかなる複合体もその中に無数の多くの中心を持つようなあり方として存在することをいう、とする。【複合体を構成する単純実体のそれぞれが中心であるとする、「中心」にこだわる解釈がここでも見られる。事物の実在は、いたるところがその中心であり、宇宙がどこにも周縁のない一つの無限に大きな球体のようなものであるとする考えは、トリスメギストス、ブルーノ、モンテーニュパスカルなどに見られる。池田善昭氏は、この考えを、強く読み取っているように思われる。】


9. 参考文献

G: ゲルハルト版哲学著作集
L: Leroy E. Loemker, Leibniz, Philosophical Papers and Letters (Amsterdam: Reidel, 1970).
SN: ''Système nouveau pour expliquer la nature des substacnes et leur communication entres elles, aussi bien que l'union de l'ame avec le corps'', G IV, 471-87; L, 331-348.