labyrinthus imaginationis

想像力ノ迷宮ヘヨウコソ…。池田真治のブログです。日々の研究のよどみ、そこに浮かぶ泡沫を垂れ流し。

ライプニッツ『モナドロジー』§3


1. 原文

ところで、部分がないところでは、延長もなく、図形もなく、可能な分割もない。
そして、これらのモナドは、自然の真のアトムであり、一言で言えば、事物の要素である。

Or là, ou il n'y a point de parties, il n'y a ni étenduë, ni figure, ni divisibilité possible. Et ces Monades sont les véritables Atomes de la Nature et en un mot les Elemens des choses.

【ouはoù】


2. 注目

・部分を持つもの:延長、図形、可分なもの。
・したがって、部分がないところでは、それらは不可能。
モナドが「自然の真のアトム」。事物を構成する原初的な要素。
ライプニッツにとって、原子論者(デモクリトスら古代原子論者、および、ガッサンディら、17世紀初頭の原子論者を主に指す)のアトムは、真のアトムではない。


3. 解説

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4. 比較参照

* PNG, §2. モナドは形を持たない。でなければ、モナドは部分を持つことになる。モナドの識別は、それが持つ内的性質と能動的作用によってしか、なされえない。その内的性質と能作はモナドの表象でしかありえない、すなわち、複合者あるいは単純者の表現、および、一つの表象から別の表象への傾向性であり、変化の原理としての欲求でしかありえないこと。
* NE, p. 317. 実体的形相。魂を実体的形相とする近代思想家(デカルト)について。ライプニッツは、人間のみがそれ自体による一(unum per se)、真に一なるものというわけではない、とする。表象と欲求に類似するものを持つ、無限数の魂、第一エンテレケイアがある。
* SN, §3. アリストテレスの学説を放棄→真空と原子の仮説を受容。それらは想像力を満足させてくれる。しかし、物質のうち(あるいは単に受動的なもののうち)のみに真の一性の原理を見いだすことは困難と思い至る。多なるものは、その実在性を真の一性からのみ導きだすことができる。真の一性は、連続体は点の合成ではありえないので、点とは異なる起源を持つ。物質的存在者は同時に物質的かつ完全に不可分ではありえないので、形相的なアトムに訴えることが必要だったこと。したがって、実体的形相を更正する必要があったこと。ライプニッツは実体的形相の本性が「力」に存するとし、アリストテレスの第一エンテレケイアをライプニッツは原始的力と呼ぶ。
* SN, §11. 物質的アトムは理性に反すること。実体というアトムのみが認められること。それらは、形而上学的点とも呼ばれうる。それらは何か生命的なところを持ち、ある種の表象であり、数学的点はそれらから宇宙を表現するところの観点である。物体的実体が収縮するとき、それらの組織は一つの物理的点しかなさないこと。こうして、物理的点はたんに見かけ上不可分であるにすぎない。他方で、数学的点は厳密であるが様態でしかない。
* DM, §8. 個体的実体の本性あるいは完全な存在者の本性とその概念。その基体におこるあらゆる述語が演繹されること。ある個体の性質ないし基体からの抽象は、その個体を構成するのに十分でないこと。神は個体概念ないしハエクケイタスを観ること。
* DM, §9. 完全に類似していて、数的にのみsolo numero異なることはありえないこと。不可識別者同一の原理。
* DM, §12. 物体の本性は、大きさ、図形、運動に尽くされるものではない。魂すなわち実体的形相に対応するものが認識されねばならない。また、大きさ、図形、運動は、それらが想像されているほど、判明ではなく、実体を構成できない。それらとはほかに、物体の同一性の原理がなければならない。
* G III, 606; L, 657. 機械論の究極的理由の探求、数学から形而上学へ。モナド(monad)のみが真の実体で、物質的事物は良く基礎付けられ、良く結びつけられた現象であること。
* C, 521; L, 269f. 素朴な機械論における物体の定義だと、不可識別者同一の原理に反すること(延長、大きさ、図形のみしか、物体的実体を構成しないとすると)。したがって、物体的実体には、魂に類似的なものがあること、それは形相。また、真空は存在しないこと、原子は存在しないこと、原因は結果から推理されること、など。



5. レッシャーのコメンタリー

* 幾何学的図形(線・三角形・球)は、さらなる個体的単位を継起的・後続的に加えることを通じて、単なる寄せ集めによるそれらの構成によるのではなしに、何らかの仕方で点を含む。ゆえに、この世界の事物は、ライプニッツが見ているように、モナド的な点状の実体から成っている。(「部分を持たない」ということで、ライプニッツは、いかなる空間的部分も持たない、ということを意味している。モナドは確かに、音楽作品がそうであるように、質的な構成要素を持ちうる。)
* こうして、ライプニッツは新・原子論者(neo-atomist)である。モナドは、古典的な原子と異なり、大きさを全く持たない。したがって、モナドは、古典的原子が持つ(延長・図形)という空間的特徴を欠く。(モナドは真のアトムである。なぜなら、それらは、物理的にも、思考的にも、空間的に下位分割されえないからである。古代原子論者の原子は、内在的な性質によってのみ識別可能であるように、モナドもまた、能作の様態によってのみ識別可能である。)
* モナドは物理的には部分を持たず、点的なので、そのあり方(それが働いている様態modus operandi【*operorの動形容詞】)によってしか識別できない。



6. 河野与一の注解

* 科学者の原子は科学的方法でそれ以上不可分だが、それにはなお広がりがあるので、少なくとも概念上は可分的。
* 数学的点は広がりを持たないが、自然とは関係がなく、事象【拙訳では事物とした】の要素ではない。


7. 工作舎ライプニッツ著作集

* 各モナドは他のモナドから区別される。モナドの世界は、非連続的な無数の「多」から構成され、すでに分割されている。
* 他方で、現象としての物体の連続性は、表象に由来する。その意味で、物体は観念的なもので、限りなく分割可能である。
* 「連続体の合成の迷宮」に対するライプニッツの解答としての、モナド


8. 池田善昭の注解

* ここでも、「中心への集中化」を読み込む。
* モナドを事物の要素といっても、目で見たり手で触れたり、ある場所を占めていたりするような「もの」を言うのではなく、広がりも形姿も分割可能性もありえない「こと」を言う。
* モナドとは、事物=ものの根拠としての「こと」。


9. フィシャンの注解

* ライプニッツは、アトムを厳密な意味での不可分者として解す。そこでは、物理的意味での原子と対決している。真のアトムは、質料的粒子ではなく、「形相的アトム」あるいは「実体のアトム」である。Cf. SN, G IV, 482.


10. 参考文献

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C: Louis Couturat éd., Opuscules fragments inédits de Leibniz
DM: Discours de Métaphysique, 1686.『形而上学叙説』
NE: Nouveaux essais sur l'entendement (humain), 1703-1705.『人間知性新論』【参照が、レッシャーの用いたRemnant/Bennettらの英訳になっているが、いずれアカデミー版のそれに改める予定である】


原子論については、SEPの以下のエントリーが参考になる。
Berryman, Sylvia, "Ancient Atomism", The Stanford Encyclopedia of Philosophy (Winter 2011 Edition), Edward N. Zalta (ed.), URL = http://plato.stanford.edu/archives/win2011/entries/atomism-ancient/.
Chalmers, Alan, "Atomism from the 17th to the 20th Century", The Stanford Encyclopedia of Philosophy (Winter 2012 Edition), Edward N. Zalta (ed.), URL = http://plato.stanford.edu/archives/win2012/entries/atomism-modern/.