labyrinthus imaginationis

想像力ノ迷宮ヘヨウコソ…。池田真治のブログです。日々の研究のよどみ、そこに浮かぶ泡沫を垂れ流し。

ライプニッツ『モナドロジー』§4

1. 原文

モナドにはおそれるべき解体もない。また、それによってある単純実体が自然的に消滅する*ような、(われわれが)考えられる仕方もない[われわれには考えられない]。

Il n'y a aussi point de dissolution à craindre, et il n'y a aucune manière concevable par laquelle une substance simple puisse perir* naturellement.

*自筆草稿には、消滅するとあわせて、「開始する、変化する」が書き込まれている。


2. 注目

モナドは不可分な自然の真のアトムであるから、分解されえない。
・解体ないし分解がない、ということから、自然的消滅ないし自然的死もないことを導いている。
・したがって、モナドの自然的消滅をわれわれは考えられない。
ライプニッツは、しばしば、「自然的/奇跡的」という対語を用いる。
モナドが滅びるとしたら、自然的でない仕方、すなわち、神の奇跡による超越的な創造と消滅によってのみ。


3. 解説
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4. 比較参照

* 『弁神論』§89 偶有は、実体の様態でしかなく、それらの起源は発出説によって説明されるだろう。すなわち、形象の起源と同じように、限界の変様variationsによって説明されるだろう。しかし、その開始と消滅が等しく説明困難であるような実体の起源に関して問題になっているときは、別問題である。
* 『弁神論』§396 実体的形相あるいはモナドは自然的には生成も消滅もしないこと。それらは真の創造によってしか産出されえない。(ライプニッツは派生的性質や形相、偶有的形相すなわち変化の諸側面を、原始的エンテレケイアの変様とみなし、実体そのもの(実体的形相)あるいはモナドそのものに変化を帰さない。)
* PNG, §2. モナドは、部分を持たず、形成されることも解体されることもありえない。それらは、自然的に始まることも終わることもありえない。
* DM §9. 実体は創造を通じてのみ始まり、消滅を通じてのみ滅びる。実体は2分にもされないし、二つの物から結合されてなることもできないこと。したがって実体の数は自然的手段を通じて増えないし消滅もしないこと。ただし頻繁に変形はする。
* DM §34. それ自身によって一なるものunum per seを構成している物体が、実体であり、実体的形相を持つと想定することは、また、動物が魂を持つと想定することは、これらの魂やこれらの実体的形相(原子や物質の究極的要素も同様に)が完全に滅びえないと認めることをわれわれは余儀なくされる。というのもいかなる実体も滅びないから、非常に異なったものとはなりえても。。。
* G II, 76 アルノー宛書簡(1686). 実体の一性は完全・不可分・自然的に壊滅不可能な存在者を要求する。というのも、その概念は、その実体に起こるすべてのことを含むからである。
* L, 270 「第一の真理」(ca. 1685). 創造ないし消滅を通じて以外では、物体的実体は存在者になることも滅びることもできないこと。なぜなら、一たび続くならば、常に続くからであり、というのは変化に関するいかなる理由もないからである。物体の消滅は実体の消滅と何も共通するものをもたない。したがって、魂を吹き込まれた存在者は、開始もしなければ消滅もしない。


5. レッシャーのコメンタリー

* ライプニッツは、自然的死を、解体あるいは分解の問題として考える。
* モナドは部分を持たないので、そのような物理的プロセスには従わない。
* 自然的なプロセスによって、ライプニッツは、自然科学の器具を通じて、原理上検証され説明されうるような、物理的プロセスのことを意味する。
* ライプニッツにとって、実体の操作(働き)は、自然的プロセスのみを参照して自然的に理解されるよりもむしろ、自然のプロセスそれ自体の説明が、形而上学的・モナド的な秩序において考察されねばならないということを見ることで、神を参照にして形而上学的に理解されねばならない。


6. 河野与一の注解

* 「自然的に」:神の奇跡に依らずに。


7. 工作舎ライプニッツ著作集

* 世界の存在とモナドの存在とは切り離すことができない。モナドの数の増減やモナドの変質があれば、世界もまた変わってしまう。


8. 池田善昭の注解

* 「もの」は解体したり複合したりできるが、(モナドとしての)「こと」は存在の成立根拠、つまり存在の原理的仕組みであるエンテレケイアそれ自体を言い、それがライプニッツの言う存在の「公理」(axiome)である。
* 「自然的に」を「神の奇跡によらずに」とする一般の解釈にしたがわずに、「自然的に」を「存在の公理の本来性からして」と独自に解釈。【しかし、その後の解説を読むかぎり、自然的消滅と神による絶滅の区別が背景にあることをはっきり認めているのだから、一般解釈にしたがわないとする積極的理由もないように思われる】
* 自然的消滅と神による絶滅の違い。この区別は常識的なものだが、そこから、ライプニッツ存在論の根底に、神への信仰を読み込んでいる。存在の公理と、神への信心(=神の完全性の熟視)の関係を読み込み、信心次第では、「こと」(モナド)それ自体の創造や絶滅はあるとする。

9. フィシャンの注解

* ライプニッツは『弁神論』§89で、破壊不可能性と不死性を区別する。後者は、人格の保存を含意する。そこで、ライプニッツは、動物の魂は、「不死と呼ぶよりも不可滅であると呼んだ方が良い」としている。


10. 参考文献
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