labyrinthus imaginationis

想像力ノ迷宮ヘヨウコソ…。池田真治のブログです。日々の研究のよどみ、そこに浮かぶ泡沫を垂れ流し。

ライプニッツ『モナドロジー』§5

1. 原文

同じ理由によって、それによってある単純実体が自然的に始まりうるような、いかなる仕方もない。というのも、単純実体は複合によって形成されえないからである。

Par la même raison il n'y en a aucune, par laquelle une substance simple puisse commencer naturellement, puisqu'elle ne sçauroit être formée par composition.


2. 注目

・単純実体は解体(分解)によって形成されないのと同様に、合成(複合)によっても形成されえない。
・反対に、自然的なものは、分解ないし合成によって形成されうる。
・単純実体は自然的に始まりえない。それは、奇跡によってのみ、始まりうる。
・その奇跡とは、創造である。


3. 解説
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4. 比較参照

* PNG, §2. モナドは、部分を持たず、形成されることも解体されることもありえない。それらは、自然的に始まることも終わることもありえない。
* SN, §4. 真なる一性を持つあらゆる単純実体は、始まりを持つことができ、奇跡によってのみ終わりうる。それらは、創造によってのみ存在となりうる、そして、消滅によってのみ終わりうる。こうして、私は次のことを認識することを余儀なくされた。すなわち、(神が依然として特別に創造することを意図している魂という例外を除いて)、実体の構成的形相は世界とともに創造され、常に存続してきたのでなければならない。


5. レッシャーのコメンタリー

* ライプニッツにとって、すべての自然的なプロセスは、すでに存在している種目の再集合あるいは変形によってなされるものである。
* 自然的に存在になるというのは、何か既存の他なるものから発展することである。
* しかしモナドに変わりうるような、既存の何かあるものは存在しない。
* そして、部分を持たない事物―すなわち、個体的実体―は、既存の部分の再結合からは、存在になりえない。
* 単純実体は、現実的創造―無からのex nihilo創始―を通じてのみ生じうる。それは何か、本来、超自然的・自然外的なものである。
* 諸モナドは、分割あるいは再結合を通じては生じえないので、それらは「自然的」には創造されえない。また、それらは物理的な消滅を通じても自然的に破壊され得ない。
* それらの創始(あるいは破壊)は、無からの創造という超自然的創造によって、あるいは、無性nothingnessに消え入ることによってのみ可能である。
* 実体が創造も破壊もされえない状況というのは、ライプニッツの時代に築かれた古典物理学の世界像に完全に一致する。そこでは、物質が創始あるいは消滅するようないかなる場所も見いだされえない。


6. 河野与一の注解
* 典拠は不明だが、ライプニッツによれば、物が自然的に生ずるのは漸次に少しづつ成るのだ、としている。
* モナドは部分を持たないので、部分に部分が付け加わって、部分の和として単純実体ができるわけにはいかない。モナドが部分の単なる和だとすると、部分を持つことになってしまうからである。



7. 参考文献
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