labyrinthus imaginationis

想像力ノ迷宮ヘヨウコソ…。池田真治のブログです。日々の研究のよどみ、そこに浮かぶ泡沫を垂れ流し。

【抽象】

Abstraction (ABSTRACTIO/ABSTRACTION)

ライプニッツは、選ばれた共通の特徴に基づいて形成されうる抽象観念が存在すること、そしてそれは人間に永遠真理を知らせることを可能にすると信じていた。

・彼はプロセスとしての抽象に反対したわけではない。同時に、現実存在している事物のみが特殊(個別的)であるという唯名論のあるタイプにシンパシーを抱いている。

・したがって、「存在性beingness」のような抽象的存在物の現実存在を彼は信じなかった。このために彼は、スコラ主義者の一般性に対してなされた広範な批判にくみする。

ライプニッツは、ニゾリウスの新たな版への序文[1670]において、もしある人が哲学の諸原理の完全に満足のいく説明を与えようと欲するならば「抽象的項の使用をほとんど完全に控えなければならない」とまで主張する(GP. IV, 147 ; L. 126)。

・彼は不完全概念を用いる形而上学者にも批判的であった。たとえば、彼らのうちには、宇宙には数的にのみ異なる個物が存在すると誤って考えるものがいるが、それはライプニッツの不可識別者同一の原理に反する。

・しかしライプニッツは、彼の形而上学が抽象を含むことで批判した同時代のより若い哲学者たちほどには先には進まなかった。

・たとえばジョン・トーラント(John Toland)は、ライプニッツモナドの概念を抽象観念の不正な使用に基づくとみなした。またジョージ・バークリー(George Berkeley)はライプニッツの動力学における抽象(たとえば力)に反対した。

ライプニッツはこうした批判に抵抗した。抽象的永遠真理(たとえば正義)についての知識を持つ人間の能力は、他の動物たちからわれわれを理性的存在者として区別する部分である。ライプニッツは、バークリーの『人知原理論』に多くの部分で同意できるとしつつも、このアイルランド人が抽象観念を拒否したことを哲学のもっとも深刻な誤りであると考える。ライプニッツは、あらゆる観念が経験に由来しあらゆる観念が個別的であるとする抽象の経験主義的理論の基礎を拒否する。

ライプニッツはキリスト共的プラトニスムの伝統にしたがって、しかし観念が心の外に存在しうることを仮定することなしに、生得観念を受け入れた。

・この伝統にしたがって、ライプニッツにおいては、プラトンの形相の永遠王国に対応する「観念の王国」がある。ただし、それは神の精神の内にのみ存在する。