labyrinthus imaginationis

想像力ノ迷宮ヘヨウコソ…。池田真治のブログです。日々の研究のよどみ、そこに浮かぶ泡沫を垂れ流し。

個体の合成の原理としての「生命」

松田毅先生の「ヴァン・インワーゲンの「生命」――ライプニッツとの対比から」を拝読。

松田毅編『部分と全体の哲学:歴史と現在』春秋社、2014年所収。

部分と全体の哲学: 歴史と現在

部分と全体の哲学: 歴史と現在

とても興味深く読んだ。ざっと、考えていたことをメモ。まだあまりちゃんと検討していないので、誤解だらけだと思う。

ライプニッツもヴァン・インワーゲンも、物質が、「部分」の総和にとどまらない「全体」をなす場合、そこには「生命」の概念に鍵があると見ていた。

ライプニッツは、単純実体が合成されてできた複合実体ないし身体が、単なる寄せ集めであることをを越えて、「同一の個体」であるためには、「生命の存続する原理としてのモナド」が不可欠であるとした。

個体をバラバラの部分の寄せ集めではなく、一つの全体をなすものたらしめているものとは何か。ライプニッツは、その同一性の原理(すなわち個体化の原理)として、モナドを措定した。

しかし、同一性の原理をモナドに追いやったところで、なぜ、それによって同一性が付与されるのか、という「形成」ないし「構成」の問題は、これだけでは何も解決しないだろう。

ロックも同様に個体化の原理として「生命」を論じるが、Ayersが批評したように、いかにして、「生命」は個体の統一を「構成」するのだろうか?

インワーゲンは、「どのような条件のもとであるものは何かの部分となるのか」という「特殊合成問題」に取り組んだ。

新しい存在者をもたらすような、合成の条件とは何だろうか。

この問題を考えるため、インワーゲンは、「接触」、「結合」、「凝集」、「溶け合い」、「ニヒリズム」、「普遍主義」、「生命」について検討する。検討内容は省くが、まず合成の条件は、衝突問題などで17世紀にも古典的に扱われた「接触」や「結合」、「凝集」ではない。また、二つのものの境界がなくなる「溶け合い」でも不十分である。合成は存在しないとする「ニヒリズム」は、合成的存在者の極端なデフレを招き、合成された生命かどうかあいまいな事例にも対処できない。そして、複数対象からの合成は必然的に存在するとする「普遍主義」も、部分の概念の有意味性を保てず問題がある。

部分が全部入れ替わっても、有機体の耐属を認める条件が必要である(いわゆる、「テセウスの船のパラドックス」の問題)。こうしてインワーゲンは、合成の原理として「生命」を導入する*1。「生命」は、変化する部分とは論理的に区別される「システム」である。

このようにして、インワーゲーンも、原始概念として「生命」を捉えているが、あまりまだ納得のいく、というか、腑に落ちた感じがしていない。果たしてこのような仕方で、個体の合成の問題を理解したと言えるのか、私には疑問なところがある。「形而上学」という分野によるアプローチの仕方に、そもそも限界があるのかもしれない。つまり、「生命」そのものを捉えるには、概念分析では限界があるのかもしれない*2。「生命」を原理ないし原始概念として、そこから出発することには、科学的な理解という観点からして、やはり問題があるような気がしている。いちおう生化学などの科学を踏まえて、概念分析をしているようであるが、うーん。

他方で、原始概念とされるのは、いわばブラックボックスの、「謎」の部分であるから、ここに問題の核心がある、ということでもあろう。

「連続体の合成の迷宮」に、「生命」がからんで、その概念が解決の糸口であると示唆されているわけであるが、むしろ、ますます謎が深まった、というのが、正直な印象である。が、哲学的には、悦ばしいことなのかもしれない。「連続体の合成の迷宮」に、現代の諸科学から、「生命」や「情報」、「知覚」や「意識」の問題を踏まえて、現代的にはどこまで明らかになっているのか、いったいどういう説明が可能なのか、ということが知りたい。けれども、どうしたらよいのか、途方に暮れている。

「連続体の合成の迷宮」を現代的に解決するために、いかなるアプローチが望ましいのかが、今もっとも気なる課題である。(とりあえず、インワーゲンのMaterial Beingsは昨年読みはじめていたけど、積ん読になっていたので、ちゃんと読みたい。)

*1:Q. 必ずしも生命現象をもっていない、単なる「物質的存在」の同一性の原理はどうなるのであろうか? ライプニッツは、単なる「寄せ集め」とみなすし、現象として同一性をもっているようにみえても、それは精神によって与えられた一性にすぎないとする。

*2:形而上学による解明というものに懐疑的である、というもので、概念分析が有益なアプローチであることに変わりはない。