labyrinthus imaginationis

想像力ノ迷宮ヘヨウコソ…。池田真治のブログです。日々の研究のよどみ、そこに浮かぶ泡沫を垂れ流し。

ヨアヒム・ユンギウス(1587-1657)

ユンギウスは、リューベックに生まれ、ハンブルクに死んだ、医学者・化学者である。ロストックで学び、ギーセンやアウグスブルクで数学を教えた。ロストックとパドアでは医学を学んだ。最初はスコラ哲学を学んだが、後に英国の哲学に転じた。とりわけフランシス・ベイコンから学び、理性と経験による研究の重要性を説いた。また、デカルトへの関心も表明している。アリストテレス主義やスコラ哲学の論理学を集大成し批判した主著に、『ハンブルグ論理学』(Logica hamburgensis, 1638)(以下LHと略記す)がある。その影響は広くはないが、数学や論理学、形而上学の方面でライプニッツに多大な影響を与えたことで、今日においても名前を知られている。実際、ライプニッツはユンギウスを「もっとも偉大な論理学者」と記し、ユンギウスに関するノートやメモを残している。また、ショルツは『西洋論理学史』において、西欧により大きな影響力をもったアルノー/ニコルらの『ポール・ロワイヤルの論理学』と比べ、LHを高く評価している。

※R. W. Meyer編の版は、独語訳に詳しい索引もついていて、素晴らしい出来。Risse編のAdditamentaは、BnPに行ったときに参照を申し込んだが、なぜかいつまでたっても出てこなくて、まだ見れていない。これはMeyer版を補足したものなのだろうか。

LHでは、アヴェロエスやザバレラによって体系化されたアリストテレスオルガノンの、すべての素材が提示されている。

ライプニッツはユンギウスを高く評価しており、若い頃に熱心に読んでいたようである。少なくとも間接的に、アヴェロエスやザバレラについて触れていたことになる。若きライプニッツの哲学を形成する上で根本的な役割を果たしたアリストテレス主義の影響に関して調べるのは容易なことではないだろうが、K. MollやPh. Beeleyらの研究が参考になるだろう。

LHの目次は以下の通り。

Logicae Prolegomena.
LOGICAE GENERALIS.
Liber Primus: De Notionibus
Liber Secundus: De Enuntiatione.
Liber Tertius: De De Dianoe� sive Ratiocinatione.
LOGICAE SPECIALIS.
Liber Quartus: De Logic� Apodict�.
Liber Quintus: De Dialectica
Liber Sextus: De Sophistica

※参考のために、導入部のところの翻訳を少しだけ与えておこう。

論理学のプロレゴーメナ

1. 論理学とは、偽から区別された真理へと我々の精神の働きを導く術である。

2. しかしわれわれの精神の働きには次の三種がある。すなわち、思念あるいは概念、命題、そしてディアノイアあるいは論証知である。*1

3. 概念はわれわれの知性の第一の働きであり、われわれが想像によってある事物を表現するようなものとしてある。すなわち、概念とはそれによって事物が精神において表現されるところの像である。*2

4. このために、われわれは、事象それ自体を概念する、把握する、思惟する、ということが言われる。そこでは、その思念をわれわれは概念するあるいは学習する。こうしてわれわれは、たとえば、人間、馬、薔薇、オーク、より美しい人、より速い馬、紫の花などを思惟する。

5. 命題は精神の第二の働きである。それは、思念から合成され、その内に、真あるいは偽を生じさせる。真なる命題とは次のようなものである、すなわち、太陽は光る、人間は2足である、オークは木である。偽な命題とは次のようなものである、すなわち、太陽は光らない、人間は4足である、オークは木ではない、オークは石である。*3

・・・

一般論理学を構成する前半3巻では、オルガノンの分析論前書までが扱われ、魂が有する3つの働きに対応する、概念、命題(言明)、論証知(推論)が論じられている。後半3巻は、特殊論理学を構成するもので、議論の余地がない論理(証明)、弁証法(蓋然的論証)、詭弁が扱かわれている。

ユンギウスはアリストテレス論理学に忠実であるが、それは彼が受けてきた大学教育の帰結であり、大学にいた期間に当時のアリストテレス主義の影響を受けたという。たとえば、哲学的にはメランヒトンからザバレラ、Cesare Cremonini(同姓同名の歌手がいるようです)、数学的には、ヴィエトからスアレスCornelius Martiniの影響を受けているそうだ。

また、ユンギウスは、ラムス主義からは離れて、メランヒトンやラムスの弁証法において提示されていたような、形而上学との相互浸透から導かれるアポリアから、形式論理を解放したとされる。

実際、ユンギウスは、「論理学とは偽から区別された真理へと、われわれの精神の働きを導く術」と解釈する(LH, Pr. 1)。したがって、単に教育的な意義をもつ教養課程のように、論理学を解釈する。ユンギウスは特殊論理学において、人間認識の誤りやすさというものをひんぱんに強調している。

LHが、一方でアリストテレス的かつ折衷主義的な論理学(Budde)あるいはアリストテレス‐ヴォルフ流の論理学(Reusch)などのいくつかの概論のモデルとして役に立つとしても、アリストテレス学派の諸著作のあいだに、LHを数えることは正確ではないであろう。実際、ユンギウスは、判断と三段論法の理論を、彼の時代までに伝えられた論理学の枠組みを越えて行く、ある一般化の方向へと発展することができた。とりわけ注目すべきは、単純帰結と呼ばれる非-三段論法的な推論に関する研究によって、定言三段論法の優越性を問題にしたことであろう(III, 4, 1-6)。彼のexth�sis(expositio - III, 15)の一般化された使用は、ライプニッツにおける例示の原理の形成に、大きな影響を及ぼした。
しかし、ライプニッツもっとも大きな影響を及ぼしたのは、inversio relationesの規則である(II, 10, 12)。

※inversio relationesの問題とは、要するに、三段論法に解消されない、関係命題の問題のことである。たとえば、「パリスはヘレネを愛する」という命題の主述を交換した「ヘレネはパリスによって愛される」は、前者から帰結することは明らかに思われるのに、三段論法では扱えない。また、「〜を愛する」というのは、2つの基体(実体)の関係であり、関係的性質の位置づけが、彼の個体の形而上学のみならず、普遍論争の伝統ともからんで、大きな問題として問われた。こうして、inversioについての注目は、ライプニッツの論理学において重要な位置をしめ、やがては、「理性的文法」の研究において、詳しくなされることになる。

参考:

Jungius, Joachim, Logica hamburgensis (1638), R. W. Meyer (ed.), Hamburg: J. J. Augustin, 1957.
"Jungius, Joachim", Encyclop�die philosophique universelle
Historische W�rterbuch der Philosophie, hrsg. von Joachim Ritter.
"Jung, Joachim", J. Schmutz, Scholasticon (19/12/2011), URL = http://www.scholasticon.fr/


付記

ショルツは、その著『西洋論理学史』において、『ポール・ロワイアル論理学』が概念の外延と内包にかんする理論という独創的な考えを含むものの、結局のところ、鋭気よりも害を残した、と批判する。それに対して、ユンギウスの『ハンブルク論理学』を「17世紀のもっとも重要な論理学書」と、とても高く評価している。
その評価を、以下の推理論の発展に関する貢献に見ている。

(1)「関係の反転による等置」の導入【要するにinversio】

例.「ダヴィデはソロモンの父である。従って、ソロモンはダヴィデの息子である。」「逆もまた真。」

(2)「複合形から単純形への推論」と「単純形から複合形への推論」の導入

例.「12は4によって整除されうる。12は3によって整除されうる。したがって、12は4と3によって整除されうる。」

(3)「主格から斜格への単純推論」の導入。

例.「あらゆる円は図形である。故に円を描く人は図形を描く。」

(4)「斜格推論」の理論についてのすぐれた論究とその改良。


参考:ショルツ『西洋論理学史』山下正男訳、理想社、1961年。

*1:※2. 思念ないし概念(notio)が論理学のテクニカルタームになるのは、後期スコラにおいて(Zabarella Opera Logica; Goclenius, Lexicon Philosophicus)。
ユンギウスは、デカルトライプニッツが用いる、スコラ哲学に流布していた概念の区分を与えている。

*2:※3. ユンギウスは「概念」として次の3つの特徴を認めている。すなわち、1. 知性の働きの一次的対象、2. 想像(思惟)によって表出される、3. 事物の精神における表象像。概念は知性の対象であるが(1より)、それが表現されるのは想像によってである(2より)としているところは注目したい。なぜなら、これは、アリストテレス的伝統との関連を考慮すべき問題だからである。アリストテレスは、De Anima, III, ch. 8において、いわゆる原初的思考対象(πρῶτα νοὴματα)について述べている。そこでは、原初的思考対象は表象像(ファンタスマタ)と区別されている。アリストテレスにおいては、原初的思考対象を含むどのような思考の対象も、表象(パンタシアー)ではない。しかし、アリストテレスは、思惟されるものが、感覚されるものから分離して独立に存在することはできないとする。そして、思惟されるものは、感覚される形相のうちに存在している、とする(感覚のうちにないものは思惟のうちにもない)。真ないし偽、肯定主張と否定主張は、表象のはたらきと異なる、というのもそれらは、思惟された事柄(思惟内容)が結合されたものだからである。ただし、最初の結合されていない思惟された事柄(πρῶτα νοὴματα)は、表象ではないが、表象なくしては成立し得ないものとされる。こうして、アリストテレスは思惟された事柄が表象のはたらきと不可分であることを主張している。したがって、ユンギウスの概念の定義は、おおよそアリストテレス的伝統を踏襲したものであるということができる。ただし、「事物の表象像」としての概念(3より)というユンギウスの理解からは、アリストテレス的伝統との相違が読みとれる。事物にオントロジカルな優先性を与えているように思われる点では、アリストテレス的と言えるだろう。もっとも、ここの箇所では、概念の位置づけについてそれほど明確に記しくれているわけではない。暫定的にまとめると、概念の特徴1,2においてアリストテレス的伝統を受け継いでいるが、3においてその伝統から決別しているとみなすことができる。
同様な見解は、ヴォルフにも受け継がれ、概念(notio)は「精神における事象の表現rerum in mente repraesentatio」とされる(Philosophia rationalis, sive logica, 1728)。カントにおいても、概念(conceptus)は、表象(repraesentatio)の分類の中に位置づけられる。表象一般に意識を伴った表象(知覚perceptio)が従属し、概念は主観的知覚である感覚と区別され、直観と共に客観的知覚に配属される。 そこでは概念は、直接的に対象と結びつき個別的な直観とは対照的に、「複数の諸事物に共通でありうる一つの徴票を介して、間接的に対象と結びつく」(KrV, A 320 / B 377)。

*3:※5. 概念を基本単位として、それらの合成により命題が成り立つという伝統的モデルが提示されている。