labyrinthus imaginationis

想像力ノ迷宮ヘヨウコソ…。池田真治のブログです。日々の研究のよどみ、そこに浮かぶ泡沫を垂れ流し。

連続体と微小体(ミニマ)

帰国した際に、『現代の科学I』を引っ張り出して解説を読みました。非常に良くまとまっており、とても参考になったので、気になった箇所を一部自分の言葉に置き換えたり、事典で補ったり、自分の関心にひきつけたりしつつ、気ままにメモ。きりがないので歴史にそこまで深入りしたくはないけど、アリストテレスはやっぱり気になります。
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【書き途中】
17世紀西欧では、物質の構造の問題が自然学・哲学の一つの中心的問題としてあった。その問題は、古代ギリシャにおけるデモクリトス流の原子論とアリストテレス流の質料・形相論との対立にまで遡れる。前者は一定の形と大きさを持つ何種類かの原子が真空中に散在すると想定した。それに対して後者は、物質を質料と形相の2つの局面に分けて考える。すなわち、物質は質料としては、至るところに隙間もなく潜在し、原理的には無限に細かく分割できるものと考えられた。そして、それが実際に顕在化するのは、形相が与えられるからだとした。

17世紀前半、物質構造の問題にもっとも立ち入った最初の人物は、デカルトである。彼はアリストテレスと同様に、広い意味での物質によって占められていない空間は存在しないと考えた。世界が物質で隙間なく満たされているとするこの説を、世界の「充満原理」と呼ぶ。ある物体が運動することによってある場所に移り、他の場所が空いたならば、後者は直ちに他の物体によって占められなければならない。こうした運動の典型として、デカルトは回転運動や渦巻き運動を観た。そこで彼は宇宙には渦巻きが満ち満ちているという「渦動説」を提唱した。

しかし、デカルトの説では、いかなる真空な隙間もつくらないために、いくらでも小さい物質の粒子がつくられる可能性や、物質を構成する小部分の形や大きさが変わる可能性とかを残しておく必要があった。したがって、デカルト流の考え方は、不可分で形の変わらない原子を何種類かだけしか認めないデモクリトス流の原子論とは両立しなかった。ただし、本来は連続した物質の全体が大小さまざまな破片に分割され、それぞれの破片が互いに隙間を埋め合うようなしかたで運動し続けるという考え方には、広い意味での原子論的性格も認められる。20世紀の量子力学の成立によって、物質粒子にも波動性という連続性を認めなければならないことが明確になり、また、多種多様な素粒子の発見によって物質の分割可能性の限界が曖昧になっている今日、大小さまざまな広がりを持つ粒子の併存という考え方が、新しい意味をもって復活しつつあるといえるかもしれない。

デカルトの考え方には、根本的な前提として、宇宙の連続性が見られる。デカルトをはじめ、当時の多くの学者には、世界に関する根本的な連続性の仮定があった。すなわち、アリストテレスデカルト流の「自然は真空をきらう」という考え方である。それに従えば、運動はそれを媒介する何かによって、連続的に伝わらねばならない。また、力というのは、根源的には近接力に帰着されるべきである。こうした中で考えられたのが、光の媒質となるエーテルの理論であった。

他方で、17世紀には、ガッサンディを初めとして、原子論的な自然観もまた台頭してきた。ニュートンは、原子論を表面には出さなかったが、たとえば『光学』において見られるように、デモクリトス流の一定の形と大きさを持ち、絶対に破壊できない硬い小物体としての原子を想定していた。そして、万有引力を発見した。この力の成立はエーテルでは説明できないものだった。

しかし、万有引力は遠く離れた物体間で直接作用する力すなわち遠隔力にほかならない。それは遠く離れた物体間への力の伝達の飛躍を認める、いわば非連続的な力でもある。したがって、それは自然現象の根本原理に連続律を据えるライプニッツをはじめ、大陸側の学者から多くの反対を招いた。ライプニッツらは、遠く離れた太陽と惑星の間に働く万有引力について、両者の中間の空間に充満するエーテルを仲介とする近接作用に還元されるべきだした。

ニュートンは大きさと形を持った原子という定量的観点から物質を捉えていた。デカルトもまた、物質の粒子はどれだけ小さくとも、何らかの大きさと形を持つものである。この意味で、物質の単位と物質のあいだには広い意味での連続性が依然として想定されていた。それに対して、ボスコヴィッチは、質量を持つ点粒子としての「質点」の概念を導入することによって、ニュートン力学古典力学解析力学へと発展する基礎を築いた。ボスコヴィッチの質点系は、質点間の遠隔作用を基本とする。しかし観方を変えれば、それは空間的に近接する任意の諸点の力の場の間に一定の関係があることを認めるでもある。したがってそれは、エーテルのような不可思議な実体を捨象する、非常に抽象的な形での近接力への還元であると見ることもできる。

・ミニマ(minima)というのは、事物を分割していった極限にある微小体のこと。

アリストテレスはPhysics 1.4, 187b14-21で、自然的事物におけるミニマの存在を認めていると言われる。アリストテレスはその箇所で、与えられた自然的組織の形がその上に生じうるための、質料的基体の最小の大きさが存在すると書いている。たとえば骨と血はすべて、地球、空気、日、そして水の与えられた比例によって質料的に構成されている。したがって、骨と血の形相が生じうる前に、これら質料的構成要素のある最小の量がなくてはならない。この説は、質料的構成要素が無限分割可能であるという考え方と両立可能である。しかしそれは、後の新プラトン主義者や原子論者らによって、アリストテレスが最小の物理的部分を支持している証拠とみなされる*1

それに対して、不可分者(indivisible)とは、たとえば点などのように、分割不可能な対象を指し、ミニマとはニュアンスが異なる。