labyrinthus imaginationis

想像力ノ迷宮ヘヨウコソ…。池田真治のブログです。日々の研究のよどみ、そこに浮かぶ泡沫を垂れ流し。

せきがひどい。朝、論文読みとレジュメ。最近はこればっかり。講義を受けに大学へ。ついに一人になった。マンツーウーマン。自然とライプニッツフレーゲに関する議論に。先生の問題関心がわかった。あと、ライプニッツではときどきのぼる、観念と概念の区別の問題で議論。
以下はライプニッツィアン好みの話題。DMやQuid sit idea ?などでは、観念と概念はacte[訂正:faculté]かconcuかが規準となって、あり方において区別されていたと思うのだが(「完全個体概念」とは言うが、「〜観念」とは言わない)、NEではほとんど区別されていなかったように思うし論理学の著作においては違いはなかったように思う。それほど深く調べたわけではないので、どうなのだろう。概念も、notion(notio)とconcept(conceptus)で違いが出てくるのだろうか。フレーゲに近づけたい先生の議論にとっては観念と概念は区別されたほうが対比と類似がクリアになるのでいいのだろうが、複数のコンテクストを知ってしまっている自分としては都合が良すぎる感じがある。時間があれば、基礎的だが重要なことなので、きちんとRef.とコマンテールをつけて提示したいのだけれど、明日の準備があるのでまたの機会に。昔、卒論で少し書いた気がするし、ちょくちょく触れる話題なので、レジュメとかを探せばあるかもしれない。テクストは思い出せるけど内容がはっきり思い出せないようではどうしようもない。知っていることを整理しないといけません。[追記。観念と概念の区別については10月18日の記事で少し補いましたのでそちらを参照してください。]
卒論で触って以降、研究の多すぎるライプニッツの論理学の哲学から遠ざかってしまっていたけど、そうもいかないのでいいかげんきちんとやり直さないと。あと師匠の講義が飛ばしぎみなので、なんとかくらいついていかないといけない。事務的な問題もいくつか残ったまま。そう思いつつ、図書館でロジックの問題を解いたりして遊んでしまう。夕焼けがきれいすぎたので、それを眺めつつ帰宅。
これから夕飯食べて、明日の予習。課題はCrispin Wrightのあれとか。とてもきつそう。
曰く、"No-one who wished to understand current philosophical controversy about mathematics could reasonably omit study of Frege's texts"。
数学の哲学は広大なのでほかにも道があってよい気がするし、フレーゲの関心はとてもdeepな反面、若干narrowな嫌いがある。けど、現状は確かにそうなのかな。ほかに思い浮かばないくらい。