labyrinthus imaginationis

想像力ノ迷宮ヘヨウコソ…。池田真治のブログです。日々の研究のよどみ、そこに浮かぶ泡沫を垂れ流し。

ライプニッツの空間論に向けての無限小な一歩

晴れ。ノルマと昨日のつづき。その作業でワイルを読んでいたが、一番気になったところをメモ。

自然の法則性が、Leibnizの連続性原理によれば、相互のすぐ近所にある空間-時間点における物理的量の値を結合する近接作用の諸法則の中に現れるのと同様に、幾何学の基礎的関係は無限に近く隣接している点にだけ関係すべきである(‘遠隔幾何学’に対立する‘近接幾何学’)。無限小領域においてのみ我々は基本的な一様な法則に出会うことを期待しえよう。したがって世界は無限小領域におけるそれの行動を通じて理解されねばならぬ。*1


典拠は示されていなかったが、友人の発表は、これをきちんと説明しようと試みたもの。前半が、リーマンの無限小幾何学の改訂によって近接幾何学から遠隔幾何学を構成するワイルの無限小幾何学とそれに基づく空間の物理学的理論の説明。後半が、その空間の数学的・物理学的理論と現象との関係の哲学的基礎について。哲学史的部分に関しては、デカルトの相対運動の考えと「共存在の秩序」に基づくライプニッツの関係説がきちんと区別されていないなど、問題点が多い。いずれも、典拠が示されておらず、コメントを準備するのも一苦労。コメントを考えていく過程で、ライプニッツの空間の概念について、もっときちんと理解しなくてはいけないと反省。以下はそれに向けた無限大雑把なメモ。

たしかに、デカルト相対主義的な運動の定義を『哲学の原理』第II部および第III部で採用している。それは、ニュートンの絶対空間の考えと対立するものだ。しかし、デカルトの相対運動の考えから、「共存在の秩序」として空間が構成されるとする、ライプニッツの関係説がただちに帰結するわけではない。デカルトにとって、物質即延長、空間即延長であり、したがって物質と空間は相即的なものである*2。すなわち、物質と空間は切り離して理解できない*3。創造の観点からは、物質が創造された時点で、物質が占めているところの空間もある。したがって、創造の観点では先後はありえないが、認識の順序によっては、空間は物質からアブストラクトされたものである。それを踏まえた上でなら、世界は物質で充満しており、したがって、すでに空間で充満していると言ってもよい。デカルトの相対運動の考えは、この充満せる世界の上で、われわれに可知的な部分について見れば、いずれを静止系ととってもかまわないという主張である。ニュートンは、このような基準系の選択の自由がもたらす理論的不都合を叩くわけである*4

デカルトの考えは、広い意味での「共存在の秩序」としての空間の考えに矛盾しないが、共存在する事物の配置によって副次的に「構成される」秩序としての、空間のライプニッツ的概念を捉えたわけではない。良く知られるように、ライプニッツは、相対運動の擁護者ではあるが、デカルトの運動や物体即延長(空間)の概念の批判者である。ライプニッツにとって、物理的空間は、あくまでもろもろの物質の配置から派生する、二次的なものである。空間の中に諸事物が配置されるのではなく、事物が空間を生成する。これにモナドの理論や現象に関する表現の理論などが重なってきて、厳密に論証するのは大変なのでまだ仮説段階であるが、大雑把に言えば、ライプニッツにとって、延長は物体から抽象されるが、物理的空間や幾何学的空間は単なる抽象ではなく、諸物体ないし諸点の配置から構成されるものである*5ライプニッツ形而上学を踏まえて言い換えるならば、延長の概念は個体的実体の属性であるが、空間の概念は個体的実体の属性ではなく、諸実体の場所によって構成される観念であると言うことができよう。

ライプニッツの関係説は、彼の唯名論的科学観と彼の認識論と形而上学に深く結びついて主張されたものである。ライプニッツの関係説に関しては、現代の科学哲学者らにより、数学的・物理学的厳密性を伴って論じられている。しかし、哲学史的な厳密性を伴った上でその問題が考察されているかと問われれば、そこにはまだ不徹底があろうし、いまだ未消化にとどまる注目すべき部分も残っていよう。ライプニッツの空間の関係説を、その体系内から厳密に提示することは、その上で意義があることかもしれない。それは、自分の今後の研究の延長にあるものだろう。先は長いけど。

*1:ヘルマン・ワイル,『数学と自然科学の哲学』,菅原正太・下村寅太郎・森繁雄訳,岩波書店,1959年, 96-97頁.

*2:« la même étendue qui constitue la nature du corps, constitue aussi la nature de l’espace », PP, II, art. 11, AT. IX, 68-69 ; « eandem esse extensionem, quae naturam corporis et naturam spatii constituit », AT. VIIIa, 46.

*3:小林道夫,『デカルトの自然哲学』, 岩波書店, 1996年, 第IV章第1節を参照。

*4:内井惣七,『空間の謎・時間の謎』,中公新書,2006年,第II章参照.

*5:ライプニッツにおいて空間が単なる抽象ではないという分析は、ゲルーの次の論文を参照。Martial Guéroult, << L'Espace, le point et le vide chez Leibniz >>, Études sur Descartes, Spinoza, Malebranche, Leibniz, Hildesheim, 1970, p. 252-275 (Revue Philosophique de France et de l'étranger, CXXXVI, 1946, p. 429-452).