labyrinthus imaginationis

想像力ノ迷宮ヘヨウコソ…。池田真治のブログです。日々の研究のよどみ、そこに浮かぶ泡沫を垂れ流し。

午前、いろいろ本が届く。
村上勝三先生の、『観念と存在―デカルト研究1』および『数学あるいは存在の重み―デカルト研究2』(知泉書院, 2004, 2005)など。
デカルトに関しては、いいかげんな論文を書いてしまった。深く反省。しかし、扱った問題の重要性は、少なくとも間違っていないと思える。一から出直し。

大学でディプロムを受け取る。しばらく図書館で時間をつぶして、午後、3度目のバリケード越え。二つ目のサインをゲットし、その足で別棟にある事務に三つ目のサインのため書類を提出。これで、週末はひさしぶりに研究に集中できそうだ。ホッとする。

その後、今日会う予定だった、Cとひさしぶりの再会を果たす。彼からトポロジー史について講釈を受け、4時間ほど問答。彼の研究が正しい方向に行っているならば、(代数的)トポロジーが、ポアンカレの独創的天才によるものかのように受け取られている印象がだいぶ変わるのではないか。ガウス、リーマン、ベティなどの原典に当たり、ポアンカレトポロジーの誕生がどのようになされたのか、歴史的に解明しようとしている。どこまでが数学者の独創的部分で、どこまでが遺産の部分なのか、境界づけることは難しい。その場合、哲学的部分では、「数学的発見」の意味を問わねばならない。ラカトシュをまだ読んでいないようだったので、お粗末ながら、その読書を勧めておいた。むろん、トポロジーでのケース・スタディを彼から教わろうという算段。

ところで、彼は、ポアンカレセミナー@マルセイユの昼食時のレストランで強盗にあい、その対処の際に、腕にたいそうな怪我を負ってしまった。もはや完全には戻らないが、書けるようにはなるそうで、最悪の事態は免れた。なんだか、マルセイユの印象がもっと悪くなった。海はいいのだが血のそれはカンベンだ。笑ってその際のことを話せる彼は、なんともタフである。そして怪我の功名なのか、なんだかものすごく勉強している。

それから二人してひさしぶりに書店に行き、某氏からその出版を伝えられていた次の本を購入。