サイバネティックスの守護聖人としてのライプニッツ〜ウィーナーと『モナドロジー』〜
ライプニッツの『モナドロジー』には、モナドに組み込まれた自然のプログラムを予感させる言明が出てくる。また、良く知られるように、「自然のオートマトン」など直接的な表現もあるので、オートマトンの理論や情報科学(の歴史)において、ライプニッツの『モナドロジー』に関する言及が当然あるだろうことは想定していた。その中でNorbert Wienerが、The Human Use of Human Beingsの中で、ライプニッツに言及しているのに(もう大分前に)気づいたので、いつか時間がある折りに検討してみようと思ったことがあった。なかなか機会がなくて今までに延び延びになってしまったが、とりあえず邦訳『人間機械論』を見て抜き書きだけはしておくことにした。
ウィーナーは、通信の科学史を考えるに当たり、フェルマー、ホイヘンス、ライプニッツが「視覚像の通信」に関心の焦点があったとして、17世紀の光学に注目する。フェルマーの最小化原理、ホイヘンスの原理、そして、ライプニッツの「モナド」である。ウィーナーは、モナドは「予定調和」に基づいて相互に相手を知覚するが、「この相互作用を主として光学的なものと考えたのはかなり確かである」と述べている。
17世紀の光学およびライプニッツの光学研究を知らないので、ウィーナーの指摘の正しさをすぐに判断できないが、光学研究の観点からのライプニッツ研究が近年行われていることは知っているので、興味深い言及である。たとえば、ライプニッツは光学におけるいわゆる「最小作用の原理」から目的論を擁護し、自然神学に応用したという分析もある*1。ライプニッツの『モナドロジー』への17世紀光学の影響は、調査されるべきである。
さらにウィーナーは、モナドにはこの種の知覚以外交通手段がなく「窓」がないので、「彼の考えによれば、あらゆる力学的相互作用は実は微妙な光学的相互作用の帰結にほかならない」とする。そして、「ライプニッツの哲学のこの部分に表れている光学と通報とへの関心の集中は、彼の哲学全体に流れている」とまでいう。
それは、とりわけ「普遍記号法」(Characteristica Universalis)と「推理計算」(Calculus Ratiocinator)に見てとれるとする。
たしかに、普遍記号法は、概念に一義的に対応する表を定め(思考のアルファベット)、また、推理計算はそれら概念の計算をすることであるから、広い意味で通信(コミュニケーション)の問題と捉えられなくもない。
『サイバネティックス』では次のようにも述べている。
「科学史の中からサイバネティックスの守護聖人を選ぶとすれば、それはライプニッツであろう、ライプニッツの哲学の中心は、普遍的記号法と推理の計算法の密接に関連した二つの概念である。これらの概念から今日の数学の記号法と記号論理とが生まれたのである。算術がそろばんや卓上型計算機を経て現代の超高速計算機に至るまでの計算機の機構の根幹をなしているのと同様に、ライプニッツの'推理計算法'(calculus ratiocinator)は'推理機械'(machina ratiocinatorix)の萌芽を含んでいたのである。事実、ライプニッツ自身、彼の先駆者パスカルと同様、金属部品で計算機械をつくることに興味をもっていた。したがって論理数学の発達をうながしたと同一の知的衝撃が、思考過程の機械化をも導いたとしても少しも驚くに当らない」*2
ライプニッツは論理学や情報科学などいろいろな分野の萌芽と言われることが多いが、サイバネティックスでもそのように言われている。
ウィーナーの『人間機械論』では次のようにまとめている。
「ライプニッツは、通信という観念に熱中した点で、いろいろな意味で、本書の思想の知的祖先である。というのは、彼は機械による計算とオートマトン(自動機械)にも関心を持っていたからである。本書における私の見解は、ライプニッツのものとはひじょうにちがっているが、私が取り組んでいる問題は確かにライプニッツのそれと同じである。ライプニッツの計算機は、計算用の言語または論理的思考用の計算術に対する彼の関心の派生物にすぎず、これはまた彼の頭の中では、完全な人工言語をつくろうという彼の構想の一つの延長にすぎなかった。こうして、ライプニッツの主たる関心は彼の計算機においてさえ、大方言語と通信に関するものであった」*3