ライプニッツ『モナドロジー』§23
1. 原文
Donc, puisque reveillé de l'étourdissment on S'APPERÇOIT de ses perceptions, il faut bien qu'on en ait eu immédiatement auparavant, quoiqu'on ne s'en soit point aperçu ; car une perception ne sauroit venir naturellement que d'une autre perception, comme un mouvement ne peut venir naturellement que d'un mouvement.
したがって、気絶状態から目覚めたとき、自らの表象を意識するのであるから、たとえそのことを意識していないとしても、目覚める直前にもその表象を持っていたのでなければならない。というのも、ある運動が別の運動からしか自然的に由来しないように、ある表象は他の表象からしか自然的には由来しえないからである。
2. 備考
自己同一性を支えるのは、表象の連続性である。ここでの議論には、「連続律」が応用されている。すなわち、表象は飛躍しない。かならず、表象には先立つ表象がある。自覚的意識はあくまで判明な表象の部分であり、自覚が断続的でも、根底にある表象は、意識下で連続的に変化している。
5. レッシャーのコメンタリー
反省的な自覚を伴う、ある特定の種の「高められた」現前が、ライプニッツ流の「意識(的表象)」である。
無意識的表象の基礎の上においてしか、われわれの心的生の連続性は保証されえない。
でなければ、われわれの感覚と表象は「無から」ex nihilo由来することになる。
ライプニッツが見るように、これらの無意識的な「微小」表象は、われわれの経験の整合的な説明にとって不可欠である。というのも、ある表象に関する基礎あるいは機会原因というのは、別の表象でしかあり得ないからであり、また、われわれの意識的表象の基礎ないし機会原因は無自覚の、無意識的表象のはずだからである。
ライプニッツのここでの推論は、自然的プロセスに関する連続性の原理に基礎を置いている(§10参照)。
彼が見るように、モナドの各状態というのは、そのあらゆる特徴の連続的な展開をもたらす、暗黙的な展開する「系列の法則」を通じて、あらゆる先の状態に暗黙的に含まれている。
したがって、われわれの意識的な心的生と無意識的な心的生、われわれの夢見と覚醒は、全く分離しているというより、むしろ連続的な経験である。