labyrinthus imaginationis

想像力ノ迷宮ヘヨウコソ…。池田真治のブログです。日々の研究のよどみ、そこに浮かぶ泡沫を垂れ流し。

幸福に関するライプニッツの格律について。

ライプニッツは次のように言っていた。

…ここで説明されるべきは喜びと苦しみの本性である。それは成功の表象以外のなにものでもない。すなわち、自らの完全性についての表象にすぎない。したがって、人は、ある努力に満足するとき成功し、努力に抵抗するとき苦しみが生じる。

ライプニッツにしたがえば,実体には,その根拠にある形而上学的な法則として,欲求の原理と表象の原理という,2大原理があるとされる.それは,アリストテレスの諸原理を2つにまでそぎ落としたもので,晩年の『モナドジー』で提示されることで有名になったものであるが,この2大原理そのものは,1678年にすでに確立ている.一方は,われわれの能動的な作用の原理として,他方はわれわれの受動的な表現の原理として,相補的な仕方で,あらゆる事象に関わっているとされる.

喜びや苦しみも,その例外ではない.われわれには,幸福になりたい,人生で成功したいという欲求がある.それらが満たされたとき,われわれには喜びや楽しさが表象される.また,それらが満たされず,失敗したり,過去を振り返ったりして悩んだりするときには,苦しみや悲しみの表象がある.ライプニッツにとって,そうした喜びや苦しみは,われわれの完全性へnの希求とその実現として捉えられる.すなわち,われわれには,自らの完全性を実現したいという欲求があり,それは自らの完全性を表現することで達成されるものである.努力をしないことの欲求については,ライプニッツは明示的に書いているわけではないだろうが,完全性への希求は人間が本性的に持つものなので,たとえ,努力をめんどくさがることを欲したりしても,それは,先の根本的欲求への抵抗とみなされるであろう.

このようなライプニッツの議論の真偽はともかく,ここから得られる教訓を引き出すことが,われわれにとって重要であろう.すなわちそれは,自らの完全性の欲求にしたがい,努力して,それに成功すれば,満足が得られ,したがって喜びも生じる.しかし,その欲求に抵抗して,努力を放棄し,怠けた結果,それに失敗すれば,満足が得られず,かえって苦しみを生む,というものである.

では,がんばって努力したけれども,失敗してしまった場合は,どうであろうか?あるいは,努力しなかったけれども,成功した場合は,どうであろうか?

おそらく,その失敗を後悔して,さらなる努力を放棄してしまい,苦しみの上乗せを生じるよりは,次の目標に向けて,努力をすべきである,というように,ライプニッツならば答える気がする.実際,ライプニッツの言明が,すでにそのことを示唆していよう.なぜなら,単なる満足が成功とされているのではなく,努力に満足することこそが,そこでは成功とされているからである.

幸福に関するライプニッツの格律は,「ゆるふわ」「癒し系」が流行る現代では,あまり受け容れられそうにない,厳しい規準かもしれない.しかし,彼自身はおそらくその規準にしたがい,多くの業績を成し遂げることができたのであろう.