labyrinthus imaginationis

想像力ノ迷宮ヘヨウコソ…。池田真治のブログです。日々の研究のよどみ、そこに浮かぶ泡沫を垂れ流し。

カルナップ『世界の論理的構築』序論メモ

哲学的旨味を求めて、復習がてら、PartIのところまでをメモ。なにせ雑ですし間違いも多いと思います。読んでいるのは第2版の英訳です。古本で10ユーロくらいでした。

The Logical Structure of the World & Pseudoproblems in Philosophy, Trans. by Rolf A. George, University of Califormia Press, Berkely and Los Angeles, 1969.

Part1で気になったのは、構成の概念と、概念と対象の捉え方です。それぞれ2つに分けてメモします。

1.「構成」の概念について

カルナップは『世界の論理的構築』において、知識のあらゆる分野の概念の合理的再構成、概念の形式的体系の構築を目指す。すなわち、概念のclarification、explicationを自らの仕事とする。そこでは物理主義の立場に立ち、実在論、観念論、非実在論は擬似問題であるとする。カルナップにとって、概念と対象の区別と同じく、それらは単なる語り方の違いにすぎない。では、カルナップはいかにしてそのような概念の体系を「構築」するのか?そもそも「構成」をどのような意味で捉えているのか?

カルナップの「構築」ないし「構成」constructionの概念は『構築』の中で明確に定義されている。あらかじめその特徴を言えば、「心理的」ではなく、純粋に「論理的」な構成である(あるいはそれを意図している)。「論理的」ということで、ラッセル、ホワイトヘッドらの関係の理論が採用される。そうした関係の理論の構成的体系への応用というアイデアを、カルナップはライプニッツの普遍的記号法characteristica universalisにまで遡る*1。「構成」の概念は、単なる部分の総和による合成と混同されてはならないもので、対象の構成は論理形式をとった定義という形で与えられる。これに関連して、カルナップは単なる集合ないし総和としてのwholeと、プロセスなり何らかの連関を持つlogical complexを区別する。後者は、全体/部分の関係では捉えられないが、すべてのstatementがその要素のstatementにtransformできる。すなわち、目指されるのは、概念の単なる寄せ集めではなく、ある演繹的体系である。

次に、構成概念の定義である。
カルナップの構成概念の基礎にあるのは、明確な還元主義である。実際、reducibilityの定義からconstructionを定義している。

"An object(or concept) is said to be reducible to one or more other objects if all statements about it can be transformed into statements about these other objects."

"reducibility is transitive."

"To reduce a to b, c or to construct a out of b, c means to produce a general rule that indicates for each individual case how a statement about a must be transformed in order to yield a statement about b, c."

"By a constructional system we mean a step-by-step ordering of objects in such a way that the objects of each level are constructed from those of the lower levels."(p.6)

reducibilityとtransitivityから、概念のConstructional Systemの条件としてbasic objectsが要ることになる。そして、それらbasic objectsの存在を、カルナップは全面的に認める。また、すべてがそこへと還元されるところの所与たる対象領域も唯一であるとする。


2.「概念」の概念について

こうして、「概念」の体系が基本的な「対象」から上記の意味で「構成」される、と考えているように、カルナップは「対象」と「概念」を無差別化している。そして、自分がもっとも関心があるのは、この「概念」の取り扱いである(このことはライプニッツのテーマにも重なる)。

カルナップは「対象」をそのもっとも広義な意味で捉える。すなわち、「対象object」とはそれについてstatementをなしうるものすべてである。そして、ある記号が概念を表示するかそれとも対象を表示するか、また、ある文が対象に関して成り立つかそれとも概念に関して成り立つかについて、論理的な差異はないと言う。つまりカルナップはconceptとobjectをconstruction theoryを語る上で区別しない。

「…対象とその概念は同じ一つのものである。この同定は概念の実体化ではなく、反対に、「対象の函数化」を意味する。」(p.10)
「概念と対象のあいだの区別は、語り方の違いにすぎない」(p.15)

カルナップがこのように対象と概念を同一視するのは、形而上学的な負担を強いない中立的戦略をとりたいからである。そして、その同一視を可能にしている一つのファクターは、「構成」の概念であると自分は考える。カルナップは「思考は対象を〇〇する」と言うことで、新カント派的な"create"でも、実在論者の"apprehend"でもなく、中立的な"to construct"を採用する。ここから明らかなのは、カルナップがconstructを存在論的に中立な意味で用いたいということである。そしてその中立化を支持しているのが、論理的観点からの構成概念の理解である。すなわち、PMの体系でなされた、あるいは自身がSyntaxで行った、論理的構文論のなかでなされる原子文から複合文へとボトムアップされる論理的関係としての「構成」である。そこでは心理的要素が捨象されているかそもそも考慮の範疇にない。でないと、概念のclarificationにならないからである。ともかく、この存在中立的な構成概念を介して、対象と概念が同一視されると考えられる。

しかし、対象と概念を同一視することは本当に可能なのだろうか。これは次の問いも含意する。カルナップの想定するような、構成の中性的概念は本当に可能なのか。すなわち、論理や数学の体系にとどまらず世界にまで応用される「論理的な」構成概念を、徹底して中立的に捉えることなど可能であろうか。もっと大雑把に言い換えれば、「ロジックって、本当にニュートラルなの?」っていう疑問がある(カルナップは、普遍的なアプローチとしてのロジックという前提から出発している)。まだまだ疑問は尽きない。対象と概念の関係をめぐる哲学的問題とは?(カルナップのプログラムは否定されたわけだが)世界の合理的構築はどの程度まで可能なのか?

本書を読んでいて、「そもそも「概念」とは何なのか」というプリミティヴな哲学的問題のclarificationという課題を改めて突きつけられた。そういえば昔、修士の願書に、今後のテーマとして「概念の問題」と書いたのだった・・・。漠然。

追記(07/09/09)。「構成」概念の多義性。論理学でも、直観主義的な構成、古典論理的な構成、etc. と、体系に応じて多様である。すなわち基本論理として何を採用するかで、意図される世界の構成も変わってこよう。カルナップの「構成」概念の分析と批判、という課題。

*1:"The fundamental concepts of the theory of relations are found as far back as Leibniz' ideas of a mathesis universalis and of an ars combinatoria. The application of the theory of relations to the formulation of a constructional system is closely related to Leibniz' idea of a characteristica universalis and of a scientia generalis"(p.8; 太字強調筆者).