labyrinthus imaginationis

想像力ノ迷宮ヘヨウコソ…。池田真治のブログです。日々の研究のよどみ、そこに浮かぶ泡沫を垂れ流し。

A. ヴァルツィ「境界」(Stanford Encyclopedia of Philosophy)[翻訳]

SEPにある、ヴァルツィの「境界」を翻訳してみました(抜粋や参考文献、リンク等の部分は除く)。

授業資料用に翻訳したものです。また、境界の問題は、連続体の哲学をめぐる、自分の研究関心の比較的中心にあるので、自分用に翻訳を思い立ったところもあります。

しばらくgoogleドライブの方に置いておきますので、ご参照いただければ幸いです。

A. ヴァルツィ「境界」(翻訳:池田真治)

 

誤訳等、ご指摘いただけましたら幸いです。さわりの部分だけ、ブログの方にも載せておきます。

 

A. ヴァルツィ「境界」

池田真治(翻訳)

出典:Varzi, Achille, "Boundary", The Stanford Encyclopedia of Philosophy (Winter 2015 Edition), E. N. Zalta (ed.), URL = <https://plato.stanford.edu/archives/win2015/entries/boundary/>.

[最終更新:2020/06/04]

 私たちは、周囲から区切られた存在物[entity]を考えるときはいつでも、境界を考える。例えば、メリーランド州ペンシルバニア州を隔てる境界(線)がある。円盤の内側と外側を隔てる境界(円)がある。このりんごのかさ〔体積〕を囲む境界(面)がある。時々、境界の正確な位置[location]が不明瞭であったり、論争的なものであったりする(エベレスト山の縁や、あなた自身の体の境界をなぞろうとするときでさえも)。境界が何らかの物理的な不連続性や質的な差異に曲げられていることもある(ワイオミング州の境界や、同質な球体の上半分と下半分の境界のように)。しかし、鮮鋭であろうとぼやけていようと、自然的であろうと人為的であろうと、すべての対象には、世界の他の部分からそれを切り離す境界があるように見える。出来事にもまた境界がある──少なくとも時間的な境界がある。私たちの人生は、生まれた時と死んだ時に限界づけられている[bounded]。サッカーの試合は午後3 時きっかりに始まり、午後4 時45 分に審判の最後のホイッスルで終わった。概念や集合のような抽象的な存在物でさえも、それ自身の境界があることが示唆されることがあり、ウィトゲンシュタインは、私たちの言語の境界が私たちの世界の境界であると強調的に宣言することができた(1921: 5.6)。しかし、このような境界語りがすべて整合的かどうか、また、それが世界の構造を反映しているのか、それとも単に私たちの心〔精神〕の組織化的活動を反映しているだけなのかは、深い哲学的論争の問題である。

  1. 問題点

1.1 所有境界対未所有境界

1.2 自然的境界対人為的境界

1.3 鋭い境界対曖昧な境界

1.4 体なき境界対かさばった境界

  1. 諸理論

2.1 実在論者の理論

2.2 消去主義者の理論

 

アカデミーと学術雑誌の形成と文芸共和国の誕生──『世界哲学史5』「ポスト・デカルトの科学論と方法論」への補論[2]

  • この原稿は、「ポスト・デカルトの科学論と方法論」『世界哲学史5』(ちくま新書、2020年)の準備として書いたものです。巻末の年表に少し反映しました。これも、あくまで整理のために書いたものなので、ざっくりとしてますが、ご容赦ください。
世界哲学史5 (ちくま新書)

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  • 発売日: 2020/05/08
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アカデミーと学術雑誌の形成と文芸共和国の誕生

                池田真治

 

この時代の科学論と方法論を知る上で、17世紀後半に近代国家によって設立された学術協会や科学アカデミー、および学術雑誌によって形成された「文芸共和国」(République des Lettres)という文脈は無視できない。

すでに17世紀初頭には、イタリアはローマにアカデミア・デイ・リンチェイが創設され、ガリレオらがこれに加わった。1666年にはコルベールの主導のもと、ルイ14世によりパリ王立諸学アカデミー(後のフランス学士院)がパリのルーヴル図書館内に設立された。その初の外国人会員としてホイヘンスが選ばれ、ライプニッツも後に名を連ねている。アカデミー会員の学術的成果は、1665年創刊の世界初の学術雑誌である『知識人の雑誌』(Journal des Scavans)に掲載された。

また、1660年にはロンドンに英国王立協会が設立される。そこでは定期的な会合があり、実験の発表と同時に再現実験も行われ、公的な検証がなされた。そこでの科学的発見や成果は、王立協会秘書のオルデンバーグが編集者となって1665年に創刊した『哲学紀要』(Philosophical Transactions)に公表された。ボイルやフック、ニュートンらは、こうした場で実績を積みあげ、名声を築いたのである。

他方で、三段論法を確実な推論の軸とし、原理を重視するアリストテレス以来の伝統的な知識観も残存しており、実験的手法に対する批判もないわけではなかった。とりわけホッブズは原理的考察と理性的推論を重視し、実験的方法で知識を獲得できるとみなすボイルらを批判し、真空の存在に対しても懐疑的であった(シェイピン、シャッファー『リヴァイアサンと空気ポンプ』参照)。ホッブズは王立協会に所属する数学者ウォリスとも、方法論や数学理論とりわけ無限小の概念をめぐって論争した(アレクサンダー『無限小』参照)。このようにホッブズは王立協会に多くの論敵がいたが、その政治的・宗教的立場も危険視され、決して王立協会のフェローになることはなく、協会から排除されている。

スピノザはこうした学術共同体に所属したり学術雑誌媒体に出版したりせず、自らのサークル・メンバーの庇護と援助のもと、地下出版によって思想を広めていった点で興味深い。他方でライプニッツは、1682年、ライプツィヒにてオットー・メンケを編集者とする『学術紀要』(Acta Eruditorum)の創刊に主体的に関わっている。また1700年にはベルリンに諸学協会(後のベルリン科学アカデミー)の設立を主導し、自ら初代会長となっている。

これらの学術共同体は、純粋に学術を探求する文芸共和国としてオープンな側面もあったが、国民国家の黎明期でナショナリズムが芽生える当時にあっては、国家間競争を反映する場ともなり、政治的・宗教的・民族的理由による排他的側面もあったことは否めない。ニュートンライプニッツ微積分の発明をめぐり争ったように、先取権論争も盛んとなる。しかし、学術的な協会と雑誌という新たな場所と媒体の登場は、それまでの伝統的な学問様式を変革し、知識のより公共的かつ客観的な構成を可能にしたと言えよう。その点では、公的な扱いを受け、そうした学術雑誌にも出版された往復書簡の意義も大きい。

デカルトの方法──『世界哲学史5』「ポスト・デカルトの科学論と方法論」への補論[1]

  • この原稿は、「ポスト・デカルトの科学論と方法論」『世界哲学史5』(ちくま新書、2020年)の準備として書いたものです。あくまで整理のために書いたものなので、ざっくりとしてますが、ご容赦ください。
世界哲学史5 (ちくま新書)

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デカルトの方法

   池田真治 

 

 17世紀の哲学と科学の革命が、デカルト一人に象徴されるのは、あまりに行き過ぎた考えだとしても、デカルトが、数学と哲学、両者の方法に大いなる革新をもたらしたことに異論のあるものはいないだろう。それだけでなく、両者の方法は互いに密接に結びついており、形而上学に基礎づけられている。それゆえに、デカルトの計画は極めて体系的な性格をもっている。

 

 デカルトが哲学の方法にもたらした重要な側面は、少なくとも二つある。一つには、数学的理論から抽出し一般化した方法を諸学に応用した数学的自然学である。もう一つには、そのような数学的方法を自然へと普遍的に適用することを正当化する形而上学的基礎である。デカルトの数学的自然学は、実験的方法と結びついた仕方で数学を自然の言語とみなすガリレオのそれと異なり、より理論的・体系的な観点から数学的世界像を描く。また、実験的検証によって諸原理を確立したガリレオに対して、デカルト形而上学によって諸原理を基礎づける。

 

 デカルトが活躍した17世紀前半にはすでに、自然の知識を数学によって厳密に操作するという理想が芽吹いていた。デカルトは、オランダにてイサック・ベークマンと出会った青年期から、数論と幾何学を統合する新しい「代数学」を企図していた。若きデカルトはこのベークマンの影響によって、「自然学的数学」的な粒子主義に立った機械論哲学を採用する。そして、機械論的に説明できず知解不可能な神秘的な力として、アリストテレスの実体的形相を拒否する。しかし仮説的方法をとるベークマンと異なり、デカルトアリストテレスの伝統的学問に欠けている「確実性」を基礎に、自らの宇宙像を構築しようとする。そこでデカルトは、その礎となる絶対的確実性を数学(算術と幾何学)に求めた。すでにその試みは、遺稿となった初期の作品『精神指導の規則』に現れている。たとえば、第二規則において、学問(知識, scientia)とは、すべて確実で明証的な認識であり、数論(算術)と幾何学がその学問のモデルとなる、としている。そして、「算術や幾何学の論証に匹敵する確実性を持ち得ない、どんな対象にも専念するべきではな」く、「蓋然的にすぎないすべての認識を斥け、完全に認識され疑いえないもののみを信じるべきである」とする。学問は、明証的で確実な知識の基礎を与える数学から出発すべきことを彼は掲げるのである。

 

 さらに、『精神指導の規則』の第四規則では、「順序(秩序)と尺度(計量的関係)に関する一般的学問」としての「普遍数学」(Mathesis Universalis)が構想される。それは、算術が扱う数、幾何学が扱う図形、そして天文学が扱う星など、個別の分野が指定する対象や尺度に限定されない、ある普遍的な学である。デカルトは、対象間の量的な「比例」関係を天文学や音楽、光学、機械学など他の諸学にも見てとった(名須川学『デカルトにおける〈比例〉思想の研究』第三部、第一章)。これによって普遍数学は、アリストテレスの「存在の類」にしばられることなく、離散量と連続量を統一的に扱い、線や面・立体という異なる次元に関する計算を扱い得るものとなる。こうして、デカルトは普遍数学によって、数学の抽象一般概念が、自然の実在的構造を規定するという自然哲学を構想した。普遍数学はこの意味で、感覚的事物や個体的実体を実在的根拠とする観点から、形而上学(第一哲学)と自然学を数学よりも優位とするアリストテレス的な存在論・学問論から脱却している。

 

 デカルトの数学的自然学が最も明確なかたちで提示されるのは、デカルトが自らの体系を原理から論証するかたちで示した『哲学の原理』(1644)においてである。引用しよう。

 

「私が自然学において受け容れあるいは要請する原理は、幾何学あるいは抽象数学の原理だけである。なぜなら、このようなやり方であらゆる自然現象を説明することができるし、またそれらについての確実な証明を与えることもできるからである。」(デカルト『哲学の原理』第II部, §64)

 

 こうしてデカルトは、自然学の原理を幾何学と数論の原理のみとし、観察・実験・仮説・帰納・科学的道具の発展と使用はここでは無関係とする。デカルトは何よりも数学がもたらす確実性を優先したのである。そして、他の諸学において混入する感覚・知覚に依存した蓋然的知識を極力排除し、その明晰判明な観念を持つもの、そしてそれらから演繹されるものに知識を限定する。

 

 さらにデカルトは、彼の形而上学によって、それまでの伝統的哲学がもっていた数学と自然学の垣根を取り除いた。アリストテレス主義では、数学と自然学が扱う対象を形而上学的に区別していた。すなわち、自然学は生成・変化する独立した存在者(実体)を扱い、数学は実体に依存する不変の存在者(単なる抽象的対象)を扱うものとした。これに対し、デカルトは、数学と自然学を統一する。すなわち、物体の本性を延長とする「物体即延長説」により、物体・空間・世界を、幾何学的延長のもとに一貫して捉えることを可能にした(『哲学の原理』)。

 

 デカルトの当初の普遍数学の構想は、その認識論的基盤をもたなかったためか、「普遍数学」という名称は『精神指導の規則』の第4規則以外では登場せず、その後すがたを消す。代わりに前面に出てくるのは「方法」(Methodus, Méthode)という言葉である。デカルトの方法論の代表作『方法序説』では、四つの規則として、明証性、分析(ないし分割・分解)、順序、枚挙が採用される(『方法序説』第二部)。とりわけ重要なのが、最初の規則である。デカルトはこの明晰・判明なものだけが確実な知識として認められるという「明証性の規則」によって、確実な知識を数学的概念に限定し、数学的自然学に基づく世界像を立てることを可能にした。この世界の第一原理となっている「明証性の規則」は、彼の『方法序説』や『省察』において、コギトおよび神の存在証明によって基礎づけられている。

 

 『精神指導の規則』ではまだ、感覚的事物から形相を可感的形象(species sensibilis)として抽象するための感覚、そしてそうした形相を可知的形象(species intelligibilis)として知性が把握するための想像力という媒介を前提するアリストテレス=スコラの経験論的認識論が残存していた。その決定的な改革をもたらしたのが、1630年のメルセンヌ宛書簡以降、継続的に主張された「永遠真理創造説」である。これは、被造物だけでなく、あらゆる真なる原初的観念(事物の本性ないし本質に対応)や永遠真理(数学的真理や物理法則を含む)も神が創造したとする説である。デカルトはこの説によって、数学的な観念や真理の実在的根拠を、われわれが自らの知性のうちにもつ生得的な観念や真理に直接基礎づける。つまり、感覚的対象からその形相を形象(スペキエス)を介して抽象して概念を形成する仕方で、可謬的な感覚や想像力に依存するスコラ的認識論の説明方式から脱して、数学的知識の確実性を人間知性の直接的な内部に基礎づけるのである。いまや数学的対象や真理は、人間知性が実在的事物から抽象し想像力が形成した虚構的産物などではなく、神によって自然のうちに創造され、それらが人間知性のうちに生得的なものとして埋め込まれたものにほかならない。そして、そのような生得的な真理の認識は、明晰・判明に認識したものは真であるとする「明証性の規則」と、その規則が正しく働くことを保証する神の存在証明によって、さらに基礎づけられる。こうして、数学を確実な知識のモデルとする学問論の、存在論的かつ認識論的基盤がデカルトによって準備され、数学的自然学の可能性が体系的に保証される。

 

 デカルトの数学的方法論は、いわゆるデカルト派(デカルト主義者、カルテジアン)に受け継がれた。例えば、長らく学校で論理学の教科書として用いられた、『論理学あるいは思考の術』、通称『ポール・ロワイヤルの論理学』の著者、アントワーヌ・アルノーとピエール・ニコルらは、デカルトと同様、数学とりわけ幾何学を知識のパラダイムとみなした。彼らは、その概念の単純性と論証の厳密性の観点から、数学のみが真の学問の本質的特徴を確立すると考えた。また、デカルトの数学的方法論は、デカルト派以外にも、ホッブズスピノザ、そしてライプニッツへと継承されていく。

 

参考文献

小林道夫デカルトの自然哲学と自然学」、井上庄七・小林道夫(編)『科学の名著第Ⅱ期 デカルト 哲学の原理』朝日出版社、1988年、v-c。

須川学『デカルトにおける〈比例〉思想の研究』哲学書房、2002年。

『世界哲学史5』発売記念。【付・第7章「ポスト・デカルトの科学論と方法論」誤植と訂正】

ちくま新書から好評発売中の『世界哲学史』のシリーズ、ついに『世界哲学史5』が本日(5月7日)付で発売になりました!(Amazonでは明日8日発売の模様)

 

世界哲学史5 (ちくま新書)

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  • 発売日: 2020/05/08
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 わたしも第7章「ポスト・デカルトの科学論と方法論」を担当しております。ぜひ、よろしくお願いいたします。

第5巻は、中世〜近世への過渡期を包括的に扱う巻となっており、いよいよ近代哲学の夜明けがはじまります。

本巻は副題に「中世Ⅲ バロックの哲学」とあります。ベイコンやデカルト以降を近世ないし初期近代と区切るのではなく、「長い中世」としてくくられているのが特徴的です。時間軸の連続性と、世界的な横断のなかで展開される哲学を意識しているということでしょう。

ところで、わたしが担当したのは、この『世界哲学史』シリーズが意図するところから見たら、むしろ従来の哲学観である、西欧中心主義的な哲学史観の権化として登場してくる部分です。

本シリーズのなかで、うまく悪役というか、敵役を存分に果たしているかはわかりませんが、デカルト以降の「合理主義者」(理性主義者)としてしばしば通俗的にくくられるホッブズスピノザライプニッツの科学方法論を再考してみましたので、ぜひご覧になってみてください。

わたしの原稿では、西欧哲学の流れのなかで受け継がれた数学的方法論についてできるだけ内容を濃くしようとがんばってはみたものの、結局、西欧哲学の枠を出られず、あまり「世界哲学史」をした感はありません。むしろ、他の方の章で、それを補ってもらっています。

たとえば、第1章と第4章でライプニッツとスコラ哲学との関係、また第4章でライプニッツとスカリゲルおよびアヴェロエスとの関係、第5章でライプニッツの中国自然神学論、第6章でライプニッツにおける神学と哲学の関係、第10章でライプニッツ儒教の関係に触れていただいています。

個人的には、第5章の「イエズス会キリシタン」が、宣教師の観点から東西の哲学と宗教を自在に行き来していて、これぞ世界哲学史感が半端なかったです。 

 

なお、さっそくで恐縮ですが、誤植と訂正があります。お詫び申し上げます。

 

第7章「ポスト・デカルトの科学論と方法論」誤植と訂正

 

206頁

誤:

知力と表象力という認識能力の区別、真なる観念とその他の観念(・・・)とを区別する必要を認める

正:

知力と表象力という認識能力の区別、および真なる観念とその他の観念(・・・)との区別をする必要を認める

〔日本語のつながりが不自然なため訂正〕

 

216頁

誤:

デカルト幾何学』の詳細な注釈を書いたウォリスや、フランス・ファン・スホーテン(一六一五~六〇)

正:

ウォリスや、デカルト幾何学』の詳細な注釈を書いたフランス・ファン・スホーテン(一六一五~六〇)

〔校正の過程で、ウォリスとスホーテンの順番がズレてしまったため訂正〕

 

 

最終更新:2020年5月7日

パースの連続体論(2. 『センチュリー辞典』より)

「連続性(Continuity)」の項目

(『センチュリー辞典』、1884年頃起草、1889年出版)

出典:Charles S. Peirce, Philosophy of Mathematics: Selected Writings, M. E. Moore (ed.), Indiana University Press, 2010, pp. 135-139.

【解説】

編者のM. E. Mooreによれば、この項目はパース自身の連続性の理論に対する意義はあまりない。ここでは、主にカントールの定義が解説されているからである。しかも、それは完全で正確な説明ではない。また、本文にはカントやアリストテレスへの言及があるが、これも後年の「精神の法則」(1892)における「カント性」や「アリストテレス性」に関する独自な分析を含むものではない*1

パースの連続性の理論の古典的時代区分は、Potter(1996)によって与えられている。それによれば、カントール以前(~1884)、カントール(1884~)、カント(1895~)、ポスト・カントール(1908~)と4段階に区別される。

Havanel(2008)はより綿密な説明を与え、次の5段階に区別した。すなわち、[1] 反-唯名論(1868-1884)、[2] カントール(1884~1892)、[3] 無限小(1892~1897)、[4] 超多数性(1897~1907)、[5] トポロジカル(1908~1913)。

いずれの時代区分にせよ、この「連続性」の項目が執筆された時期は、パースがちょうどカントールを読んで強い影響を受けた最初の時期に当たる。

ところでパースは、この「連続性」の項目に対して、1888年以降も継続的に考察を重ね、5つの注を付記している。ここではそれら注も訳出した。パースの連続体に関する思想の発展を裏付ける上では、これらの注の方が重要かもしれないからである。

Havanelの時代区分にしたがうと、注1は[2]、注2・注3が[3]、注4・注5が[4]である。

最初の注1では、カントールの定義についての説明を修正している。

注2では、「連続的線のうちにはいかなるギャップも存在しない」ことを連続性の適切性規準とする。すなわち、「ギャップがありうる場所はどこにもなく、それは点でもない」。線のどこかに点の穴が開いていたとする。しかし、線の一方の端から他方の端まで行くには、必ずこの点を通らなければならない。よって、一点のギャップでも、連続性の条件は満たされないのである。

パースはこの注2で、カントールの定義を批判しているが、それは「あらゆる」点に対するあいまいな指示を含むことにあった。しかしこれはフェアな批判ではなく、カントールは自覚的だった*2

とはいえ、パースの連続性の問題に対するアプローチは、ここに現れている。

パースは注5で、真の連続体のうちにギャップがないことを正確にする、完備性条件を要求する。これは、デデキントによる連続性に対する古典的アプローチと同じである。実際、デデキントは「切断」という手法によって、線上の有限点の間にあるあらゆるギャップを埋める、というアプローチをとった。

しかし、パースはデデキントの定義に「不壊性unbrokenness」すなわち真の連続性に不可欠なギャップの不在を認める一方、不壊性は、線を満たすのに十分な豊かな点集合を見出す要件ではないと考えるようになった。

またパースは、「任意の〔無限〕点集合が真の連続的線を満たすことができる」ということを否定した。1896以降、これがパースの基本的な信条となる。最後の2つの注は、このスタンスに立ち、その分岐と困難を展開する。そこでは、カントールデデキントが定義したような仕方では、点はもはや線の部分とみなされえないとしている。

注3ではカント性とアリストテレス性が言及される。これは「精神の法則」(The Law of Mind, 1892)を踏まえたものだと考えられる。しかしその10年後くらいに書かれたと推定される次の注4で、パースはカントの連続体の定義に関する自身の理解が誤っていたことを告白する。そして、パースは「カントの実在的定義は、連続的線がいかなる点も含まないことを含意している」とする。

パースは連続性の適切な理解として、カントの連続体の定義「そのすべての部分が同種の部分をもつようなもの」を上げる。例えば、線のすべての部分もまた、線である(点は部分ではない)。パースはカントの定義の意味を分析し、点が線の部分でないとしたら、点は線にどう関係するのか、説明しようとする。

注では、カントの定義についての理解を修正し、連続体における点と線の関係の困難と立ち向かうところまでの発展が伺える。 この困難の解決の試みから、パースは「可能的存在者possibiliaとしての点」という見解に至る。そして後の手紙では、基数についての考察からトポロジカルな連結という考えへとシフトすることになる。

 

『センチュリー辞典』、「連続性」の定義(1884頃)

【本文】

空間あるいは時間における部分の遮断されない連結(uninterrupted connection)、無遮断性(uninterruptedness)。

数学哲学においては、ある時間区間に属する諸瞬間ないし諸点の連結と同じくらい緊密な、諸点(ないし他の要素)の連結を言う。したがって、空間の連続性は、各瞬間においてある点が確定した判明な位置を空間のうちにもつように、その点が任意の一つの位置から任意の他の位置へと移動しうることに存する。しかし、この言明は、連続性の真の定義などではなく、単に時間から抽き出された例証化にすぎない。古い定義──共通の境界をもつ隣接する[2つの]部分(アリストテレス*3、無限分割可能性(カント)*4──は不十分である。より満足のいく定義はG. カントールの定義である。それによれば、連続性とは点のシステム[集合]*5完全連鎖(perfect concatenation)である。これらの用語は特殊な意味で理解されねばならない*6カントールは、次のとき、点のシステムが連鎖している(concatenated)と呼ぶ*7。すなわち、任意の2つの点が与えられたとき、また任意の有限な距離もまた与えられたとき、その距離がどれだけ小さくとも、有限個の他の点をそのシステムに見出すことが常に可能である。すなわち、その各々が与えられた距離よりも小さい、継起的なステップによって、与えられた点のうちの一点から他の点へと進むことができるであろう。カントールは、次のとき、点のシステムが完全である(perfect)と言う。すなわち、何であれ、システムに属さない点が与えられたとき、その与えられた点の距離のうちに、そのシステムの無限個の点が存在しないような非常に小さい有限距離を見出すことができる。完全でない連鎖システムの例として、カントールは任意の区間における有理数および無理数を与える。連鎖でない完全システムの例として、彼はその10 進少数展開において、どこまでいっても、0および9以外のいかなる数字も含まないようなあらゆる数を与える。*8

 

注1(1888-1892年頃)

 ここで私は完全システムに関するカントールの定義をほんの少し修正した。すなわち、彼は、それがある無限個の点の近傍に含まれるすべての点を含むもので、かつそれ以外を含まないものとして、それを定義する。しかし、後者は連鎖システムの特徴である。したがって、私はそれを完全システムの特徴から省く。*9

 

注2 (1892年頃)

 カントールの連続性の定義は、「すべての」点に対する曖昧な指示を含むので、不十分なものである。また、人はそれが何を意味するのか知らない。それは、私には次のことを指すように思われる。すなわち、二つの次元なしには連続性の観念を得ることは不可能である、ということである。卵形線は連続的である、なぜならそれは、その曲線のある点を通過することなしには、内部から外部へと渡ることが不可能だからである。

 

注3 (1893年頃)

 上述したことを書いた後、私は新しい定義を作った。それにしたがえば、連続性はカント性アリストテレスに存する。カント性とは、任意の2点のあいだにある点をもつことである。アリストテレス性とは、システムに属する諸点の無限級数に対して極限となるような、すべての点をもつことである。

 

注4 (1903年9月18日)

 しかしこの主題のさらなる研究によって、この定義が誤っていることが証明された。その定義は、カントの定義の誤解を含んでおり、彼自身も同様に陥ったものである。すなわち、彼は連続体を、そのあらゆる部分が同種の部分を持つものとして定義する。彼自身は、そして私もまた、それが無限分割可能性を意味すると解した。しかしそれは明白に連続性を構成するものではない。というのも、有理分数値の系列は無限分割可能だが、誰によっても連続的とみなされないからである。カントの本当の定義は、連続的線がいかなる点も含まないことを含意するものである。今、連続性の常識的観念を受け容れるとすると、(そのあいまい性を修正し、何かを意味するように固定した後)連続的線はいかなる点も含まないか、それらの点について排中律が成り立たないか、いずれかを主張しなくてはならない。排中律はある個体にのみ当てはまる(というのも、「いかなる人も賢い」も、「どんな人も賢くない」も、どちらも真ではないからだ)。現実存在を欠く単なる可能性であるような場所は個体ではない。したがって、点あるいは不可分な場所は、もしそれがあれば、連続性を遮ることを徴づけるような、何かあるものが現実的に存在しない限り、存在しない。したがって、カントの定義は、常識的な観念を正確に定義していると私は考える。ただし、その定義には大いなる困難があるのだが。私は確かに次のように考える。すなわち、常識的な観念にしたがえば、何であれ任意の線上には、任意の個数の(それがどれだけ大きくとも)点に対する余地が存在する。もしそうならば、函数の理論における解析的連続性が、そこで含意しているものは、無際限に多くの数の場所に対して実行された10進数展開によって、無際限に近い近似にまで表現可能なある量によって定義される、原点からの各々の距離に対する単一の点にほかならず、それは常識的な連続性では確かにない。なぜなら、そのような量の大きさ全体は、第一の超数的多(first abnumeral multitute)*10にすぎず、より高次の段階の無限系列が存在するからである*11

 

注5 (1903-1904頃)

 「連続性」は続く。それゆえ、概して私が考えるに、連続性とは、壊されていない空間ないし時間の諸部分の関係であると言わねばならない。精確な定義は、依然として不確かである。しかし、連続体とはそのすべての部分がそれ自身同種の部分をもつものであるというカントの定義は、正しいように思われる。この定義は、無限分割可能性と混同されるべきではない(カント自身が混同したように)。それは、線が、たとえば、点をマークすることによって連続性が壊されるまで、いかなる点も含まないということを含意する。このことにしたがって、連続体は、それが連続的であり不壊な場合、いかなる確定的部分も含んでいないと言うことが必要であろう。微積分と関数の理論においては、任意の2つの有理点(あるいは有理分数によって表現された線上に距離をもつ点)のあいだに、有理点が存在する。またさらに、そのような分数点のすべての収束級数に対して(たとえば3.1, 3.14, 3.141, 3.1415, 3.14159, etc.)、ただ一つの極限点が存在する。そして、そのような点の集まりは連続的と呼ばれる。しかしこのことは連続性の常識的観念であるとは思われない。それは独立点のあつまりにすぎない。砂粒をさらに壊すことは、その砂をさらに壊すだけである。それは、砂粒を不壊の連続性へと接合することはない。

 

*1:Jimmy Aames氏の指摘に、この場を借りて感謝する。

*2:[編者注]パースはこの点に関してカントールを批判する。しかしMyrvoldが指摘するように、その批判はアンフェアである。カントールは、連続的点集合を、n次元多様体Rn(すなわち、実数の集合Rのn乗デカルト積)のうちに定義すると明晰に述べている。

*3:[編者注]『自然学』V.3.227a10-12、『形而上学』XI.11.1069a5

*4:[編者注]『純粋理性批判』A169/B211

*5:[訳注]システム(System)は、デデキントが現代で言う「集合」の意味で用いた概念(「数とは何か、また何であるべきか」1888年, §4)。カントールはMengeを集合の意味で使うが、それ以前には、Inbegriff(総体)やMannigfaltigkeit(多様体)という用語も集合の意味で用いた。

*6:[編者注]「一般集合論の基礎」Grundlagen einer allgemeinen Mannigfaltigkeitslehre, 1883.[英訳:W. Ewald,From Kant to Hilbert, Vol. II, pp. 878-920.]パースの完全集合の定義は、カントールのそれとは異なる。点pを点集合Sの極限点と呼ぶのは、pのすべての近傍がSの無限に多くの点を含む場合である。したがって、パースの定義によれば、Sが完全なのは、そのすべての極限点を含むときに限る。他方で、カントールは完全集合を、そのすべての極限点を、そしてそれらのみを含むものと定義する。

*7:[訳注]デデキントもまた、「数とは何か、また何であるべきか」§4において、「連鎖」という概念を踏襲している。

*8:[編者注]最初の2つの例は、カントール(1872, 98)から導かれていよう。二番目の例は、カントールがCantor(1883, 919)で定義した3つ組集合の変奏である。

*9:[編者注]ここで、パースはカントールの完全集合の定義から半分「のみ」を省いたことを認める。しかし、省かれた条件は、パースが主張するほどには余計なものではない。すなわち、ただ一つの要素しかもたない点集合はトリヴィアルに連鎖しているが、その要素はその集合の極限点ではない。もし連鎖集合が少なくとも異なる2点を含むものと規定することで、そのようなトリヴィアルな事例を排除するならば、パースの観察は正しい。トリヴィアルでない連鎖集合は、極限点のみからなる。なぜなら、任意の2点のあいだに、ある任意に微細な点を置くことができるからである。この注を書いたときにはパースはおそらく、この規定を当然のこととして語っていたのであろう。

*10:[訳注]「非可算濃度」と同義だが、パース独特の用語でもあるので、ここでは「超数的多」と訳した。

*11:[編者注]実数の濃度が第一非可算濃度であるとするこの想定は、カントール連続体仮説にほかならない。

パースの連続体論(1. SEPより)

12月半ばに体調を崩し、ほぼ回復した年末年始には、子守と家族イベント、そしてその疲労と息抜きでほとんど何もできず、いつのまにか新年を迎えてしまいました。明けましておめでとうございます。ブログはおろか、仕事がいろいろ滞っており、焦ってばかりいます。ブログをうまく仕事や研究の進展に使っていきたいところですが・・・。

さて、連続体の哲学に関する授業準備のため、Stanford Encyclopedia of Philosophy(SEP)より、パースの連続体論について書いてある記事を雑に抄訳してみました。元の文章をアレンジしたり、自分用に加えた脚注があります。

Burch, Robert, "Charles Sanders Peirce", The Stanford Encyclopedia of Philosophy (Winter 2018 Edition), Edward N. Zalta (ed.), URL = <https://plato.stanford.edu/archives/win2018/entries/peirce/>.

6. 連続主義、連続体、無限、無限小

  パースは、カントールデデキントと並び、実無限集合の存在を擁護し、また無限集合の考えについてボルツァーノが関連づけたパラドックスがまったく矛盾ではないと主張した、最初の科学思想家であった。【パースは実無限を擁護】

 パースにおける有限集合/無限集合の区別は、いわゆる“syllogism of transposed quantity”(STQ)による。これは、ド・モルガンによって導入されたもので、有限集合に適用された場合にのみ演繹的に妥当な論証を構成するものである。無限集合の場合は、これが必ずしも妥当にならない*1

 STQは次のようになされる。二項関係Rが集合S上に定義されていて、二つの前提1, 2が関係Rについて成り立つとき、3が結論される。

  1. すべてのxについて、あるyが存在し、Rxy。
  2. すべてのx, y, zに対して、RxzかつRyzならば、x=y。
  3. すべてのxに対して、あるyが存在し、Ryx。

このSTQについて、パースはちょっと不謹慎な、次のような例を挙げている*2

  1. 「すべてのテキサス人はあるテキサス人を殺す」
  2. 「どのテキサス人も一人以上のテキサス人によって殺されることはない」
  3. 「すべてのテキサス人はあるテキサス人によって殺される」

パースが好んで用いるこの例では、テキサス人の集合が有限な場合にのみ、結論は妥当に導かれる*3

もし、STQのRxyとしてf(x)=yをとったら、第二の前提はfが1-1関数だということを述べている。そして結論は、Sのどの要素もSのある要素についてfの像になっているということを述べている。こうして、STQは、いかなる1-1関数も、集合Sをそれ自身の真部分集合に写像できないということを述べている。

したがって、有限集合と無限集合の間の差異に関するパースの定義は、実質的に標準的な定義と同値である。デデキントの「数とは何か、また何であるべきか」§5では、無限集合はそれ自身の真部分集合と1-1対応になりうるものとされていた。【パースは、1対1対応について、デデキントと同じ考えを採用。】パースは実にデデキントより6年前に、有限集合と無限集合の差異に関する自身の定義に至っていたのである。

 パースは、空間や時間、理念化、感情、知覚の連続性は、学問の還元不可能な産出であり、そうした諸連続体についての適切な考えは、あらゆる学問において極めて重要な部分をなすと考えた。

「連続主義synechism」と彼が呼ぶ連続性の理論は、「共に(一緒に)」を意味するギリシア語の前置詞に由来する。1892年半ば、いくぶんカントールの著作を読んだ影響のもと、パースは、(線型)連続体を、線型順序をもつ無限集合Cとして定義した。すなわち、

  • Cの任意の2つの異なる要素に対して、厳密にこれらの間にあるCの第3の要素が存在する。[稠密性/カント性]
  • Cのすべての可算な無限部分集合で、Cのうちに上限(下限)をもつものは、Cのうちに最小上界(最大下界)をもつ。[閉性/アリストテレス性]

パースは前者を「カント性」、後者を「アリストテレス性」と呼ぶ*4。今日の数学では、前者を「稠密性」、後者を「閉性」と呼ぶ。後者の条件は、「連続体はそのあらゆる極限点を含む」という系をもつが、パースは連続体を定義するため、この性質を「カント性」と併せて用いる。

 しかし、19世紀末になると、パースはカント性とアリストテレス性では、たとえ両方を併せたとしても、連続体の概念を適切に定義するには不十分だとみなすようになった。そしてパースは、カントールの考えに対していくぶん距離を置くことで、連続体の新しい考えを編み出したと主張した。

パースは、少なくとも一見、カントールのパラドクスに陥りそうな感じで書き出した。しかし、パースは、線上の諸点の同一性についてのある種の非-標準的(超準的)な考えをとることで、あからさまな矛盾を避けようとした。

たとえば、1898年のケンブリッジ・カンファレンス・レクチャーの第3講義では、もし線が2つの部分に切られたとしたら、切断が生じた箇所の点は、現実的に2つの点になる、と述べている*5【パースの非標準的な点と連続体の解釈】

パースの新しいアプローチが、その数学的詳細においていったい如何なるものであるのか、またそれは隠れたしかし真なる矛盾を含んでいるのかどうかは、現在のところ未解決の問題である。

パースの連続体の新しい考えと結びつくのは、無限小量の実在性に関する理論を彼が頻繁に、ときには好戦的なまでに擁護していることである。この理論は、19世紀終盤までパースによって新しく取り上げられなかった。実際、彼はその理論をしばらくの間支持していたが、それは父ベンジャミンの理論だった。

彼は、無限小の理論が微積分学の基礎を与えるものとして、より新しい極限の理論よりも優っていると考えた。新しいのは、パースが無限小の理論を連続体のアップデートされた理論の鍵として見始めたことである。こうしてパースは、無限大の擁護に加え(パースはmultitudesという用語を用いる)、無限小を精力的に擁護するようになった。【パースは実無限大と共に実無限小を擁護】

そうした擁護の多くの事例を見つけることができる。たとえばパースは、「私の個人的意見では、無限小の実在的存在に関する肯定的証拠が存在する。また無限小の認容は、微積分の入門をかなり容易にするであろう」と述べている。

19世紀の終わり頃では、パースの無限小に対する見解は極めてレアなもので、注目に値する。イタリアを除けば、パースは無限小の存在を信じた事実上唯一の数理哲学者であった*6

 パースは無限小を擁護しただけではない。彼はさらに、無限小を実数の体系に導入することの無矛盾性を証明したと主張した。すなわち、0と等しくないが、いかなる実数r≠0よりも小さい無限に多くの対象が存在する、新しい体系をつくる仕方によってである。現代的な用語を用いれば、パースは非アルキメデス的順序体の存在を証明したと主張した。真の連続体とパースが呼びたかったのは、こうした非アルキメデス的体のことであった。【パースは実数の体系を拡大し、無限小を導入した非アルキメデス的順序体の存在を証明したと主張】

加えてパースは、ガウス以前の伝統的な定義を正当化するために、そして微分計算の基礎を強化すために、彼の無限小量の概念と連続体の改訂された概念を用いたかった。パースはまた、こうした企てとの関連で、連続体内の点に関するトポロジーについて新しい考えをもっていることを示唆する多数の言明をしている。

こうした言明のすべてを、パースは無限集合に関する先の擁護と結びつけた。これらの理由から、何人かのパース研究者、とりわけCarolyn Eiseleは、パースの考えはロビンソンの超準解析(1964)を予期させるものだとした。

しかし、このことが実際そうであろうとなかろうと、現時点では解明されたと言うには程遠い。たしかにパースは、標準実数の可算無限デカルト積の同値類を用いて、それからLoś の定理を適用することで、順序体の理論の非標準的モデルを構成することを示唆する言明を多く述べている。しかし、現在までのところ、この分野におけるパースの思考を慎重かつ綿密に説明した注釈者は誰もいない。

不幸なことに、このトピックに関して公刊されたパースの著作や公開講演のほとんどは、数学的にまったく洗練されていない聴衆のためにデザインされたものであった(彼が嘆いた事実)。この理由のため、パースがこのトピックについて述べたことのほどんとは、魅力に溢れ、興味をそそられるものであるが、極めてあいまいである。パースの無限小概念に関する分析全体は、彼の無限小概念と彼の実連続体に関する概念および連続体の点のトポロジーに関する考えとの厳密な関係と同様、極めて注意深い数学的議論が依然として待ち望まれている。【パースの連続体論の数学的解明という課題】

 

 

*1:STQがある無限集合について成り立たないことは簡単に示せる。Sがある無限集合、たとえばN(すべての自然数の集合)だとする。Rxyとしてy=x+1(successor)をとる。 この場合、1, 2の前提が満たされる。 しかし、x=0(自然数が0から始まるとして。お好みなら、自然数が1から始まるとして、x=1をとってもよい)をとれば、0=y+1を満たすyはNのうちにはない。したがってこれは結論3の反例となり、STQは成立しない。

*2:パースは他の箇所で、「全体は部分よりも大きい」を例に挙げている。Philosophy of Mathematics: Selected Writings, p. 148.

*3:たとえば、3人のテキサス人A, B, Cを考えてみる。AがBを殺し、BがCを殺し、CがAを殺すとすると、STQが成立する。しかし、時系列を考慮するならば、最後に殺した一人が生き残ってしまい、前提(1)が満たされないことになる。時系列を無視するならば、あるいは全員が同時に相手を殺したならば、STQが成立することが可能である。

*4:The Law of Mind (1892), in Philosophy of Mathematics Selected Writings, pp.144-153.〔この典拠について、Jimmy Aames氏のご教示にこの場を借りて感謝する〕; NOTE 3 (CA. 1893) of `Continuity' in the Century Dictionary, Philosophy of Mathematics Selected Writings, p. 137.

*5:Reasoning and the Logic of Things, p. 159.

*6:19世紀末頃に、実無限小を擁護したイタリアの人物は、おそらくGiuseppe Veronese (1854-1917)。

アリストテレスと不可分者

授業でアリストテレスの連続論を扱ったが(講義資料リンク)、時間の制約上『生成消滅論』には触れられなかった。また、アリストテレスが「不可分者」について語っているところをこれまできちんと押さえていなかったのを反省し、理解を補うべくメモしたい。

読解メモ

第1巻第1章から読み始めたが、アリストテレスの観点が、あくまで自然現象一般を「性質変化」(質的変化)として統一的に説明したいがために、つねに同じものにとどまるところの基体を要請したのだということがよくわかる。生命現象である「生成/消滅」も物理現象である「物体の運動」も、この「性質変化」の一形態である。対して、古代原子論のような原子論的多元論者の観点からでは、生成を性質変化として描くことはできないので、性質変化として説明することに失敗する、という論調である。

「しかし、複数の始原を立てている人たちの語っているところによれば、性質変化するということはありえない。というのも、その点において性質変化が生じるとわれわれが言うところの諸性状は、諸々の基本要素の種差である」(314b17-19)

『自然学』もまたこのようなアリストテレスの根本的な考えに立脚したものであることを踏まえないと、物理学的な誤謬に満ちたものとしてあいまいな定義にもとづく不確実な議論をしているだけに映ろう。他方で、生物学者としてのアリストテレスは、再評価によってむしろその価値がまた見出されることになろう。

さて、アリストテレスが不可分者の存在について問うているのは、『生成と消滅について』第1巻、第2章の316b28以下。 

〔ここで「不可分者」と言われているのはアトモンつまり原子のことであるが、アトモンの原義にしたがって不可分者と訳されているようである。また以下、点として「微(点)」(セーメイオン)と「点」(スティグメー)という用語が出てくるが、後者が空間的点の意味で主に用いられるのに対し、前者は時間的な今つまり瞬間をも含む点概念とされる。〕

そこでは、性質変化が生じるのは、第一の諸事物が不可分な大きさをもって存在していることによるのか、それとも不可分割的な大きさなどというものは存在しないのかが問われる。前者にたつ原子論者(デモクリトス、レウキッポス)は物体とし、プラトンは『ティマイオス』で平面とした。アリストテレスは、物体を平面にまで分解することは不合理であるとし、さらに物体と単なる幾何学的な立体とを区別する。

「〔物体を〕平面にまで分解する人たちにとっては、性質変化と生成を考え出すことはもはや不可能である。というのも、それら〔平面〕が複合され〔つまり、一つに寄せ集められ〕ても立体のほかは何も生じないのである。なぜなら、それら〔平面〕からなんらかの性状を生み出そうという試みさえ、彼らは行っていないからである」(316a2-5)

アリストテレスは、物体が継起的な仕方で可能的に完全に無限分割されることや、同時的な仕方で完全に分割されうるという想定を受け入れる。(あくまで論理的な可能性としてであり、そのような分割は人間には不可能だろうともしているが)。

そこで、物体があらゆるところで可分的であり、実際にその完全な分割がされたとして、いったい何が残るかを問う。

まず、大きさをもったものが残ることは、決してありえない。物体すなわち大きさをもつものは完全に分割されうるという想定だったからである。

他方で、残っているものが物体でもなく大きさももたないものだとすると、〔a〕物体は大きさを持たない点から構成されているか、〔b〕構成するものが全くの無でなければならない。しかし、〔a〕、〔b〕いずれをとっても不合理。

一方で〔b〕は無から無を生むことにしかならない。

他方で、〔a〕物体が点から合成されているとした場合、物体は量をもちえない。

「なぜなら、点同士が互いにふれあい、一つの大きさとしてあり、一緒になっていたとき、それらの点は全体をいささかでもより大きくしたわけではなかった。というのも、大きさが二つないしはそれより多くのものに分割されたときにも、全体は、以前と比べてより小さくなることも、より大きくなることも、まったくなかったからである。したがって、たとえすべての点が複合されたとしても、それらが何らかの大きさを創り出すことはまったくないであろう。」316a30-34 

したがって、接触あるいは点〔したがって分割も含む〕によって大きさが構成されていることは不可能である。こうして、不可分割的な物体、つまり大きさをもったものが存在しなければならない。しかし、不可分割的な物体を前提すると、不合理が生じることは他のところでも論じた(『自然学』第6巻第1章)。

『生成消滅論』はそこでの議論をアップデートする。

アリストテレスはこの問題に対し、「可能態/現実態」の区別による解決を提案する(新訳では「可能状態/終極実現状態」)。

「およそ感覚されうる物体のすべてが、どんな徴(点)においても可分的であり、かつ分割されていない、ということは、何ら不合理ではない。というのも、〔この場合、〕物体が可分的と言われるのは可能状態としてであり、一方、分割されえないというのは、終極実現状態としてそのように言われることになるからである。」316b19-21

つまり、物体があらゆる点において同時的に分割されうるということは、可能態においても不可能なことである。可能であるとしたら、物体は非物体的なものに消滅してしまい、物体はふたたび、点から生ずるか、完全な無から生ずるかのいずれかになって不合理になる。他方で、物体を部分へと次第に分割していくとしても、現実的には限りなく行うことはできず、ある限度で分割は止まるだろう。

「したがって、物体の中には、必然的に、切断不可能な(原子的な)、目には見えない諸々の大きさが内在していなければならない。──とりわけ、事物の生成と消滅が、一方は結合〔集合〕によって、他方は分解〔離散〕によってそれぞれ起こるべきものであるとするならば、ことさらにそうである」。316b32-34

しかし、アリストテレスは不可分な大きさが存在することは不合理だとする。アリストテレスは「点が別の点に接続するということはない」と前提した上で、次のように議論する。すべてのところで可分的ということは、すべてのところに点が存在するということでもある。

「ある大きさについてすべてのところで可分的であるということが措定されるときには、任意のところに点が存在するというだけでなく、すべてのところに点が存在するとも考えられており、そこからして必然的に、その大きさは分割されて何ものでもないもの(無)になってしまう。なぜなら、その大きさのあらゆるところに点が存在し、結果として、大きさは諸々の接触からなるか、あるいは諸々の点からなる、ということになってしまうからである。」317a3-8

アリストテレスは、連続体が全体に渡って分割される場合、それぞれの分割される場所において、それらの点がすべてそれぞれ一つの点として存在する、とする。つまり、どの場所においても、点は一つより多く存在しない。しかし、このことは連続体の同時的な分割がありえないことを示す。なぜなら、もしそうでなければ、中心での分割は、中心に接する点においても分割されることになるからである。

「しかし、このような分割は不可能である。なぜなら、徴(点)が(徴)点と、あるいは点が点と接続することはないのではないからである。」317a11-12

こうしてアリストテレスは、生成・消滅が、アトムへの分解(離散)/アトムからの結合(集合)に依存する仕方での定義に尽くされないものであるとする。すなわち、連続体におけるアトム構造の変化が質的変化だとする原子論を拒否するのである。

コメント

  • 幾何学的点と自然的点を区別しておらず、物体ないし大きさに点が存在するということでいかなる想定がなされているのかが気になった。ここでの点は、〈幾何学的点と類比的な仕方で捉えられた物体に内在する場所〉、くらいに捉えるのがふさわしいようにも精一杯なところのようにも思われる。
  • アリストテレスは「点が別の点に接続することはない」(317a4)「点は次々に隣接して存在するのではない」(317a9)というように、点同士の接触を否定している。他方で、「かりに点と点が互いに接続していたとすれば」、原子の集合からの物体(大きさ)の合成や、物体のすべてのところでの分割が生じることも「ありえたであろうが」としている。
  • 興味深いことに、ライプニッツ幾何学的な点同士の接続からの連続体の合成も、連続体の点への分割も否定するが、時間的点すなわち瞬間(現在)の持続的時間への合成を認めている。その際、点と点の接続すなわち点同士の隣接を認めるのである(ライプニッツ『パキディウスからフィラレトゥスへ』[1676])。