labyrinthus imaginationis

想像力ノ迷宮ヘヨウコソ…。池田真治のブログです。日々の研究のよどみ、そこに浮かぶ泡沫を垂れ流し。

懐疑主義という近世哲学の病

2015年度・後学期の哲学講読の授業ではパスカル『パンセ』をやっており、モンテーニュ『エセー』を紐解きつつ、当時の「懐疑主義」について調べるため、J. アナス・J. バーンズ『古代懐疑主義入門』第一章・第二章を読んだ。非常にためになり、おもしろかったので、簡単にまとめてみた。近世哲学を研究する者にとっては必読の書ではなかろうか。

古代懐疑主義入門――判断保留の十の方式 (岩波文庫)

古代懐疑主義入門――判断保留の十の方式 (岩波文庫)

懐疑主義は、セクストス・エンペイリコスの『ピュロン主義哲学の概要』のラテン語訳が1562年に出版されて再発見されて以来、近世哲学の病気であった。モンテーニュ『エセー』のうち一巻を占める長大な散文『レーモン・スボンの擁護』(c.1575)をはじめ、デカルト省察』、ヒューム『人間本性論』、カント『純粋理性批判』に、懐疑主義の影響を見ることができる。

しかし、近世の懐疑主義者が行ったのは、知識批判のための、行為とかかわらない哲学的懐疑だった。それとは異なり、古代の懐疑主義者が行ったのは、考え(信念)そのものを否定する実践的懐疑であり、より真剣な営みであった。

伝えられるところによると、ピュロン(BC360頃-BC270頃)によれば、諸々の物事は判定不可能である。なぜなら、われわれの感覚と判断は真でも偽でもないからである。したがってそれらを信用してはならず、一切の主張や考え(信念)を退け、判断を停止(エポケー)し、無動揺で平静な生活を送ることが肝要である。その無動揺(平静)のうちにこそ、人間の幸福があるからである。すなわちピュロンにとって、懐疑主義は一つの「生き方」であり、単なる学究的営みではなく、実践的営みであった。

後代のアルケシラオスアカデメイア派では、懐疑主義は専門的哲学の一部となった。すなわち、ピュロンの実践的懐疑主義に対し、アルケシラオスのは専門学的懐疑主義であった。それでもピュロン主義の伝統は、アイネシデモス(前一世紀)、そして『ピュロン主義哲学の概要』を著した最後の懐疑主義者セクストス・エンペイリコス(二世紀半ば)を通じて継承される。四世紀には、キリスト教や異教の双方から、ピュロン主義は脅威とみなされ、懐疑主義への関心がふたたび高まったが、しかし短命であった。セクストスの死後1400年を経て、ピュロン主義はふたたび哲学の舞台の中央に登場する。

ピュロン主義哲学の概要 (西洋古典叢書)

ピュロン主義哲学の概要 (西洋古典叢書)