labyrinthus imaginationis

想像力ノ迷宮ヘヨウコソ…。池田真治のブログです。日々の研究のよどみ、そこに浮かぶ泡沫を垂れ流し。

気づかせたい

午前は業務、午後は西洋思想史の授業。

昼のあいまの15分ほどに、前回やった授業との関連で、『科学と宗教』「ダーウィンと進化」の章を読む。

今日は、セル・オートマトンの思想史について授業する予定だったが、そこまで入らず。デネットの、"ダーウィンの発見は、アルゴリズムとしての進化という観念を見いだしたことにある"、とする見解を敷衍すべく、機械と生命の関わる問題圏として、チューリング・テストやフラクタルの話をした。気づけば、出席者が4割と、過去最低になったようだ。昨日、雪が降ったからか。やはり、学生の自主性に対する尊重をとりやめ、出席をとらないとダメなのだろうか。

次に、フラクタルに関わるビデオ資料を見せたのだが、これが失敗につながった。受動性に拍車がかかるようだ。寝てしまう学生もいるし、多くは話のポイントを理解していない。後ろから教室を眺めていたが、誰もメモをとろうという気配すらない。ビデオを見せているのだから、当然その内容について質問しないわけがなかろうに、それほど考えているわけでもなさそう。誰も質問にすすんで答えようとせず、早い段階から不機嫌になってしまっていたが、ついに耐えきれず、めずらしく説教を垂れた。まじめに聴いて、きちんと受け答えもできる学生もいるので、全体として、教員にも学生にも不幸な授業になってしまった。反省。

それにしても、偉大な学者による明快なTEDトークで、言いたいことが学生に伝わらず、何の気づきも得られてないようなのは、ちょっとショックだった。細かい専門的なところもあるけど、重要な思想を述べたところを、聴き逃してしまっている。自分の授業の内容などもっと明快度は落ちるだろうから、重要なところが何かほとんど伝わっておらず、何の気づきも与えられていないのだろうか。

それでは、授業をする意味も、授業に出席する意味もない。学生の受動性は今にはじまったことではないが、もう少し能動的になるように、授業を改善していきたい。要素は、自身による気づき、伝達の成功と成長の実感だろう。まぁ、多分にわたしの人柄にも問題があるのだろう。ちょっと今日は朝から忙しくて、疲れも溜まってしまっていたかもしれない。

夜はデ・アニマ読書会。ギリシア古代哲学が専門の院生が中心となって、ぼくがTricotの注釈、もう一人がTheilerの注釈をそれぞれ付き合わせて検討する、なかなか本格的な勉強会だ。今日は、アリストテレスのパンタシアー概念について、かなり理解が向上したように思われる。

その後は、翻訳。下訳から次の段階へ。翻訳にさらに磨きをかけ、内容に合わせて適宜修正しつつ、注釈や研究書を参考にしながら、きちんと自分で理解を再構成し、訳注をつくる作業。偉大な研究者がすでに決定的な仕事をしているが、それでも改善の余地があることに気づく。おそらく、完璧な仕事というのはありえない。自分も、「決定的な仕事」と呼ばれるように努力したい。