labyrinthus imaginationis

想像力ノ迷宮ヘヨウコソ…。池田真治のブログです。日々の研究のよどみ、そこに浮かぶ泡沫を垂れ流し。

久しぶりに記事でも書こう。
朝6時まで作業、11時起床。結局、猛暑の時間帯を避けたせいか、時差ぼけはなおせず、すっかり夜型の生活に。

昼は、母のパソコンとプリンターを見つくろって注文。価格.COMにて。Dynabook TX-77とCanonのコピーとスキャンができるレーザープリンタ、合わせて12万弱。なかなか良い買い物なのではないか。このハイスペックでこの値段かと驚く。母は、これでようやくワープロから卒業する。そのワープロは自分が大学一年のときに使っていたもので、もはや修理不可能な年期もの。母はすっかり時代の波に乗り遅れてしまっているので、はたしてきちんと使えるようになるのか心配だ。

考えてみれば、注文したのは日曜だったけど、さすが日本人、普通に働いとるな。明日にはパソコンもプリンタも届く。フランスではまずありえないことなので、感動してしまう。

夕方、ちょろっと勉強。

食後、『借り暮らしアリエッティ』を観に行く。小人だったら、どうなるだろうかという描写に関して、ディテールにこだわっているのが伝わった。小さい体でどう危険を乗り切るのか、映像に引きこまれるし、映画館で見る分には、十分に楽しめる作品だと思う。

ただ、正直を言えば、物語があまりに単純すぎるので、何かもう一工夫ほしかった。今回は、まっくろくろすけや、コダマなど、インパクトのあるマスコット・キャラクターは存在しない。あのネコは、どこかで見た感じだし、いたって普通だ。小人にリアリティをもたせるために、現実世界にほど近い描写を意識しつつ、同時にファンタジーを展開したいということはわかる。ただ、登場するキャラクターも、すでにジブリ作品に登場してきた人物を連想させ、あまりに個性に欠けているような気がした。リアリズムを徹底するのか、ファンタジーを展開するのか、どっちつかずで、全体として小さくまとまってしまった感が否めない。

あと、物語の中で、何か想像を裏切るようなものがなかった。主人公が小さくなってしまうアニメは、ほかにいくらでもあり、すでにやり尽くされているなかで、オリジナリティではなく、具体的に状況を描くことを意識していたことは、しつこいくらいの水滴の描写などに窺えた。だが、それらで物語の薄さをカバーできるわけではない。いわゆる、ステレオタイプ、というやつで、われわれはそのたぐいの設定を持つアニメは、もう見飽きるほど見てきたのである。いまさらその原型?をもってこられても、反応しようがない。

というわけで、現在、わざわざアニメ化するほどのものなのか、という疑問が残った。「借りぐらし」というより、無断で借りているので「泥棒ぐらし」というのではなかろうか。ともかく、泥棒じゃない借りているだけなんだ、というところには、なんの説得力も感じなかった。

美術に関しては一度で把握するのは不可能なほど綿密に描かれており、また作画に関してもいい意味で小人の世界観が表現されていて、改めて、スタジオ・ジブリはすごいなと思った。設定に関しては、いろいろ謎が残っているけれども、本筋には影響しないので、好奇心をくすぐられなかった。ここら辺は、リアリティを必要のないところまで追求したことの失敗かもしれない。

ともかく、もし、次があるとしたら、原作のあるものでアニメ映画を作るのではなく、ぜひオリジナル作品を観てみたい。後継者を育てるなら、なおさらその必要があるんじゃないか、と思う。

どうも、実家にいると、ダラダラとテレビを観てしまう。深夜にようやくスイッチが入るのはいいが、どうもいけない。さすがに焦ってきた。いよいよ追い詰められてきたので、8月後半、シャキッとしてがんばりたい。