labyrinthus imaginationis

想像力ノ迷宮ヘヨウコソ…。池田真治のブログです。日々の研究のよどみ、そこに浮かぶ泡沫を垂れ流し。

朝6時起床、早朝は自宅、朝から大学で前に書いた手書きメモ等をもとに一日プロット書き。あっさり終わりが見えてきた。論点もしぼれたと思うし、なんとかつなげられるのではないか。しかし、プロットと要約をふくらませたものだけですでにA4八枚くらいある。数百枚に達するであろう二次文献や一次文献のレジュメの見直しがまだ残っており、それらをきちんと反映したらもう一本修士論文くらいは書けてしまいそう。研究にやりすぎということはないが、それとは別の意味で一論文として扱うにはちょっと無駄にやりすぎたかもしれない。それに睡眠不足とあせりが原因でテンションがあがりすぎ筆がすべっているところが多々あるので、冷静に見返さねばなるまい。走り書いたメモがそのまま一級の研究であり論文にもなってしまうライプニッツは、やはりactus purusに一番近かった人間だったのだと、その知性の偉大さに改めて畏怖を思う。
閉館前、哲学棚にある英語圏の哲学関連文献を息抜きに散策。100冊に1冊くらいの割合で置いてある。気を引いたというか目に入ったのは4冊。J.コーエンらによる現代の心の哲学の論争に関するアンソロジー、Resnikによる数学的対象と数学的知識のアンソロジー、プリースト先生本の第二版、あとアームストロング本。疲れているので詳細は略。最初の一冊は自分が現在やっていることと結構関連していることがわかって、そのうち読むことになりそう。むろん心の哲学はたいへんだし、今はまだ別アプローチから勉強中なので本格的にやるのはまだしぶっている。必要をすべてふまえていたら、論文が書けなくなってしまう。しかし、カント、ライプニッツスピノザらが索引に一つも出てこなかったのには絶望した。デカルトだけあったのが心の救い。さすがです。古典をやるには現代をふまえないといかんぞと自分は身の程を知らず思っているのですが、現代は古典を必ずしもふまえていない。現代の方は古典をふまえるなど悠長なことを言ってられないのだと思うが、哲学が現代だけにあるのかといえばそうではないと思う(vice versa)。数学基礎論争で争われていたような哲学的問題は、テクニカルな問題を抜きにすれば、デカルトらによる近代の数学と哲学のあいだをめぐる論争ですでに議論されていたことばかりだし、哲学的にははるかに豊かで生産的なものがあったのではないかと予想する。しかしこれは自らが示さねばならない今後の課題。2つ目は読まざるをえまい。英語圏の必読文献のアクセスに悩んでいたので、少なくともこれが置いてあってよかった。プリースト先生にはお世話になり京都観光などお世話もしたと思うので、関係を清算するためにも読んでおきたいけど、なんかやたらと厚いです。眠っていたMの態勢を呼びおこしてくれそう。あのクリアーな知性が反映されて書かれているに相違なく、見た目ほどには大変ではないと思う。アームストロングは自然法則に関するもの。よほど相性が悪いのか、アームストロングはほとんど読んでいないけど、おもしろそうではある。
帰宅して買出しする気も食事を摂る気もおこらず、ワインも費えて、そのままベッドに倒れ込む。起きたらまだ朝1時なので、これからどうしたものか思案中。