labyrinthus imaginationis

想像力ノ迷宮ヘヨウコソ…。池田真治のブログです。日々の研究のよどみ、そこに浮かぶ泡沫を垂れ流し。

ゲーデル・セミナー一日目

簡潔に報告。Max Phil. XIVのtranscriptionの検討。1946.7-1955のノートです。ゲーデルライプニッツの研究をしていた、1943-46の直後ですね。そこでは、ゲーデルの時間論が扱われています。ゲーデルが独自の宇宙論に関する論文を書いたのも、この時期です。ゲーデルの(回転)宇宙にはいわゆる時間は実在しないのですが、その発見は1949年の論文。このノートでは、時間という現象をどう説明するのかについての哲学的・論理学的考察が展開されています。時間の流れの考察から始まり、時間の流れの説明のためには時間が何なのかが明らかにされねばならないとして、時間についての考察がなされます。すでに時間が原初的概念として何ら想定されてない点が重要だと思いました。内容については、はっきり申し上げて、予備知識がないのでさっぱりわかりませんでした。ただ、ゲーデルにとって時間はあるアスペクトでの宇宙のスライスにすぎないなど(t-aspect)、ライプニッツモナドジーの強い影響を感じる箇所がいくつかあります。いくつか引用を示せればいいのですが、transcription原本と自分のノートが手元になく(マルセイユに置き忘れた)、いずれにしてもまだ公のものではないので発表は控えておきます。
代わりに、セミナーの風景をお伝えしませう。ドイツ人研究者がtranscriptionを読み上げ、ガベルスベルガー(でしたっけ)を読める専門家が原文をチェックし、そして全員で(1)ゲーデルはいったい何を書いているのか(省略が多いので、そのままでは意味が通らない)、および(2)ゲーデルはいったい何を言いたいのか、を検討する。transcriptionが編者の決断にかなり依存していることがわかりました。今回来ていた米国の専門家による最新版のtranscriptionを用いたのですが、ドーソンの最初の荒いtranscriptionも、かなり訂正を受けていました。transcriptionおよびその訳を用いる際には、編者の決断を信用するしかありません。ただ、ドイツ人研究者によれば、速記とは思えないほど複雑な構文をとっており、しかも厳密な文を書いていると驚いていました。さすがゲーデル。晴れて出版されれば、一次資料を補うマテリアルとして、ゲーデルのノートは十分に価値のあるものとなるでしょう。私はと言うと、ドイツ語がほとんどわからないわ、3カ国語が飛び交うわで、とても混乱していました。(1)はお手あげなので、(2)で少しがんばってみました。明日は、もう少し内容がわかるように、がんばりたいと思います。