Garber先生との出会い
2006年夏。私は、ドイツのHannoverに来ていた。5年に一度の、ライプニッツ国際会議に出席するためである。京都大学から助成金を受けることが決まったのは、わりと直前のことだったので、同会議の発表には申し込めず、ただの一聴衆(オブザーバー)としての参加であった。
会議では、多くのすぐれたライプニッツィアンによる発表を目にした。Brandon Look氏は、質問も明晰であるし、とても、勢いがあるように思った。ライプニッツとゲーデルの神の存在証明に関する発表自体は、底が浅く、なんだか物足りなかったけれども、いろいろとやりすぎなのかもしれない。ただ、氏が将来、この業界でトップに来るであろうと確信したのも、この会議であった。日本からは、酒井潔先生(現、日本ライプニッツ協会会長)、松田毅先生(神戸大学教授)、そして、大河内泰樹先生(一橋大学准教授)が、それぞれ、意欲的な発表をなされていた。残念ながら、ドイツ語がわからなかったので、かろうじてフォローできたのは、松田先生のご発表だけである。聴衆と司会に合わせて、急遽、英語での発表に切り替えられたおかげで、こちらはなんとか発表を理解することができた。それは、ライプニッツにおける「夢」の議論に関する、精緻な発表であった。なぜ当時、「夢」が問題になったのか、思想的なバックグラウンドが気になったので、質問したかったが、若干発表内容を逸脱するので、質問を控えてしまった。後で聞いたところ、その質問を想定して、入念に準備なされていたというから、オシイことをしたものである。
全体会議では、何よりも、Knobloch先生の印象が強かった。なぜかというと、先生は、ドイツ人であるが、フランス語で発表されていたからである。さらに、その場でラテン語を即興でフランス語に訳すというのを、見せつけられたためでもある。内容も、歴史に裏付けられているだけでなく、クリアな分析が示されていて、面白かったと思うが、その発表のスタイルにまず圧倒されてしまった。
Hannoverに来る前の、同年3月に、エモリー大学(アトランタ)で行われた、無限小の問題をめぐるカンファレンスに参加したが、そこでお世話になった、Ursula Goldenbaum先生とも、再会を果たすことができた。非常に面倒見のいい先生で、エモリー大学にもお誘いくださったのを、覚えてる。同カンファレンスでは、テーマを同じくするBradley Bassler先生(コロンビア大学)にもお会いしたが、一年くらいこっちにきて、一緒に研究しないかともお誘いいただいた。リップサービスであろうが、あるいは、本気でそう思っていてくれていたのかもしれない。尊敬するRichard T.W. Arthur先生にも、そのカンファレンスでお会いして、色々と質問をぶつけたものである。
Hannoverでの夏に話を戻そう。Morenoとかいう、駅にほど近いホテルにとまった。悪くはなかったが、風通しが悪く、夏場で蒸したように暑かった。なかなか眠りにくかったのを、今でも覚えている。裏に別の戸があるのだが、よくわからないところにあり、一度、深夜に戻ったときに、閉めだされて別のホテルに泊った、苦い経験がある。そのときは、優しいトルコ人のホテル・オーナーが、タダでシングル・ルームに泊めてくれた。いくらか、お金は枕元に置いていった。
偶然というのは恐ろしいもので、Goldenbaum先生と、たまたま同じ宿になった。国際会議でライプニッツィアンが一地方都市に集まっているので、その蓋然性は高いとはいえ、なかなかないことである。そして、同じ宿には、あの、Daniel Garber先生も、お泊りになっていたのである。こうなるともはや、かなり高い確率で朝食をともにすることになるわけだが、はたして、そうなった。
私は、臆病なので、独り別で食べていたのだが、Goldenbaum先生が、親切にも気を利かせて、Garber先生とお話する良い機会であるから、と、同席を許して下さったのである。
光栄ではあったが、緊張して、あまり上手く話せなかったに違いない。Garber先生も、私の研究の程度を、一目で見抜かれたに違いない。語学もままならず、国際的業績もなく、当然、名も知られていない。ライプニッツを研究するものとして、非常に後ろめたい思いが私の脳裡を駆け廻った。そんな中で、ライプニッツ研究のあり方に関して、根本的な質問を、ぶつけてみようと思ったのは、今思えば、良く出来たものだと、自分を褒めてあげたいくらいである。
そう、自分は、こともあろうに、ライプニッツ研究の世界的権威に対して、朝っぱらから、ライプニッツは、どのように研究すべきかという問いをぶつけたのである。若さのなせる、大胆不敵な行動であったと、今では思う。
周知のように、Garber先生は、デカルトやライプニッツの自然哲学に関する、世界的権威である。私が研究していた領域と重なる部分が多い。けれども、自分とは、大分、アプローチが異なるように思われた。ガーバー先生は、哲学者というよりかは、哲学史家、歴史家という印象である。私はというと、純粋哲学出身であるし、歴史の方法も身に付いていなかった段階である。歴史的文献を渉猟する、語学能力もない。なので、歴史に関しては出来る範囲でのことをやり、その提示は最小限にとどめ、細かくて未だ知られざる歴史的な事実にアタックするよりかは、哲学的内容を抽出し、それの現代的意義を考えるというスタイルをとっていた。その頃、自分は、ライプニッツの無限論と、超準解析など現代数学における実無限(小)の取り扱いについて、比較研究をしていたのであった。
Garber先生の答えは、私の研究スタイルを全否定するものであった。つまり、現代的な見地を織り交ぜて中途半端な帰結しか引き出せないでいるよりかは、ライプニッツおよびその時代に忠実に、思想を提示する方が、意義があるという趣旨のご返答であった。Garber先生の答えは、ある程度、予想されていたものであったが、それは、私には極めてショックであった。それは、私の今後の研究のあり方を、根本的に変えるものであったといってよい。
それ以来、より、哲学史に真剣に立ち向かうようになっていったと思う。テクスト読解に関しても、より、慎重になれたように思う。しかし、今でも、方法論については、はっきりした指針を打ち出せていない。やはり、私は、歴史ではなく、哲学がしたいのである。テクストの背景にある歴史性よりも、テクストから導き出されうる哲学性、言い換えれば、普遍性あるいは特殊性そして独自性を得たいと考えている。そして、それが、現代に照らして、あるいは未来に関して、どういう意義を持ちうるのかを提示したい、と考えている。哲学史は、むろん、それが歴史的なものである以上、丁寧にコンテクストを押さえてやらねばならないが、そのことが私の第一目的ではない。そこから何らかの教訓を引き出し、さらにそれを、独自の哲学的洞察にまで高めていかないと、自分にとっては意味がないと考えている。事実の発見は重要だが、そのことから得られる、哲学的洞察の方が、私にはもっと重要である。
2006年、HannoverでのGarber先生との出会いは、自らに独自なライプニッツ研究のあり方を考える上で、決定的なものであった。しかし、それを素直に受け容れたわけでもない。今でも、そのときの出来事をたびたび振り返りつつ、自らの研究スタイルを模索している。