エピステモロジー・セミナー@Paris
明日は、以下の発表を聴きに、パリに行ってきます。
Eberhard KNOBLOCH - Géométricité, rigueur et analyse: comment Leibniz a-t-il réagi à la Géométrie cartésienne?
リンクMichel SERFATI - Aspects philosophiques de l’émergence du symbolisme mathématique, de Descartes à Leibniz リンク
旅費は自腹。TGVのチケットが高い。
その分、楽しんでこようと思います。
post scriptum. (le 8 avril)
正確に聴きとれておらず、また、知識不足のためきちんと理解出来たわけでもありませんが、当日の印象をメモしておきたいと思います。
●Serfati先生のご発表は、新しい代数的記号法の創造者としてのデカルトと、改良者としてのライプニッツを対比するものでした。デカルトは、それまで使っていたcossique(二次方程式の根)の体系を批判し、新しい記号法に基づく代数の体系を創造したが、その記号法は代入に関して問題を残していた。ライプニッツは、代入の問題に関して自身のars combinatoriaを応用することでデカルトの代数を改良し、多項式や有理分数の計算ができるようににまでした。とりわけ、超越量に関する微積分計算が、デカルトと区別される点である。おそらく発表内容についてはもう散々しゃべって慣れているのでしょう、早口すぎてフォローが大変、というか、できませんでした。最初は明晰な感じで良かったのですが、だんだん話がマニアックになってきて、最後の方になるとなんだかもう良く分からない、という感じでした。論文もそんな印象のところがないわけではないので、哲学の方でもまだやるべきことがあるのかな、と恐れ多くも思った次第です。内容とはまったく関係ありませんが、セカンドバッグを肩にかけたままご発表されていたのが、少し気になりました(疲れないかな、と心配してしまった)。
●Knobloch先生のご発表は、デカルトの『幾何学』の要点を簡単に説明されたあと、ライプニッツのデカルト『幾何学』読解(1674)およびその批判を、新資料を元に新しい解釈を提示するものでした。発表は、Historia Mathematicaでの論文でも書かれているように、デカルトをフルボッコにするライプニッツ、という感じで、両者を比較してライプニッツの独自性がどこにあるのかを強調していました。スパイラルなど、デカルトにおいては非幾何学的だった領域が、新たに幾何学の領域になるように、学問領域の発展を認めるライプニッツのdynamiqueな幾何学観について勉強になりました。ガリレオ・ガリレイやヨハネス・ケプラーとの比較もされており、とても充実した、ためになる発表でした。予定されているアカデミー版全集の数学篇は、まだ5/30巻しか出ていないけど、オプティミズムの原理でがんばる、と笑いを取られていました。
印象的だったところでは、ライプニッツの言葉を借りて、
"Mais la limite de l'esprit cartésien n'est pas la limite de l'esprit humain"(デカルトの精神の限界が人間精神の限界じゃないし。)
と、述べられたところです。完全にフランス人に喧嘩を売っているようで、少しハラハラしました。
若い人は私を含め数人しか出席していなかったのですが(小学生くらいの子供がいて、さすがおフランス!と驚いたが、退屈したのか、途中からいなくなってしまった)、ライプニッツ研究に関して、いくつか教訓的なことを述べられておられましたので、メモをとりました。
1) まず、歴史家としては当然のことなのですが、ライプニッツの思想は静態的なものではなく、発展的なものであるから、常に、「いつ(quand)」かを付加しなければならないこと、
2) そして、これも当然のことですが、250,000ページ(!)もあるアカデミー版全集を使わな、研究にはならんのやで!と、強く主張されておられました。
3)、あと、これは発表スタイルに関連するものですが、ハノーファーのライプニッツ国際会議でもそうでしたが、フランス語で発表され、即興でラテン語を仏訳されておられたのは圧巻でした(※先生はドイツ人でらっしゃいます)。発表スライドはほとんどラテン語で、聴者はガンガンとラテン語を読まされていきます。ポインタを使って訳してくださるので、ついていけます。今回は、さらにイタリア語も加わって、ますますの無双ぶりを発揮されておられました。
という感じで、とても刺激になりました。もっとがんばりたいと思います。