labyrinthus imaginationis

想像力ノ迷宮ヘヨウコソ…。池田真治のブログです。日々の研究のよどみ、そこに浮かぶ泡沫を垂れ流し。

博論の見直し(1)

午後からようやくこれまで逃避していた博論の見直しを始める。博論では、ライプニッツの想像力の理論に注目して、想像と数学の関係および「連続体の迷宮」について論じた。まず第一部で、前提となるデカルトおよびアリストテレスにおける想像力の考えを整理。第二部では、デカルト以外の17世紀における想像力の理論を概観したあと、ライプニッツの哲学における想像力の理論を扱った。それを踏まえて、想像と数学の関係にテーマを展開し、普遍数学思想の哲学的基礎としてこれまでそれほど注目されてこなかった想像力の理論があることを論じた。最後に、第三部では、想像力と自然学の関係として「連続体の迷宮」を論じた。結論部分で、連続体の迷宮は、より広義には「想像力の迷宮」である、と論じたわけだが、そこまで主張するなら、タイトルを潔くこれにしとくんだった。(そんな反省も込めて、ブログタイトルがこうなっているわけです。)

自ら皮肉れば、博論は迷宮のまま終わっている感がある。想定した以上に大変な作業であって、考えが甘かったというほかないのだが、第一部で扱った専門外のデカルトでつまずいたことが、あとあと尾を引いた。今なお引きずっている。想像力の問題は、17世紀哲学における最大の問題であったわけで、それを論文冒頭で述べていながら、その問題の難しさに返り討ちにされた。ライプニッツ自体、同時期にもかかわらず矛盾的な主張をしていて、いったいどの主張にプライオリティがあるのか良くわからないわけだが、調べれば調べるほど、不整合が出てきて、どう再構成したらよいのか混乱してしまった。ここらへんは、じっくりと比較検討した上で判断しなければならず、選択のセンスが問われるわけだが、これがエッセンシャルだ、と判断できるほどに、ライプニッツの膨大な著作に通じているわけでもない。とりあえず、こなした情報をもとに、なんとか押し切ってはみたが、それですら膨大な情報を整理しきれず、なんとも見通しの悪いものになってしまった。そのため、各節ごとにまとめを入れざるをえなかった。また、十分に論じようとしたあまり、専門家なら常識的なところで省いてもかまわないだろうところも多々あり、こうして頁が膨らんでしまった。改訂稿では、こうした基本的な欠陥をなくしていき、公表するに値するものにしていきたい。義務づけられているので、出さないわけにはいかないが、本人が納得できなければ出せない。本来なら、大学に提出するようなしろものではなかった。昨年10月まで悩んだ結果、提出しないとするとその後いろいろ深刻な事態になるだろう、ということで、2ヶ月ほとんどこもりきりで集中して原稿を仕上げ、なんとか提出した。そのことは後悔していないが、いずれにしろ、お世話になった先生方に申し訳ない思いである。

博論の規定には、提出から一年以内に何らかのかたちで公表すること、とあるので、あと11ヶ月弱で全体を書き直さなくてはいけない。9月から某プロジェクトに本格的に参加するとすると、研究に打ち込める期間は4ヶ月しかない。ボケボケしている暇はないわけだが、あせってどうにかなる程度のものではないので、着々と書き直していきたい。試問での指摘を踏まえると、構成から完全にリテイクしないといけない。扱っている主題の性質上、デカルトの理解が不可欠なわけだが、これはヘタに踏み込んでしまったので、デカルトも一からやり直さねばならない。そうすると、11ヵ月はあまりに短い。とある事情で、博論の最終提出期限より半年以上も前に出したわけだが、リテイクの期間を前提して博論を書いていた自分のあまりの甘さに無性に腹が立つ。

きちんとした哲学史研究として認められたいが、まだそのレベルには達していない。非専門家からも信頼されうるものにするためには、扱った原典に関して容易にアクセスできる情報もある程度提供する義務があるだろう。そこで、博論の付録として、「パキディウスからフィラレトゥスへ」の翻訳、さらに余裕があれば「新普遍数学原論」の翻訳でもしようと思う。どちらも、邦訳の全訳はまだない。前者は自分がやるべきなんだろうな、と思う。後者は、海外にいてまだ未見だが、伊豆蔵好美先生による抄訳がある。それから現在、某氏と共同して某遺稿の翻訳とコメンタリーを準備中。4月にスタートしたばかりで、今後どうなるかもわからず、まだ発表できる段階にないが、やるからには少なくとも出版に値するレベルにまでもっていきたい。少なくともライプニッツの部分に関しては、ラブーアンには負けていられない。まあ、彼の研究は、本音を言えば、あんまり評価してないんだけれども。クリアじゃないのはフェアじゃない。

まあいずれにせよ、こつこつとじっくりとやっていきたいし、そうしなければならない。というか、そうするほかない。「少年老い易く学成り難し」。まったく名言。


夕食は、蓄えが尽きてしまったので、外でドネル・ケバブとビール。外で食べると、解放的な気分になるね。夢に生きていれば、現実逃避にはならないんじゃないか。なんとも迷言。