labyrinthus imaginationis

想像力ノ迷宮ヘヨウコソ…。池田真治のブログです。日々の研究のよどみ、そこに浮かぶ泡沫を垂れ流し。

近世西欧哲学における抽象と概念形成の問題(授業動画)

共通テストから10日後の1月後半から風邪をこじらせて、微熱と鼻づまり、咳が4週間ほど続き、学務も多忙な時期ということも重なって、なかなか自身の研究の方に本格的に取り組めずにいましたが、ようやくぼちぼち再開できるくらいに心身が回復してきました。PCR検査というのも、今回初めて受けました。ほとんど外出も他者との交流もなかったので、けっきょく時間の無駄だったようで、結果はもちろん陰性でした。昨年12月にも同じような症状があり、高熱はこちらの方がひどく、咳があまりなかったのですが、抗原検査を受けて、こちらも陰性でした。しかしこうして医学的な検査結果が出ることで、自分も家族もようやく安心できるものらしく、微妙な症状が続くあいだは、病気との孤独な闘いを余儀なくされ、仕事や研究も滞り、精神的にけっこう追い詰められていたように思います。

それはともかく、現在、「抽象と概念形成の哲学史」の研究会の仕事を進めているところです。何より、自分の担当箇所が遅れているので、それを少しでも取り戻したいところです。

その作業過程で、自分の授業を見直すために、2020年8月14日の西洋思想史(前期)の最後である第15回目の講義で行った、「近世西欧哲学における抽象と概念形成の問題」についての授業動画を限定公開しようと思います。

近世西欧哲学における抽象と概念形成の問題ということで、これまでの授業で扱った、スコラやデカルト、ロック、バークリについての内容のまとめを兼ねつつ、ライプニッツの抽象の理論について考察しています。

説明が雑なところや、間違っている部分が多々あるかと思いますが、コメントやご指摘などいただければ幸いです。

 


西洋思想史2020(15)近世西欧哲学における抽象と概念形成の問題

17世紀スコラにおける「抽象」の概念

あけましておめでとうございます。

昨年、研究会で報告した原稿に、少し手を入れたものです。

池田 真治 (Shinji Ikeda) - 資料公開 - researchmap

昨年行われた哲学オンラインセミナーでの日本哲学会ワークショップ「抽象と概念形成の哲学史」では、私自身がオーガナイザーということもあって、近世哲学をほとんど扱えなかったので、その間を埋める研究の序論として、「17世紀スコラにおける「抽象」の概念」を検討してみました。予定としては、このあと、「デカルトデカルト派の抽象の理論」、そして「ロックとライプニッツにおける抽象の問題」と続く予定です。

昨年はこれといった研究成果をかたちとして出せていないので、今年はもっと研究成果を発信できるように精進したいと思います。ブログの更新も、もう少し頻繁にできるようにしたいですね。

何より、いまだ新型コロナウィルス感染症(Covid-19)が猛威をふるっていますので、今年一年みなさまが健康に過ごせるよう、またいち早く事態が改善されるように願うばかりです。

それでは、今年もよろしくお願い致します。

 

アヴィセンナの内的感覚論と抽象化の理論についてのメモ

西欧近世哲学における抽象の理論の系譜を遡っていく過程で、どうしてもアラビア哲学におけるアリストテレスの受容と変容の問題は避けられない。むろん、抽象の理論の起源をたどれば、最終的には古代ギリシア哲学、アリストテレスの「アパイレーシス」に行き着くのであろうが、アリストテレスの抽象理論もアリストテレス受容の過程で独自に変容し、元のアリストテレスの抽象の理論とはだいぶ異なっているように思われる(このことについては、池田がオーガナイズした「抽象と概念形成の哲学史」ワークショップにおける、酒井健太朗氏の提題を参照されたい)。とりわけアリストテレス哲学の受容史で重要なのは、中世スコラに影響を与えたアヴィセンナ(イブン・シーナー)やアヴェロエス(イブン・ルシュド)であろうが、なかなか素人が手が出せるものではない(中世哲学における抽象と知性認識については、アダム・タカハシ氏の提題を参照されたい)。アヴィセンナについては近年、邦語で読める貴重な研究が幾つか出ているので、それらの紹介を兼ねて理解を補っていこう、というのが今回のブログの趣旨です。

 

小村優太氏は、「イスラーム哲学の文脈における表象力の語彙変遷史 ──イブン・シーナーにおける内的感覚論の形成──」において、(ラテン名 アヴィセンナ; 980-1037)の内的感覚論を彼の処女作『魂論摘要』に遡って分析し、イブン・シーナーがガレノス的な内的感覚論によりつつも、アリストテレスの共通感覚を復活したとする。また、イブン・シーナーは、独自に判断力を物事を判別する能力とし、共通感覚(形相把握力)に集まった形相を組み合わせたり分離したりする表象力から判断力を区別したとする。アリストテレスのφαντασίαが、アラビア語でwahmとtakhayyulと訳され、それぞれラテン語でaestimatioとimaginatioに翻訳されたという流れがあり、判断力としてのaestimatioと形相の結合/分離能力としてのimaginatioの概念はイブン・シーナーの独創であるという。イブン・シーナーは、感覚的形相の持つ内容を外的な特徴に由来するものとし、外的な特徴から判別できない内容を持つ「意味」(ラテン語でintentioつまり志向的概念)を感覚的形相から明確に分離したとする。そして、そのため表象力とは別に、意味を取り扱う能力である判断力が必要とされたと分析する。*1

 

また小村氏は、「イブン・シーナーにおける内的感覚論の形成と発展」*2で、これまで知性論の方向ばかり注目されてきた研究史を反省し、独自に知性論の背後にある内的感覚論に注目して分析している。内的感覚とは、アリストテレス『魂について』に由来するとはいえ、アリストテレス自身の哲学的枠組みにおいて明確に提示された概念ではない。内的感覚は、基本的には我々の外的な五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)の情報を処理し、さまざまな思考や表象をおこなう能力である。しかしこれら内的感覚は、知性とは一線を画して、ときには誤りをもたらし得る、正しい判断と誤った判断の双方へと導かれる可能性を持った能力でもある。イブン・シーナーは、アリストテレス以来内的感覚には含まれてこなかった共通感覚を再び登場させ、表象力と思考力を同じ能力の二側面としている。さらに彼独自の能力として「判断力」を付け加えた。

「能動知性」についても触れており、能動知性もまた、アリストテレス自身の著作中には明示的には存在しなかった概念で、アリストテレス哲学が注釈されている1000年のあいだに生じたものの代表例である。これはアリストテレスが『魂について』の第3巻第5章でほんの少し触れただけだったが、註釈者の一人、アフロディシアスのアレクサンドロス(200頃)によって発展させられ、人間の思考を現実化させるためにはたらきかける、能動的な外的存在者と考えられるようになっていったという。

また、アラビア哲学における、プロティノスらの新プラトン主義の影響も分析している。それによれば、新プラトン主義の流出説は、神からの存在の流出や、能動知性からの思考の流出といった形で、アラビア語哲学に入り、とりわけ知性論では大きな役割を果たすようになった。イブン・シーナーは知性論において、新プラトン主義的な能動知性からの流出説をもちいた説明をおこなったが、もう一方で人間の内的な抽象化による認識の純化にかんする説明もおこなっている。「イブン・シーナーの認識論において知性が取り扱う形相は純粋な定義であり、三段論法によって構成される、論理学的な知である。それ以外の諸々の地上的な思考や認識は、知性ではなく内的感覚が担っている。つまり、内的感覚の範囲は、純粋に論理学的な知的形相の世界と外的な五感の世界を除く、広大な認識の世界なのである」。

 イブン・シーナーは内的感覚と知性を明確に区別するが、これがその後のスコラの抽象理論の基礎になっていった側面が考えられる。小村によれば、能動知性からの流出という構造で説明されていた知的形相の認識にたいして、外的な感覚対象の認識を純化していくことによって完全な定義を得るという抽象化の理論は、イブン・シーナー認識論のもうひとつの柱を為すものである。「イブン・シーナーにとって知性の世界とは純然たる定義の世界であり、そこに個体性が存在する余地はない。これは現在我々が住んでいる世界とは完全に隔絶した世界であり、イブン・シーナーが抽象化理論の説明で持ち出している、想像力や判断力による抽象化こそが、日常的な意味での認識活動を担っている」。「抽象化の段階に従えば、我々は知性的認識に向かう前に、まず内的感覚による認識を経なければならない。しかしこの内的感覚の担う認識世界こそが、我々の日常的生活に密着した認識であり、きわめて広範な世界を取り扱っていることが分かる。この日常性こそ、内的感覚の認識世界の特色とも言えるだろう。想像力、表象力、判断力を含んだ内的感覚は、個体性を持った我々に近しく、日常性を伴った認識であり、さらに抽象化を通じて我々はここから知性的認識の世界へと旅立っていくのである」。

 

感覚知覚と知性的認識のあり方の違いは、その後、西欧近世〜近代にかけて認識論の大きな主題となっていきますが、その際、感覚からいかにして概念ないし観念へと変容するのか、つまり概念形成がいかにしてなされるのかという視点でみると、内的感覚論の重要性は哲学史的には見逃せないものです。アヴィセンナの抽象の理論について、内的感覚論を踏まえた小村氏の博士論文の本体もぜひ読みたいものです。

*1:小村優太「イスラーム哲学の文脈における表象力の語彙変遷史 ──イブン・シーナーにおける内的感覚論の形成──」『中世思想研究』第56号、pp. 38-48。

*2:2016年に東京大学に提出された博士論文。以下の記述はその要約を参照・引用したもの。

抽象と概念形成の問題(授業動画)

恥をしのびつつ、授業動画の一つを限定公開してみました。
前学期の「西洋思想史」の第2回目の講義です。西洋における古代から近世までの抽象と概念形成の問題をめぐる哲学思想を概観しています。
明日行われる哲学オンラインセミナーでの、「抽象と概念形成の哲学史」ワークショップの参考にもなるかもしれません。

ワークショップ「抽象と概念形成の哲学史 ―古代から現代へ―」第1回のご案内

哲学オンラインセミナーのご協力により、以下のワークショップを行うことになりました。
月1回ペースで行う予定です。
お時間とご関心のあるみなさまは、どうぞふるってご参加ください。 
日時:2020年6月21日(日) 15:00 -17:00
企画:ワークショップ「抽象と概念形成の哲学史 ―古代から現代へ―」(連続講演)
オーガナイザー:池田真治(富山大学
講演者:酒井健太朗(環太平洋大学
タイトル:アリストテレスの抽象理論の射程
公開範囲:open
共催:日本哲学

詳しくは以下の「哲学オンラインセミナー」のウェブサイトをごらんください。

哲学オンラインセミナー

A. ヴァルツィ「境界」(Stanford Encyclopedia of Philosophy)[翻訳]

SEPにある、ヴァルツィの「境界」を翻訳してみました(抜粋や参考文献、リンク等の部分は除く)。

授業資料用に翻訳したものです。また、境界の問題は、連続体の哲学をめぐる、自分の研究関心の比較的中心にあるので、自分用に翻訳を思い立ったところもあります。

しばらくgoogleドライブの方に置いておきますので、ご参照いただければ幸いです。

A. ヴァルツィ「境界」(翻訳:池田真治)

 

誤訳等、ご指摘いただけましたら幸いです。さわりの部分だけ、ブログの方にも載せておきます。

 

A. ヴァルツィ「境界」

池田真治(翻訳)

出典:Varzi, Achille, "Boundary", The Stanford Encyclopedia of Philosophy (Winter 2015 Edition), E. N. Zalta (ed.), URL = <https://plato.stanford.edu/archives/win2015/entries/boundary/>.

[最終更新:2020/06/04]

 私たちは、周囲から区切られた存在物[entity]を考えるときはいつでも、境界を考える。例えば、メリーランド州ペンシルバニア州を隔てる境界(線)がある。円盤の内側と外側を隔てる境界(円)がある。このりんごのかさ〔体積〕を囲む境界(面)がある。時々、境界の正確な位置[location]が不明瞭であったり、論争的なものであったりする(エベレスト山の縁や、あなた自身の体の境界をなぞろうとするときでさえも)。境界が何らかの物理的な不連続性や質的な差異に曲げられていることもある(ワイオミング州の境界や、同質な球体の上半分と下半分の境界のように)。しかし、鮮鋭であろうとぼやけていようと、自然的であろうと人為的であろうと、すべての対象には、世界の他の部分からそれを切り離す境界があるように見える。出来事にもまた境界がある──少なくとも時間的な境界がある。私たちの人生は、生まれた時と死んだ時に限界づけられている[bounded]。サッカーの試合は午後3 時きっかりに始まり、午後4 時45 分に審判の最後のホイッスルで終わった。概念や集合のような抽象的な存在物でさえも、それ自身の境界があることが示唆されることがあり、ウィトゲンシュタインは、私たちの言語の境界が私たちの世界の境界であると強調的に宣言することができた(1921: 5.6)。しかし、このような境界語りがすべて整合的かどうか、また、それが世界の構造を反映しているのか、それとも単に私たちの心〔精神〕の組織化的活動を反映しているだけなのかは、深い哲学的論争の問題である。

  1. 問題点

1.1 所有境界対未所有境界

1.2 自然的境界対人為的境界

1.3 鋭い境界対曖昧な境界

1.4 体なき境界対かさばった境界

  1. 諸理論

2.1 実在論者の理論

2.2 消去主義者の理論

 

アカデミーと学術雑誌の形成と文芸共和国の誕生──『世界哲学史5』「ポスト・デカルトの科学論と方法論」への補論[2]

  • この原稿は、「ポスト・デカルトの科学論と方法論」『世界哲学史5』(ちくま新書、2020年)の準備として書いたものです。巻末の年表に少し反映しました。これも、あくまで整理のために書いたものなので、ざっくりとしてますが、ご容赦ください。
世界哲学史5 (ちくま新書)

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  • 発売日: 2020/05/08
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アカデミーと学術雑誌の形成と文芸共和国の誕生

                池田真治

 

この時代の科学論と方法論を知る上で、17世紀後半に近代国家によって設立された学術協会や科学アカデミー、および学術雑誌によって形成された「文芸共和国」(République des Lettres)という文脈は無視できない。

すでに17世紀初頭には、イタリアはローマにアカデミア・デイ・リンチェイが創設され、ガリレオらがこれに加わった。1666年にはコルベールの主導のもと、ルイ14世によりパリ王立諸学アカデミー(後のフランス学士院)がパリのルーヴル図書館内に設立された。その初の外国人会員としてホイヘンスが選ばれ、ライプニッツも後に名を連ねている。アカデミー会員の学術的成果は、1665年創刊の世界初の学術雑誌である『知識人の雑誌』(Journal des Scavans)に掲載された。

また、1660年にはロンドンに英国王立協会が設立される。そこでは定期的な会合があり、実験の発表と同時に再現実験も行われ、公的な検証がなされた。そこでの科学的発見や成果は、王立協会秘書のオルデンバーグが編集者となって1665年に創刊した『哲学紀要』(Philosophical Transactions)に公表された。ボイルやフック、ニュートンらは、こうした場で実績を積みあげ、名声を築いたのである。

他方で、三段論法を確実な推論の軸とし、原理を重視するアリストテレス以来の伝統的な知識観も残存しており、実験的手法に対する批判もないわけではなかった。とりわけホッブズは原理的考察と理性的推論を重視し、実験的方法で知識を獲得できるとみなすボイルらを批判し、真空の存在に対しても懐疑的であった(シェイピン、シャッファー『リヴァイアサンと空気ポンプ』参照)。ホッブズは王立協会に所属する数学者ウォリスとも、方法論や数学理論とりわけ無限小の概念をめぐって論争した(アレクサンダー『無限小』参照)。このようにホッブズは王立協会に多くの論敵がいたが、その政治的・宗教的立場も危険視され、決して王立協会のフェローになることはなく、協会から排除されている。

スピノザはこうした学術共同体に所属したり学術雑誌媒体に出版したりせず、自らのサークル・メンバーの庇護と援助のもと、地下出版によって思想を広めていった点で興味深い。他方でライプニッツは、1682年、ライプツィヒにてオットー・メンケを編集者とする『学術紀要』(Acta Eruditorum)の創刊に主体的に関わっている。また1700年にはベルリンに諸学協会(後のベルリン科学アカデミー)の設立を主導し、自ら初代会長となっている。

これらの学術共同体は、純粋に学術を探求する文芸共和国としてオープンな側面もあったが、国民国家の黎明期でナショナリズムが芽生える当時にあっては、国家間競争を反映する場ともなり、政治的・宗教的・民族的理由による排他的側面もあったことは否めない。ニュートンライプニッツ微積分の発明をめぐり争ったように、先取権論争も盛んとなる。しかし、学術的な協会と雑誌という新たな場所と媒体の登場は、それまでの伝統的な学問様式を変革し、知識のより公共的かつ客観的な構成を可能にしたと言えよう。その点では、公的な扱いを受け、そうした学術雑誌にも出版された往復書簡の意義も大きい。