labyrinthus imaginationis

想像力ノ迷宮ヘヨウコソ…。池田真治のブログです。日々の研究のよどみ、そこに浮かぶ泡沫を垂れ流し。

【諸学アカデミー】

ACADÉMIE DES SCIENCES

 フランス諸学アカデミーは、デカルトの友人、マラン・メルセンヌ(Marin Mersenne, 1588-1648)と結びついた非公式な団体として始まった。公式には1666年にあることになって、そのときにはクリスティアーン・ホイヘンス([正確にはクリスチャン・ハュゲンス?]Christiaan Huygens)を含み、顕著な研究に対して多数の有給のポストがつくられた。

 ライプニッツはアカデミーに『抽象的運動論』(『新物理学仮説』の第一部,1671年)をささげ、彼のパリ滞在中にその活動に加わり、1675年に会員となった。ライプニッツは、知的世界のハブであるパリに残れるよう、アカデミーで有給ポストを得たかった。席が空いたにもかかわらず、彼の採用は見送られた。おそらくその理由としては、彼が外国人だったからとも、あるいはベルナール・フォントネル(Bernard Fontenelle)が彼の賛辞で示唆したように、カトリックに改宗したくなかったからだとも考えられる。

 ライプニッツには、シモン・フーシェに打ち明けたように、鉱山業のようなトピックについて相談してくれる文通相手になって、パリへの定期的な訪問を正当化する計画がのちにあった。計画は何も実らなかった。しかし、アカデミーが再建された際には、ライプニッツは外国人会員として、1701年に選ばれた。アカデミーは、最初の週間科学雑誌である、Journal des Sçavansの責を担った。