labyrinthus imaginationis

想像力ノ迷宮ヘヨウコソ…。池田真治のブログです。日々の研究のよどみ、そこに浮かぶ泡沫を垂れ流し。

哲学史の方法

Martial Guéroult "La Méthode en Histoire de la Philosophie" 【直リンク

これこれの観念は何であろうか?これらが、まずはじめに哲学史の方法を司る幾つかの単純な原理である。次に、それは、それら観念を基礎づけるための、哲学の本性ないし本質の考え方であり、既成の原理の帰結のようにアプリオリに建てられたあるいは演繹されたものではなく、歴史家に自然的に与えられた対象に関するある自発的な省察から生まれた、哲学者において、人間思惟の永遠の記念碑、常に生き生きとしている源であり、省察と啓蒙の絶えざる生成源である。最後に、この方法の具体的事例への応用がある。この応用が最も重要で、方法は道具でしかなく、その使用が最終的にその方法の価値を決めるからだ。

ある方法のメリットを抽象的にin abstracto議論することは、ほとんど意味がない。

大事なのは、何より先ず、カントが言うように、「何がなされたのか」(quid facti)、すなわちその「収穫」は実際何なのか、と言う問いに対する答えである。
…中略…
次にその基礎をあらゆる哲学の本性において探究することは、前もって具体的結果を抱かすことができた、その探究の結果がそれ自体の信頼をほとんど加えたり引いたりできない、思弁的な試みにすぎない。

哲学史家は、次の2つの観点のあいだで選択を持つ。

1) 哲学の水平線的歴史histoire horizontale de la philosophie
時間を通じた観念の運動、理論[学説]の継起、一方から他方への移行、テーマから問題への変形を扱う。理論や作品の内的経済よりもその結びつきや変移に興味がある。つまり、生成において、あるダイナミックな視点を設定し、人間思惟の流れを運ぶ流れにそって行くままにさせる。この観点は、最も固有に歴史的で、もっとも正統なものである。それは、パースペクティヴを開くことを許し、…うんぬん。この学派に対して、哲学の水平線的歴史の名を与えよう。たとえばタレスから始まり、ハイデガーで終わる概論によって例証されているのはそれである。観念の歴史家、あるいは、文化史家がこれに該当する。この歴史の長所は、それが「すぐれて」歴史的である点である。
その短所は、歴史の側で何かを獲得しても、哲学の側で失うことである。というのも、それは、哲学の固有の目的である、理論を定めることをやめるからである。この方法は、その証明や建築術から引きはがされた、偉大な著作の一般的な原理、主張、結果の要約でしかなく、内的構造の深い分析を犠牲にして成り立っている。

2)哲学の垂直線的歴史histoire vertical de la philosophie
そこでは、理論がそれ自体において、そして、それ自体のために探究される。あらゆる努力は、哲学的省察と言う目的のために、彼らの意味での固定と進化に捧げられる。歴史家は「モノグラフィー」に引きこもる。この観点を、哲学の垂直線的歴史と呼ぼう。他の歴史よりもより固有に歴史的でない、観念の集合的運動をより気に掛けない。しかし、各々において、各々の作品の深い哲学的意義を追求する意味で、哲学的ではある。

【続く…かもしれない】