labyrinthus imaginationis

想像力ノ迷宮ヘヨウコソ…。池田真治のブログです。日々の研究のよどみ、そこに浮かぶ泡沫を垂れ流し。

日本から送られてきた東京事変の「スポーツ」を聴いた。出だしの曲が鬱すぎました。シンクロしすぎて、あやうく精神崩壊。あぶない、あぶない。「電波通信」はぜひ次期「攻殻」のOPあたりに。「能動的3分間」いいね。とくにベースが。バッハの左手(てか足)の次の次くらいに好きかもしれない。日本に帰ったら、友人の音楽家に教えてもらおうかなあ。あれ、椎名さんも、カップラーメン食べるんですかね。「閃光少女」は疾走感があって、できればライブで聴いてみたい。生きているうちにライブ行きたいなあ。それはともかく。

記憶が正しければ、論文とか発表の準備の日々のはず。論文、思っていた以上にやばいかも。発表の準備を論文の推敲に回したいところなのだが、つつかれて、迷った挙句、結局、発表することにした。フランスにいるのも今年が最後かもしれないし。いや、まだ何の準備もできていないのだが。こちらは、「受動的30分間」になりそう。がんばるけど。やばい、やばい。それほど時間もないし体調次第。やりたい気もするし、やりたくない気もする。ほんと、よくわかんない。はっきりしてほしい。機械の体はともかく、今は、機械の心になりたい。そのときは、決定可能なタイプでお願いしたいのだが、無理なのか。
扱っている問題はたぶんそこそこ難しいし、ぎりぎり単純化してみてもまだまだ込み入っているので、フランス語でどこまで正確に自分の考えを伝えられるか。あんまり自信なし。遅筆を反省する余裕はないので、これからどうするかの取捨選択がもっぱら課題。もう少し能動的にならんといかんが、エネルギーになりそうなものでも食えばいいのか。なにそれ。

リフレッシュを求めて外出、ケバブを買って遅い昼食。博物館前の噴水のある広場で、ストリート・ジャズを聴きつつモグモグしていたら、友人とバッタリ。心配していたのだが、連絡を取る余裕がなかった。研究を継続していることを期待したが、やはり、博論はもうやめるようだ。ヒルベルトが、女性ゆえにポストを得られなかったエミー・ネーターが生活に捉われず研究に集中できるよう、みずからの研究資金を割いてまかなった話とか。なんと理想的な指導教官だろう。あとはもっぱら、つらい話を聞かされ、ぐったり。リフレッシュするつもりがとんだ結果になった。何の助けにもなれず、心苦しい。できるのは、二時間ほど不満を聞いてあげるくらい。立場は入れ替われないし感情移入はできないが、彼の現状では、生活と研究を両立するのは大変であろうし、たとえがんばっても、フランスで哲学のポストを得るのは厳しいかもしれない。指導教官が問題なら変更するとか、論文を投稿するとか、学会で発表するとか、遠距離でも大学への登録はできるので、してみたらどうかとかいろいろと提案をするが、聞き入れてもらえず。自分だったら、たとえ狭き門でも、CAPESやAGREGATIONを受けると思うが、彼はそれすら諦めてしまっている。可能性を信じられないことにはどうしようもない。研究への意志と自負と、矛盾しているが、無念。ともあれ、一つの決断を下したようで、何をして生きるにせよ、もっと人生を楽しんでもらえたらと願う。自分も人ごとじゃないんだけど、なにより、研究を楽しめなければ話にならない。それはともかく。もっと明るい話題、ないものか。いき苦しい。やれやれ。