labyrinthus imaginationis

想像力ノ迷宮ヘヨウコソ…。池田真治のブログです。日々の研究のよどみ、そこに浮かぶ泡沫を垂れ流し。

今日はえらく寒い。昨日、帰りのバスで雪警報を見たので、予想はしていたのだが。
朝、リスト作成、あとあれの準備。そろそろ発表要旨を送らないといけないが、前書いたのに満足できず、少し迷いが生じたので、もっと頭がスッキリしているときに再考。時間が経つと、考えも変わるので、必ずしも前倒しがいいとは限らないのね。モットーとしては大事にしたいとこ。あれ、またじんましんが出たりして、体調戻っていないじゃん、まだ。作業に耐えられず、寝転がっては、読み残していた本の消化など。意外とサクサクと進むからあら不思議。

今年はあれの応募をめどに、博論の書き直しをいいかげん進めないと。ある程度寝かせないといけない部分もあると思うので、一年以内に博論の書き直しをせよという規定は、ちょっと無謀じゃないかな、と泣いてみる。まだ大分かかりそうです。早く解放されたい。

Rabouinの例の本の書評を試みているが、結構しんどい。情報は多いのだが、これといってまだおいしいところがないなあ。すごく勉強にはなるのだが、現代フランスの悪しき文学的傾向なのか、妙に文章が凝ってて、説明もどこか周りくどいところが多く、ダイレクトな理解の阻害になっている。あと、ある程度予備知識がないととても読めたものではない。もっとも、このテーマに関しては、哲学ないし哲学史サイドでこれほどまとまった本はおそらくこれまでになく、概観を得るのには絶好の書だと思う。しかし、各専門のつっこんだところになると、ソースとして使いづらいのは否めない。アリストテレスの二次文献であれば、たとえば専門のミュラーとかを使うだろうし、数学のエピステモロジーであれば、グランジェの方が分かり良かった。デカルトに関しては、まだ検討中。各専門家の評価が気になるところだけど、そろそろ出始めているんじゃないだろうか。それでも、これだけ専門分化が進んだこのご時勢で、こういった挑戦ができるというのは、すごいことだ。現代であっても、分析と総合は、どちらも重要な知のあり方なのだと思う。予定される続巻でへコマないように、せめてこっちは自分の専門でがんばらないと。
夜は某アニメを鑑賞、心はもうとっくに春。
夕食は、豚肉のフォー。自作ながら、うまい。
多少元気も戻ってきたので、数学とか、明日の復習。できれば予習とかもしておきたいところだけど、あれま、もう夜中。こう時間をばらばらに刻んでしまっては、数学も哲学もいかんともしがたい。