ゲーデル関連
昼から閉館まで、図書館にて、先生から課題書として渡された
Hao Wang, A Logical Journey : From G"odel to Philosophy, The MIT Press, 1996
を読み進める。プロジェクトに参加するものとして、とっくに読んでいなくてはいけない本ですが(汗)。総じておもしろいが、マルクスなどゲーデルにはおよそ関係のなさそうな、ハオ・ワンがただ書きたかっただけと思われる部分も結構ある。冗長だけど、分かりやすい。すでに邦訳のなされている『ゲーデル再考』と共に(そしておそらくそれ以上に)、ゲーデルの哲学とその人間に関心のあるものにとっては基礎資料です。テクニカルな理解があればなおさらおもしろい本ですので、論理学・数学基礎論専門の方にも、有用な部分がきっとあると思います。人間ゲーデルの苦闘をより肌身に感じて、さらにご自身の研究のモチベーションがあがるのではないでしょうか。哲学では、(ゲーデルや論理実証主義を除けば)ライプニッツ、カント、フッサールなどを研究している方々に特に有用と思われます。当時あるいは現在未公刊のtranscriptionも多数英訳されています。ゲーデルが哲学の意義について語っているところもあって、哲学は、厳密性ではそりゃ数学など科学に劣るが、たとえpositiveな結果がそこから何も出ないとしても、実在性realityをより判明に見てとることができると考えているのには、勇気づけられました(cf. p. 119)。
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在館中に激しい雨が降った。久しぶりの雨で、うれしい。4時間ぶっ通しで読んでいたので、疲れた。一度目は精読はせず読み飛ばすつもりでいたのに、重要箇所のマーキングと簡単なノートを取りながらとはいえ、40ページしか進まず。リーディング・スキルがまったく上がっていないなあ。いまさらながら、「〇×術」本のたぐいを読む必要があるかもしれん。まあ読んだからと言って実践できるとは限らないし、できない場合がほとんどなのだが。ライプニッツは読書術や思考術について、何か気の利いたことを書いているはず。問題は、資料があったとして、ライプニッツのやり方を真似できる人間がそうそういるとは思えないことだ。なにせ千年に一人の天才ですから。ただ、そのスパンを少しは短くするか周期を加速できるかもしれん。ちまたに溢れている一般向けでない、ノーハウ本があったって良い。それらしきことは、某先生が書いてくれるはずなので、それに期待。以前、冗談でライプニッツ複数人説を述べたことがあったが(ブルバキの如く)、並列思考の可能性もあるな。ぶっちゃければ、人間一般の思考に従っている必然性なんてないものな。ふーむ。そうなってくると、むしろライプニッツやゲーデルの路線とは正反対の、非合理的な思考、いやいっそ非人間的な思考の研究とか(もしあれば)してみたいなあ。メタのレベルでは人間的思考からはどうせ逃れられないだろうから、どこまで突飛なところまでいけるかはハナから疑問だけど。譲歩して、現象にないものを合理的に探究する学問としての哲学、というのはどうだろう。…形而上学との違いが見えにゃい。それにしても昨近の形而上学の復権は、後世どのように位置づけられるのでしょうね。ベタに、形而上学的展開でせうか。単に住み分けてるだけの気もするので、展開は言い過ぎか。せいぜい、形而上学ルネッサンスか。
こんな感じで、ブログにあんまりアホなことばかり書いているといつか帰国したときに怒られそうなので、もっとマジメに頑張っているところを見せなきゃ、いやいやそれ以前に結果をはよ出さんかいと思う一方、せっかく留学しているのでやっぱり日記も書きたい気もする。こうなることはすでに分かっていたので、ブログの表題を「ぼけぼけ日記」ないし「ふがふが日記」にしたかったのだが、すでに使われていたのは痛かったな。それはともかく、もっと善く生きないといけない(唐突)。ストレスの捌け口をブログにではなく、研究にぶつけるべきなんですよね。何か根本的なところで、見失っている部分があるんでしょうね。良くはわからんが。