labyrinthus imaginationis

想像力ノ迷宮ヘヨウコソ…。池田真治のブログです。日々の研究のよどみ、そこに浮かぶ泡沫を垂れ流し。

晴れのち曇り。博士課程の学生による研究発表会@Aix、10h00-17h00。大学は依然スト中。代わり?にIUFMで。発表する予定があったかもしれませんが、何かの間違いでしょう。わたしは今回は発表しません。論文はこれから書いていきます。

最初は、ワイルの空間論に関する友人の発表。結構な準備時間をかけて詳細な質問とコメントを用意していたが、その原稿を自宅に置き忘れるという不始末。エッセンシャルに思われる部分は覚えていたので、なんとか即興でライプニッツに関連する部分についてルマルク。コンパクトになって、結果的に良かった。友人の解釈を支持しうる部分の原典レベルでの指摘と、反対に問題点の指摘。あとで、君のライプニッツに関するルマルクはトレ・ビアンだったよと某先生にたいそう褒められる。少しずつ、こちらで信頼を得ていかないと。そのルマルクに思い至った機会原因は友人の発表にあるので感謝。

二つ目が生物学の哲学に関するもの。ハンディキャップの定義の問題に関してタクソノミーのエピステモロジーを応用するというもの。分類の問題を、アリストテレスからラマルク、ダーウィンそして現代まで、知識の考古学的手法で調べているあたりは、エピステモロジー的でがんばっているのだが、問題を指摘しただけで終わっていた気がする。

昼食。博論を書いていたときお世話になった、いきつけのカフェで。ごちになります。

三つ目は感情と意思決定の理論について。おもしろいし、豊富な文献を読んでいるようだが、分析が哲学的厳密さを欠く。もっと科学的なところもつめてほしい。ライプニッツではどうなるのか、いろいろ思いを巡らす。←職業病。
四つ目は抑圧と防衛のメカニスムについてフロイトの理論と分析哲学を応用したもの。分野や専門が異なると、きちんと用語の定義をしてくれないと何を言っているのかさっぱり分からない。ところどころ問いをたててくれないと、説明ばかりでは退屈である。途中まで聞いていたが、思いついたことに夢中になる。二つ目から四つ目までの発表は、結局、規準の問題になっていた。これを避けるかたちで分析できないと、あまり生産的ではない気がする。
発表は、一人がパワポを使ったのを除き、いずれも発表原稿を配らない旧態依然のフランス・スタイル。おかげで、いいヒアリングのトレーニングになった。
その後、友人らと数理哲学談義。一杯のビールで5時間も議論していたので、すっかり疲れてしまった。

事情は良く分からんが、ペクレスがまだ大臣をやっていられるのが不思議。日本だったらとうに引責辞任しているところだろ。打たれ強いったらありゃしない。貧乏くじすぎるし、くそ法案の後始末をやりたい政治家などいるわけがない。もはや収拾がつくまで待って、すべてをペクレスにしょわせる魂胆なんだろな。