labyrinthus imaginationis

想像力ノ迷宮ヘヨウコソ…。池田真治のブログです。日々の研究のよどみ、そこに浮かぶ泡沫を垂れ流し。

昨日の続き。
Revue de Métaphysique et de Morale, 1893-1938がニュメリゼされていた。リンク
このころのフランス哲学界はすさまじいものがある。
あー、計画書も飽きた。

暇つぶしに、Hourya Sinaceurの論文「形式幾何学から抽象代数学へ」を読む*1。前半は大体知っていることだが、さすがにまとめ方がうまい。ライプニッツへの言及があったところだけメモ。

すなわち、論理的演繹の観点からは、もっとも古代のシンボル的学である代数学と、新しい幾何学のあいだに相違はない。それはライプニッツが「幾何学的記号法」の試みにおいて持っていた考えである。けれども、かれはというと、直観的なものと形式的なものとのあいだに支配的なカテゴリアルな分離、および、数学の純粋科学と応用科学への区分には抵抗しなかった。*2

ヒルベルトの『幾何学の基礎』以降、幾何学の「要素」は「脱もの化」され、「構造」ないし「モデル」の中で「構成」されるものとなる。そして、「空間の弁証法」(ゴンセト)によって、「直観的なもの/形式的なもの」の相互生成運動で新しい空間理論がつくられる。

そのあと後半は、例の「実代数algèbre réelle」(訳語は適当、間違ってたらすみません)のはなしになるわけだが、流して読んだせいもあるけど、代数学の知識が足らず良くわからなかった。きちんと理解するには、代数学のお勉強をがんばり、主著である『体とモデル』を読む必要がある。

しかし、前半に関して言えば、ヒルベルトの『基礎』における形式幾何学の誕生によって、形式言語の体系の中で幾何学的対象が代数的に構成されることになり、そこでは幾何学と実在との関係が破られているとしているが、どうなんだろう。そんなに単純な話でもないのではないか。Sinaceurの議論は、一方で「直観的なもの/形式的なもの」の二分法を否定しつつ、他方でそれに基づいている。

ライプニッツはたしかに、Sinaceurが言うとおり、一方でその二分法をとっている。だが他方で、ダイナミックなモデルもとっている。「ダイナミック」は弁証法的な意味ではなく、アクチュアリテとポタンシャリテとのあいだの、べったりした連続的なモデル、ということである。自分は、数学的思考あるいは論理的思考においては、抽象と想像の運動が複雑に絡み合っていると考える。記号的代数学を通じた幾何学の「抽象化」と空間の「構成」をどう考えるかが問われよう。ライプニッツの哲学にそれを読みこむ試みが、ここ最近の自分の研究課題である。なんか大変そうだな。

その後は、Boi読んだりWeylを読み始めたり、散漫に勉強。週末は数学に逃避しよう。
ところで海外にいる場合、あれもらえるのかなあ。本とか買いたいのでください。

一部誤植修正4/21

*1:"De la Géométrie Formelle à l'Algèbre Abstraite", in 1830-1930 : A Century of Geometry, Epistemology, History and Mathematics, L. Boi, D. Flament, J.-M. Salanskis (Eds.), Springer-Verlag, Lecture Notes in Physics no. 402, 1992, p. 167-174.

*2:Ibid., p. 169.