labyrinthus imaginationis

想像力ノ迷宮ヘヨウコソ…。池田真治のブログです。日々の研究のよどみ、そこに浮かぶ泡沫を垂れ流し。

ハロウィンの思い出。

今日はハロウィンだった。ぼくは子供の頃、米国に住んでいて、リアルに仮装した経験がある。スケルトンに仮装したときのことは、今でもかろうじて思いだせる。子供たちにとっては、おかしの稼ぎどきだ。印象に残っているのは、一軒家に一人で住む老婆を訪ねたとき、驚かれたがとても喜んでくれたこと。

通常、祭日は家族と過ごす。そしてハロウィンでは、子供たちの襲来を予測し、お菓子セットを準備するのが家庭の慣わしだ。正直、老婆からもらったお菓子はおいしくなかった。ハロウィンなのにお菓子の準備をしていないことから、おそらく孫もいないのだろう。しかし、老婆は珍客の訪問をとても喜んだ。

物欲が思わぬ善行を生んだ。お菓子はまずかったが、一生懸命準備してくれた老婆の行為は、自分の心を強く打った。そして、単なる物欲のために近所の家庭を手当たり次第訪問していた、自分の行為を大きく恥じさせた。以降、ハロウィンでお菓子をねだることは、なかったように思う。

老婆は、また遊びにいらっしゃいと言ったように思う。しかし、二度と訪れることはなかったし、その家の近くに近づくことすらできなかった。ポイントはいくつかある。物欲が善行を生んだ事、善行のためにはもはや物欲は起きなくなった事。そして、純粋にモノをねだることが、もはやできなくなった事。

ハロウィンという、一方的な贈与を標榜する「一見」非経済的な祭典を通じて、人間関係の奥底にある経済の根本原理を学んだのである。つまり、贈り物に対してはそれ相応の見返りが見込まれているというとても単純だが残酷な原理を。ハロウィンは、人間がその原理に支配されたおばけだと学ぶ祭典なのだ。