labyrinthus imaginationis

想像力ノ迷宮ヘヨウコソ…。池田真治のブログです。日々の研究のよどみ、そこに浮かぶ泡沫を垂れ流し。

午前はベルクソン『創造的進化』の授業。今日はベルクソンの哲学観が登場し、しばし考えさせられた。すなわち、ベルクソンは、日常的思考・科学的思考に共通する、同じものの反復や既知のものとの類似性をついつい求めてしまうという、知性が本能的に持つ傾向あるいは習慣から、決別するよう精神を強制して、知性の自然的な流れを遡ることに、哲学の役割を見る。当初は難解で良く分からないという学生が多かったと思うが、ここまで出席してくれた学生は、いかにも哲学的な文章にだいぶ慣れてきたように思われる。ベルクソンの場合はメタファーも多いが、多くは追跡可能で理解可能なものばかりで、良く練られており、鋭い洞察も多く、勉強になる。生命の連続性あるいは持続が結局何なのか、その本体は掴みようがないので、そこら辺にずっとはがゆさを感じている学生もいる。それはしょうがないし、正しく読めている証拠だと思う。「わかったつもりにならない」という点ではすぐれている学生が多いので、あとは「わかろうとする努力」が望まれる。ある問題意識をもって読む、というのは学部生の段階ではなかなか難しいかもしれないが、問題意識があると格段に面白くなるはずである。

午後は空間の哲学的諸問題として、「境界」の問題。個体の条件として、自己連結性の定義とその検討。抽象的な思考だけでなく、図的に描いてみることで具体的な思考も問うた。教科書(加地大介『穴と境界』)は観ずに、定義を検討して修正していく、という哲学的作業を実際に体験してもらったが、なかなか難しかったようだ。しかし、良く考えられた興味深い図を挙げてくる学生も多く、今回も楽しく授業ができた。

夕方〜夜は、数学的対象などの抽象概念の形成とその知覚の問題について、気になっていることをtwitterでつぶやいたところ、関心のある方々から、次々とコメントをもらい、いろいろ教わるなどした。その様子をtogetterにまとめていただいたので、以下にリンクを貼っておく。

抽象的対象と知覚の関係

近世ヨーロッパにおける抽象の理論を整理することは、長いこと温めてきたテーマだが、幸い、「ライプニッツの数理哲学における数学的存在の形而上学的位置づけの解明」として、科研費をもらうことができた。他に仕事も多いが、関連性も高いし、今後の研究が楽しみである。

今日はもう限界なので、明日にでも今後の研究方針をまとめたい。